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許容孤独量 [Thoughts]

いつの頃からか、人生における孤独の量は一定なんだと思うようになった。

昔はそうじゃなくて、世の中にはより多くの孤独を味わう人とそうじゃない人がいると思っていた。

たとえば戦争の時代に生まれた人とそうじゃない人。
大きな災害に遭遇した人とそうじゃない人。
家庭環境に恵まれた人とそうじゃない人。
いじめにあった人とそうじゃない人。
大きな病気を経験した人とそうじゃない人。
伴侶を早く亡くした人とそうじゃない人。
いろんな種類の不幸に遭遇した人とそうじゃない人。

でも、大人になって思うようになったのは、孤独というものは身体の中にたまっていくものだということ。そしてたまった孤独が一定量を超えると人は生きてはいけないということ。

もっと簡単にいうと、あまりに長く、あるいはあまりに深く孤独であった人は死んでしまうのだということ。

文字通り肉体的に死んでしまう人もいる(病んで、あるいは自ら命を絶って)し、たとえそうでなくても精神的に死んでしまうということもある。ときどき出会う、孤独から心を守るために心の周囲に高く分厚い壁を作り続けて、自分でその壁の中から出られなくなってしまったような人のことね。

そういうとき、ああこの人は許容孤独量を超えてしまったんだなと思う。

だから科学的にはどうかわからないけど、体感的には確かに人生における孤独の総量は一定なのだ。

肉体的に死んでしまう人、精神的に死んでしまう人、どっちも悲しいけど他人にはどうしようもない。そして誰にとっても無関係なことではない。

で、孤独の量を相殺できるのは、同じ量の孤独ではない時間だけだ(と、まだ少しは若いから思っている)。でも、許容孤独量を超えてしまった人に対してもそれが有効なのかはどうかは、わからない。



そういえば「人体における毛の量は一定である」という説があったな。
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