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エロスと共感と無観客 [Diary]

なんだかずっと「無観客試合」について気になっている。

ひとつには、自分が高校球児(という言葉は好きじゃないけど)だったとして、そして例えば好きな女の子がいたとして、その子に試合を見てもらえないのって、どんなものだろう、ということ。

こんなことを言うと怒る人がいるかもしれないし、否定されるかもしれないけど、かつて男子高校生だった経験からいうと、その頃の自分のモチベーションなんて、ほとんどエロスだもん(笑)。

もちろん、人が真剣にスポーツをやる動機はそれだけじゃないかもしれないけど、多くの男子高校生にとって、それは間違いなく重要な要素だと思う。

だから単純に、好きな子に自分のプレーを見せられないのって、きっと悲しいだろうな、と思ってしまう。

たとえ動機がエロスだけだったからといって、高校野球の純粋性を損なうものではない。エロスほど純粋なものはないんだから。

そしてもうひとつ。自分の知らないだれかが自分を見ている、という感覚の重要性。

観客の視線の中で、見たこともないだれかとつながっている、あるいは共感しあっているという感覚。

それって、何かを継続する力になるし、自分をもう一歩先に進めてくれる。「観客」の存在は、それを直接感じさせてくれるし、その感覚を味わうこと自体が、貴重なことだと思う。

「観客」の存在が、自分にできることや、その可能性を広げてくれる。もっというと、「観客」の存在が、本来自分にできないはずのことをさせてくれる。

問題の大変さは理解しているつもりだし、非常事態の中でやむを得ないということもわかっているつもりだけど、「無観客」であることで奪われるものの意味と大きさ(それは単に観客がいないということ以上のものだ)を、忘れてほしくない。
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