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The Age of Distraction(雑音化時代) [レオ・バボータ関連]

Focus3D-Cover.jpgおなじみレオ・バボータの新しい本「focus」が出ました。

フリー版と有料プレミアム版があり、フリー版はPDFとしてダウンロードできます。有料版はGTDのデビット・アレンへのインタビューなんかも含んでいます。

Lifehacking.jpのmehoriさんはレビューで「『シンプルに生きるにはどうすればいいか?』という問いに対して『答えはシンプルに生きること』と同語反復的になっているところが少なからずある」と書かれてたけど、Zen HabitsはもともとはGTDブログとしてスタートしたはずで、そこからここに至ったことを考えると、逆に具体的処方箋が提示されてないことに意味があるんじゃないかとも思います。

レオが「The Age of Distraction(雑音化時代)」と呼ぶこの時代は、もう処方箋でどうにかなる問題じゃないんだ、「仕事術」ではどうにもならないんだ、ということじゃないかと。そしてそれは、ものすごく重要なことだと思う。

例によってフリー版はUncopyrightedなんで勝手に訳させてもらってるけど、最初の方の一部を長めに引用します。みんな、身に覚えがあるんじゃないかな。訳はちょっとラフです。

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Leo Babauta "focus:A simplicity manifesto in the Age of Distraction" p.9-10より

私たちは奇妙な時代に生きている。それは情報化時代と呼ばれているが、別の角度からみると、それは雑音化時代と呼ぶことができる。

もちろん、人類が雑音から解放されたことはない。囲炉裏の周囲をうるさく飛び回る蚊をぴしゃりと叩くことから、手紙の束と鳴り続ける電話に対処することまで。しかし、現代ほど圧倒的な量の、切れ間ない雑音にさらされたことはかつてない。電話だけでも大変なのに、その上メールの着信通知、ツイッターのタイムライン、Facebookのメッセージ、ずらりと開いたブラウザのタブ、常に待ち受け状態で着信音を鳴らし続ける携帯電話となると、問題はまったく別だ。私たちはますます相互に接続され、情報の奔流に首まで浸っている。ありとあらゆるものが、十字砲火のように私たちの注意を引きつけようとする。そして、私たちは数え切れないほどの仕事を同時に、高速で回し続けている。

仕事をしている間、私たちは全方位からの雑音にさらされる。私たちの前にコンピューターがある。画面上には、メールをはじめとする、あらゆるものごとが通知される。ウェブブラウザの魅惑は中毒的だ。二度と逃れられないブラックホールになりかねない。そこは、読みようがないほどの量の読み物だけでなく、ショッピング、チャット、ニュースとゴシップ、どぎつい画像など、あらゆるものに触れる無限の機会に満ちている。そうしている間にもまた新しいメールが何通か届き、早急な返信を求めている。たくさんのソフトが同時に立ち上がり、それぞれを使って仕上げなければならない仕事がある。何人かからチャットの誘いが来ていて、注意をさらに散漫にする。

しかもそれは、私たちの前にある、コンピューターの中だけの話だ。コンピューターの横では固定電話と携帯電話の着信音が鳴っている。誰かがかけている音楽が漏れてくる。同僚がやってきて、何か質問をする。確認の必要な書類が回覧されてくる。雑多な書類がデスク上のあらゆるところに散らばっている。ミーティングに呼び出される。別の誰かがお菓子を配りにくる。これだけの物事が私たちの注意を巡って争い、仕事そのものに注意を向ける時間がこれだけ少ない中で、私たちが何かを達成できたとしたら、それは驚嘆すべきことだ。

やがて私たちは仕事を終え、家路につく。しかし攻撃は終わらない。私たちはモバイル端末を持っている。テキストメッセージやメールをが入り続け、返信を要求する。無視するわけにはいかない電話が入る。紙・デジタルを問わず、読むべき資料が私たちの注意力を占拠している。広告は私たちの注意だけでなく欲望にも訴えかける。家に帰れば、そこにはあのテレビがある。500チャンネルがさらに多くの注目を求めてわめき立て、50万の広告がさらに多くの欲望に訴えかける。家にもコンピューターがあり、もっと仕事をしろと要求する。そこにも数多くのメッセージが着信し、ソーシャルネットワーキングとショッピングと読み物、あらゆる雑音がある。子どもや配偶者やルームメイトや友人たちが待っている。家にも固定電話がある。そして、もちろん携帯電話も。

これは前例のない空前の事態だ。そして、憂慮すべきことだ。

私たちは、そうと気づかないまま、あるいはことの重大性に気づかないまま、このような時代に突入してしまったのだ。もちろん、インターネットが急速に普及していることに私たちは気づいていたし、そのことに興奮もした。私たちは、携帯電話がもたらす環境が、どんどんユビキタスに近づいていくことに気づいていた。人によっては、人とつながる機会が増すことを歓迎したかもしれない。しかし、オンライン世界がもたらした機会は善いものだったものの、終わることのない雑音、緊急性を増す一方の要求、細分化される一方のマルチタスキングのストレス、浸食される自由時間とささやかな平穏……こうしたことが、どれほど自分たちの人生を変えてしまうか、たぶん私たちは理解していなかったのだ。
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