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有限感 [Diary]

30代のときは無限の未来があるように思えたけど、40代になったとたんに、突然人生が有限なものに思えてくる、と上司が言いました。この上司はへらへらと重たいことを言う人ですが。

先週同僚(♀)が30才になったんで、この上司夫妻とお祝いをしたんだけど、そこで

「30才になって何か変わった?」
「なんにもかわらないです」

というような会話の流れで、冒頭の言葉が出てきたわけです。

個人的にも、ここのところ「時間を無駄にできない」という気持ちがすごく強くて、いろんなところでそう言いまくってるし、このブログにも何度もそう書いています。

それは、人生は無限ではないと思い知らされる、いくつか直接的な出来事が公私に続いているということもあるけれど、上司の言う通り、その気持ちが40才になったあたりから特に強くなってきているのも確かで、だから年齢的な要素もあるんだろうと思う。

で、ぼくはこの「有限感」が実はとても気に入っています。

ほんの数年前まで、仕事が忙しくてそれ以外のことをやる時間なんてとても取れない、なんて思っていたことが嘘のように、最近いろんなことができるようになっていて、もちろん実際にはやりたいことの3割もできていないけど、それでもゼロではない。ゼロと3割弱は、とてもとても大きな違いです。特に長い時間の間には。

それはたぶん、「有限感」のおかげです。

20代と言わず、30代半ばからでもこんなふうにできていたら、という後悔はあるけれど、とにかく40代になってからの方が確実に楽しいし、ある意味ではきついけど、とても気分よくもあります。より普遍的な言い方をすれば、充実している。

ここで、あの古典的な質問を思い出します。

「もし明日死ぬとしたら、今日何をしますか?」

これはたぶん、意識的に「有限感」を作り出すための質問だったんだな。

この質問に本気で答えることは、実はかなりしんどいことだけど(ほとんどの人にとって、それは毎日の生活を否定することになるから)、もしその答えに基づいて毎日生きることができたら、それこそTo-Doリストなんか必要なくなるだろう。そしてたぶん、20代より30代、30代より40代の方が確実に楽しくなる。

何よりも、文字通り駆け抜けるように生きて、20代で亡くなってしまった友人たちのことを思うと、生きている間はそんな風に生きる義務がある、と思う。

ぼくは怠惰な人間だから、完璧にその義務を果たすことはできそうにないけど、半分でも、3割でも、そこに近づきたいと思うのは嘘じゃない。そして、ほんの少しだけでも、そこに近づけているとしたら、「有限感」はぜんぜん悪いものじゃないのです。
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