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それは人生の問題。 [Thoughts]

先週の金曜日の午後のこと。その日はここ何ヶ月か続けてきた仕事の最後の報告会の日でした。最終報告の内容をクライアントの担当者と、その上司にプレゼンします。

といっても、別に大プロジェクトとかではなくて、どっちかといえばちっちゃな仕事で、担当も自分ひとり。何ヶ月も続いたというのも、だらだらと続いてきたという感じ。まあ、それはどうでもいいんだけど。

その日は準備のために朝四時半に起きて、六時半には職場に着いて、プレゼン資料を作って、ひとりリハーサルして、ハンドアウトをプリントアウトして、ノートPCの動作チェックをして、他の人が出社し始める頃には作業はほとんど完了。プレゼンあんまり得意じゃないけど、とりあえずその日はとてもうまくいって、小さいけど長い仕事は無事完了しました。

なんていうと、なんだか仕事ができる人みたいに聞こえるな。でも、別の角度からみると、話は少し違って見えます。

このプレゼンの準備、実は月曜からずっとやろうとしていながら、まったく手をつけられないまま、金曜日の当日に至ったものでした。つまり、ぎりぎりのところに追い込まれてたわけです。

何度もそういう経験はあるけど、当日の朝になって何の準備もできてないというのは、いつもスリリングです。それが気持ちよくなってきてしまえば明白なアドレナリン中毒だけど、幸か不幸かぼくにはちっとも気持ちよくない。すごーく気持ち悪い。

仕事に手をつけられなかった理由は、ご多分にもれず、外出と打ち合わせと電話対応と急ぎのメールと突発的な仕事と、その他もろもろの、いちいち覚えてもいないような雑務で時間が細切れにされてしまって、ひとつの作業を集中して行うことができないからです。

多くの人は残業によってこの状況をカバーしています。それがうちの職場をかなり残業時間の長い職場にしている理由のひとつだと思う。

で、ぼくはなるべくなら深夜残業はしたくないので(するけど)、どうしてもまとまった作業時間が必要になると、どんどん出社時間が早くなっていきます。早朝の二時間は、昼間はもちろん、深夜と比べても圧倒的に密度が高いから。

今回も、朝の時間密度に助けられたんだけど、これは早起きの効用を説いているわけではなく、まして「朝活」のすすめなんかではありません。

問題なのは、集中さえすれば二時間で終わる仕事を、月曜日からずーっとTo-Doリスト(残念ながらまだ捨ててないんだ)のトップに入れておきながら、一週間かかって手もつけられない、という状況が普通になっていることです。そして本来仕事をするはずの営業時間内に、なぜかいちばん肝心な仕事ができないという状況を、多くの人が受け入れてしまっているように思えることです。

これは現代では多かれ少なかれ誰もが抱えている問題だと思うし、繰り返し指摘されてもいます。その対策として電話を取り次がない「集中タイム」みたいなものを設けている会社だってある。でも全体としてみれば一向に改善されていないし、状況はむしろ悪くなっています。

なんで、誰も本気でなんとかしようとしない(ように見える)のか、そのことがずっと不思議だったんだけど、ある人から「Tak.くんは朝の時間を効率的に使ってるね」と言われてその理由に思い当たりました。

有効性とか効率性とか生産性というのは、そもそも企業側から見た発想です。あるいは、人を使う側の発想です。その人はぼくのことを誉めてくれたのかもしれないけど、そこから抜け落ちている視点は、そこで「効率的」使われたのは、ぼくの人生の一部だということです。

個人としての時間の使い方を考えるとき、それは効率性や生産性の問題ではなくて、人生の問題です。人生とは時間のことだから。企業はもちろん、個人の側からもその視点が抜け落ちて、「効率性」とか「生産性」の観点から語ってしまうことが、問題をどんどん悪くしてるんじゃないかと。

だからこそ「To-Doリストを捨てろ」というレオ・バボータさんの主張はとても重要です。
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