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本当は恐ろしい雑な言葉 [Thoughts]

おそらく自分は、人との関係の基準を「言葉」に置いている。

そのことを自覚するようになったのはわりに大人になってからだけど、たぶん子どもの頃からずっと無意識にそうしてきたんだと思う。

言葉というのはその人の存在そのものだという感覚が、たぶんそこにはある。

人に好意を持つのはたいていその人の言葉に対して。人を苦手だとか好きじゃないとか感じるときも、たいてい「言葉が合わない」とき。人を信頼するのは、言葉に対する誠実さを感じるとき。

いちばん苦手でかつ好きじゃないのは「雑な言葉」を使う人。言葉はその人の存在そのものだということを意識せず、適当に言葉を選ぶ人。軽い言葉を重く使う人。重い言葉を軽く使う人。他人の作った言葉に自分を譲り渡してしまっている人(ついでにもっとも自己嫌悪を感じるのも、自分が雑な言葉を使ってしまったとき)。

もちろんオトナだから(そればっか)、仕事の場面や公的な場面では、自分のものではない言葉を使うことは必要だし、できる。

業界には特有の言葉があるし、職場で伝統的に使われる「社内用語」みたいなのもあるし、企画書を書くなら企画書用語とでも言うべきものがある。そういう「お約束」には従わなければ、仕事上のコミュニケーションが成立しない。

だけどそれはあくまでも「公の自分」としてやってること。そこで崩れた言葉のバランスを取るための方法を身に付けながら、人はオトナになるわけです(身に付けられないと病気になるか社会からはじき出される)。

で、今週ちょっとバランスを崩しちゃったのは、自分とは全く相容れない言葉を自分自身の言葉として書く必要が生じて、しかもタイミング的にちょっと不意をつかれたから。

今年1年の仕事上の目標を定めて宣言するみたいなことは、まあ別にめずらしいことじゃないし、今に始まったことじゃない。

でも、今までもそうしてきたように、自分の中でバランスが取れるぎりぎりの表現で書いたそれが、今回はレビューを通らず(やる気なさそうに見えたか。確かに魂の抜けたような言葉の羅列になってたけど)、トーンや語尾を許容範囲を超えたものに変えざるを得なくなった。

以前なら「ま、これは形式的なものだから」という感じでスルーされていたことがそうではなくなってきたことを忘れてたからで、それが甘かったんだけど。

でもそれは、形式性はそのままに厳密性・厳格性だけを要求すること、しかも言葉を操作することでそれを行おうとすることだ。要するに定量化できない物ごとを、なんとか定量的に評価しようという努力なのだけど、その種のことが、うちの職場に限らず世の中全体に「雑な言葉」が増殖する理由のひとつかもしれない。

そしてそれがとても危険なことだと思うのは、雑な言葉は知らないうちに人を内側から蝕んでいくから。そして社会も。

いつも思うことだけど、みんなもっと言葉の力を自覚した方がいい。

ああ、そういえば現代の就活生(←自分のものではない言葉)は、自分のものではない言葉を使う訓練をしてるみたいだなあ、と思った。
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