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自己評価論 [Thoughts]

大学生が就活の話をしているのを聞いていて、就活って結局自己評価と自己プレゼンテーションの訓練みたいなものだと思ったんだけど、就活でなくても、自分で自分を評価するという場面は、現代ではたくさんある。

自己をきちんと見つめて評価するって、たぶん世の中的には良いこととみなされているけど、本当にそうなんだろうか。

自己評価そのものはぜんぜん問題ないし、良いことだと思うけど、それはあくまでも自分による、自分のための評価の場合。

でも、多くの自己評価は、そうはなっていない。

自分で自分を評価してるつもりで、実は他人の目線で評価していることの方がはるかに多い。

あるいは、他人から自分がどう見えるか逆算して、他人に何か言われる前に先回りしてその人がするであろう(と自分が考えている)評価を、自分で先に口にしてしまうこととか。

こういう「他人の目線による」自己評価は、「客観視」という名で奨励されるけど、場合によってはとても危険だ。それはまず間違いなくネガティブなものであり、自分の能力とエネルギーを減殺するから。

その種の自己評価は、多くの場合他人との関わりの中で、あるいは他人との関わりを想定する中で行われる。簡単にいえば、他人からネガティブな評価を受けたくなくて、そして自分が傷つきたくなくて、その前に自分で防御線を張るのが、他人目線の自己評価だ。

つまり、インサイダーでありたいという欲求だったり、集団の中で自分を守ろうとする欲求から来ている(実は他人の介在しないところでは、自分に対して、むしろ傲慢なくらいの自己評価をしてたりする)。

「他人からされるであろうネガティブな評価を先回りして自分がしてしまうこと」なんていうと高級そうだけど、これをもっと簡単な言葉でいうと「卑屈な態度」という。卑屈な態度というのは、もちろん他人から評価はされないので、結局は自分の欲求からはどんどん離れていくんだけど。

それだけでなく、これがエスカレートすると、自分の存在を肯定することがだんだん難しくなってくる。あらかじめ自分を下げておくのは、楽だから、クセになる。

で、最初の話に戻るんだけど、そもそも自分で自分自身のことや、自分のやったこと、自分の創ったものに関して評価する必要って、あるんだろうか。自分がいいと思うことをして、自分がいいと思うものを創って、あとはやりっぱなし、創りっぱなしじゃだめなんだろうか。

それでは進歩や向上がない、と言う人がいると思うけど、それは嘘だ。

人は本気でやってることであれば、自然により良くなろうとするし、より良いものを創ろうとするし、謙虚にもなる。その自然な欲求に従えばいいだけだ。その過程で、実は無意識に本来の意味での自己評価は行われているはず。

もしそうでないとしたら、それはやっていることが向いていないか、本気じゃないということだ。ならば、いくら自己評価をしようが、客観的に分析しようが、他人の評価を参考にしようが、一定以上に向上するはずがないので、やっぱり気にする必要はない。

あえて自己評価をしないようにすることで、逆説的だけど、他人や集団との関係の中でも、本来できるはずのことをして、本来できるはずの貢献もして、本来受けるべき評価を受けられるようになる。そして何よりも、もっと自由になれる。

超・自戒をこめて。
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