無目的に歩く [Diary]
久しぶりに二人で延々と無目的に歩く。近くの公園をスタートして、その裏の住宅街を延々二時間半。すぐ近所なのに、見たこともない風景がたくさん。
うちのあたりはアップダウンが激しい上に細い道が入り組んでいて、ちょっと歩くと、もう自分たちがどこにいるのかもどこに向かっているのかもわからない。
ときどき展望の開けた場所からみると、思っても見ない方角にみなとみらいのビル群が見えたりして。
それにしても、空気がいいこともあるし、たくさん歩いたこともあるけど、何よりも目的もなくその瞬間に「こっちに行きたい」と思った方角に行くことを繰り返すのは、ただ休んでるより、はるかに回復する。
忙しいとき真っ先に削られてしまうのが(そして削ってしまうのが)「無目的な時間」なのだけど、たとえば時間を決めず自由に無目的に歩き回った後の頭のクリアさとか気持ちの高まり具合って、まるでぐっすり眠って自然に目が覚めた朝みたいだ。
たぶんそれは、ふだん「こうしたい」「ああしたい」と人間としての自分が無意識に求めていながら押さえつけられているものが開放されるせいなんだろうな。
そして、特に意識したわけではないけど、最近ずっと頭に引っかかって考え続けていたことについて、なんとなく展望が見えていたりも。
うちのあたりはアップダウンが激しい上に細い道が入り組んでいて、ちょっと歩くと、もう自分たちがどこにいるのかもどこに向かっているのかもわからない。
ときどき展望の開けた場所からみると、思っても見ない方角にみなとみらいのビル群が見えたりして。
それにしても、空気がいいこともあるし、たくさん歩いたこともあるけど、何よりも目的もなくその瞬間に「こっちに行きたい」と思った方角に行くことを繰り返すのは、ただ休んでるより、はるかに回復する。
忙しいとき真っ先に削られてしまうのが(そして削ってしまうのが)「無目的な時間」なのだけど、たとえば時間を決めず自由に無目的に歩き回った後の頭のクリアさとか気持ちの高まり具合って、まるでぐっすり眠って自然に目が覚めた朝みたいだ。
たぶんそれは、ふだん「こうしたい」「ああしたい」と人間としての自分が無意識に求めていながら押さえつけられているものが開放されるせいなんだろうな。
そして、特に意識したわけではないけど、最近ずっと頭に引っかかって考え続けていたことについて、なんとなく展望が見えていたりも。
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