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シンクロする可能性が切れないように [Diary]

毎年この時期になると、高校野球神奈川予選のトーナメント表をチェックして、母校の試合のある日を確認し、休みの日にテレビ中継があろうものなら、外出せずにテレビの前に座ってしまう。休みでなくても、結果速報は仕事の合間にきちんと確認する。

こんなふうに母校の試合を応援していることを知ったら高校時代の知り合いは驚くかもしれない。

もともと、母校に愛校心なんてかけらもない。

何かというとすぐバリカンで坊主にされるし、体育は軍事教練みたいだし、無意味に張り倒されるし、「お前らまさか大学に入れるなんて本気で思ってないだろうな」なんて言われるし。思い出したくもない(学校の外では懐かしいことがたくさんあったけど)。

にもかかわらず、野球部の試合だけは、どういうわけか当時も卒業後も、ずっと見続けてきた気がする。全校応援になんか意地でも参加しなかったのに(そしてまた張り倒された)。野球部の連中とも仲が悪かったのに。

たぶん、野球が好きなんだろうね。

もともと日本のプロ野球もメジャーリーグも高校野球も好きだけど、夏の高校野球の神奈川予選は中でも特別に面白い(神奈川の野球ファンはみんな知ってる通り)。はっきり言って、甲子園よりずっと面白い。

母校は、激戦の神奈川大会で、だいたいコンスタントにベスト16くらいに入る「まあまあの強豪校」だけど、このくらいの位置が、チーム自体のレベルの高さと、甲子園の遠さのバランスが取れていて、見ていていちばん興奮できるということもあるかもしれない。

でも、応援しているのはあくまでもテレビ画面に映っている野球チームであり、学校としての母校(変な表現)とその気持ちは結びついていなかった。やはりそこは自分にとっては、無意味に張り倒された場所であり、バリカンで髪を刈られた場所であり、発音がいいだろうという理由で、英語の教科書をひとりで朗読させられた場所だった。



もう何年も前になるけど、横浜スタジアムに夏の予選準決勝の試合を観に行った。母校の試合を生で観戦するのは、卒業以来はじめてのことだった。圧倒的に格上の相手だったけど、序盤からリードして、そのまま逃げ切って勝った。

その年のチームは結局決勝でも勝って甲子園に行くことになるんだけど、本当に魅力的なチームだった。前評判は全くダメで、実際とても甲子園に行けるようなチームじゃなかったんだけど、試合を重ねるごとに急激に強くなった。

スタンドから見ていても、選手ひとりひとりのリズムがシンクロしていくのが伝わってきて、ぞくぞくした。

試合後の校歌斉唱のとき、気がついたら他の観客といっしょになって校歌を歌っていて、自分でも驚いた。校歌をこんなにポジティブな気持ちで歌うことがあるなんて、想像もしなかった。

自分がいつの間にか、心の中で母校と和解していることに、そのときはじめて気がついた。もちろんその試合だけでそうなったわけではないだろうけど、その試合があって、そのチームがあって、校歌があって、その中で何かが大きく変わったことは間違いない。

これって、考えてみたらけっこうすごいことだ。ひとりの人間を、憎しみの対象と和解させるんだから。

「熱闘甲子園」的な、べったりした高校野球のあり方は好きじゃないけど、そして最近では選手自らが口にすることが多い「感動を与える」という陳腐な言葉は大嫌いだけど、それでも、真剣に練習して真剣にプレーする選手がいて、選手同士がシンクロして、それを見る観客ともシンクロして、その関係性の中で、選手観客双方に、こういう(ささやかな)奇跡が起こることを、ぼくは知っている。そしてたぶん、高校野球を愛する多くの人も知っている。

だから、宮崎県予選の「無観客試合」のことを考えると、心が痛む。彼らと彼らを取り巻く人たち(卒業生とか親とか親戚とか友だちとか彼女とか近所の人たちとか追っかけとか裏で支えている無数の人たちとか)との関係性が、そしてシンクロする可能性が、そのことで切れてしまわないように。
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