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そこに恐怖がある限り [Thoughts]

生きてる時間を無駄にしたくない。と思ったときに、いちばんの大敵は気持ちがクリアじゃないことだ。

気持ちがクリアって何だろうと考えると、たぶん先のこととか過去のこととか他人のこととか他人から見た自分のこととかが頭にない状態のこと。そして今やっていることに対して、あるいはこれからやろうとすることに対して確信があって、100%集中できること。

そういうふうにいつも過ごせれば、たとえ物ごとが順調に進まなくても、少なくとも生きてる時間は無駄にはならない。

だけど、自分はそんなにクリアなのかというと、そんなことはぜんぜんなくて。



今月の初め、めずらしく一週間休みをもらった。

別に病気じゃないんだけど、ここ一年の働き方と、去年の8月と今年の3月にぶっ倒れたことなどから、ほぼ強制的に休まされることになったもの。

一週間休むのは無理だろとか思いつつ、でもせっかく休むのであれば本気で休んでちゃんと疲れを取ろう、と思ったし、休むのであればやりたいこともたくさんあった(休んでもすることがないという人が信じられない)。

で、そのうちの一日を、まさにクリアじゃない状態で過ごした。

ちょっとした用事があって社内メールを確認したら、自分の担当するクライアントの緊急案件で大わらわしてるのが嫌でも目に入って、そのまま精神を乗っ取られた。

本当は、30分で終わるその用事を済ませれば、後は仕事のことを考えなくていいはずだったんだけど、結局その日は、目からも頭からも仕事が離れなくなっちゃった。そして中途半端な自宅仕事以外、まとまったことは何もできなかったし、もちろん休むこともできなかった。

無駄にできる時間はないことをこれだけ痛感しているのに、そんな程度のことになぜ簡単に心をかき乱されるんだろう。

不思議だ。

だけど、本当はちゃんと答えはわかっている。わかっているけどあんまり認めたくないその答えが、「フォーカス」にもちゃんと書いてある。
なぜ全てに対応しなければならないと感じるのか、考えてみよう。大抵の場合、それは単なる衝動に過ぎない。私たちは、メッセージに対応しなければならないという自ら発達させた脅迫観念に、あまりにも慣れすぎているのだ。また多くの場合、それは恐怖の結果でもある。他人から仕事をしていないのではないかと思われる恐怖。顧客を失うのではないかという恐怖。重要なことを見落としてしまうのではないかという恐怖。不作法であったり相手を無視していると思われるのではないかという恐怖。

……そういうことだよね。

このことに限らず、おそらく多くの人が生活上・仕事上で抱えている問題の根本には、たぶん恐怖があるんだと思う(恐怖の種類や対象は千差万別だろうけど)。

そこに恐怖がある限り、どれだけ効率化しようとライフハックしようと、たぶん本当の意味でクリアにはなれない。そこまで踏み込んでいることが(少なくとも踏み込もうとしていることが)、レオの本がいわゆる「ノウハウ本」と一線を画しているところじゃないかと思う。


ここまで書いて思ったんだけど、もう少し先まで考えると、恐怖にはたぶんその人の本質的な部分が関わっているし、簡単にあるいは単純に「克服」できるものなのかどうか、とも思う。

もっと言うと、克服できない恐怖とどう向き合っているかということが、人間の魅力の大きな要素にもなってるんじゃないか、とも。そこまで行くと、また別の話か…。
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