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「マインドマップよりアウトライナー」のワケ [アウトライナー]

ある方のツイートに刺激された久々のアウトライナーネタ。

なぜライティング(文章書き)には、マインドマップよりもアウトライナーの方が有効なのか?

マインドマップ上での発想は、ビジュアル上で形になったとしても、最終的なアウトプットであるライティング(言葉の流れ=ストリーム)としては分断されたままになっている。だから、マップからストリームに変換する作業をしなければならない。

ストリームをつくるということは、個々の要素をもっとも有効な順番に配置し、滑らかに流れるように「てにおは」で接続するということだ(カジュアルなライティングであれば、敢えて流れを分断してリズムを作ったりもする)。

そして経験的に、その過程でマインドマップというビジュアル上では発想として完成していたと思ったことが、実はそうではなかったことに気づいたりすることが多い。うまくつながらないとか。滑らかに美しく流れないとか。展開に無理があるような気がするとか。

ライティングとして完成するためには、アイデアと構成だけでは充分ではなく、ストリームが同じくらい重要な要素になる。マインドマップに限らず、いわゆる「ビジュアルな」発想法を安易に使うと、その部分が抜け落ちてしまいがちだ。そこを補完できないと、うまく流れずに苦しむか、単に項目が羅列されただけのつまらないライティングになってしまう(もちろんビジュアルな手法が悪いということではない。使い方の問題ね)。

情緒的な要素のない論述文(レポートとか論文とか)であってもそれは同じで、最終的なテキストに反映されなくても、ストリームの流れ方が書き手のテンションを大きく左右する。

テンションて、大事じゃないですか(笑)。

だから、論述文であっても、敢えて最終的に削除する前提で情緒的にライティングを進めることが、意外に有効だったりする(これは木村泉「ワープロ作文技術」 (岩波新書)の中での指摘で気づいたことで、そのことは以前「作文の補助線」という記事に書きました)。

アウトライナーを使ったフリーライティング→アウトライン組み立て→最終ライティングという方法が有効なのは、最初の段階から既にストリームの形で発想をキャッチできているからなのだ。

だから、たとえアウトライナーを使ってもキーワードだけでアウトラインを構成してしまうとうまくいかない。断片はかならず「文章」の形で捉える必要がある。



個人的に、アウトライナーはアウトラインを組み立てるものではなくストリームを組み立てるものということで、「ストリーマー」と呼びたいくらい。でも「ストリーム・エディタ」と言ったら「sed」になっちゃうな。



アウトライナーを使ったライティングについての詳細は、Renji Talk本館「Happy Outlining!」までお越しを!
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