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可能性と希望を一撃で潰す魔法の言葉 [Thoughts]

いろいろあるけど、たとえば、

やればできる。
それはおまえだけ(自分だけ)じゃない。

きっと誰もが言われたことがあるはずの(そして言われて納得したことがあるはずの)言葉。

そして多くの場合口にしたこともあるはずの言葉。

だよね?

一般的にこれらの言葉たちは、善い言葉として受け止められている。先輩から後輩へ。大人から子どもへ。年配の人から若者へかけられる言葉として。考えが甘かったり物ごとの仕組みを知らない若い奴に向ける言葉として。

もちろん場面によってはそのとおりなんだけど。でもこの種の言葉って、使われ方と状況によってとても危険なものにもなる。

それは、物ごとがもっと良くなる可能性があるとき、その可能性と希望を一撃で潰してしまう魔法の(そして悪魔の)言葉でもあるから。

今ますます強く思うのは、こうした言葉たちを無条件で使うこと、そして無条件に納得してしまうことを止めなければならない、ということ。

きっとこう言っても「やればできる」のどこが悪いのかわからないという人の方が多いんじゃないかな。

「やればできる」が人にとって善い言葉として機能するのは、例えば人が自分の意思で何かしようとするとき、自分自身に対して言い聞かせるような状況でのとき。

「おまえだけじゃないから」が人にとって善い言葉として機能するのは、例えばみんなが同じ目標に向かってがんばっているような状況で壁にぶつかったとき、自分自身に対して言い聞かせるような状況のとき。

しかし、そこにシステムがあり、人がシステムに合わせる状況下で、システム側から出るその言葉は、害悪以外の何物でもない。

これは、今の日本を作ってきた精神構造の病的な部分を象徴する言葉たちだ。

深く考えずに、当たり前のようにそんな言葉を口にすることがどれだけ人を不幸にしているか。そして、その言葉を納得して受け入れることが、どれだけ自分を不幸にしているか。

だって、
仕事があるだけでも感謝しないとね。
文句言ってられるうちが華だよ。
自分がどれだけ恵まれてると思ってるの?
そんなこと言ってても仕方ないでしょう。
みんなそう思いながらかんばってるんだから。
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