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過去形でしかわからないこと [Thoughts]

スタバで「将来の夢」についてなにやら議論する学生っぽい男女三人組。

なんとなく耳に入ってくる会話を聞いているうちにわかったことは、自分の「夢」を発表しなきゃいけなくて、しかもそこには〈具体性〉と〈理由〉が求められているらしいこと。

台割りみたいなものを作ってたから、たぶんパワポでプレゼンか何かしなきゃならないのね。そして当然のことながら、結構悩んでたみたいで、三人とも頭を抱えていた。

学校の課題なのか就活がらみかわからないけど、暴力的な話だ。

夢が当然あるべきだという前提自体、一種の人権侵害じゃないかと思うんだけど、そこに〈具体性〉と〈理由〉を求めるというのはますます暴力的な気がする。

当たり前だけど、〈具体性〉と〈理由〉って夢とは最も相反する単語でしょう。

つまり、夢といいながらここで問われているのは〈将来就きたい職業〉ということなのだ。だったら最初からそう言えばいいじゃないの。



具体性や理由を問うても意味のない物ごとというのが世の中にはあって、そのひとつが「夢」だ(ちなみにもうひとつは「愛」であり、さらにもうひとつが「性」だ)。

具体性や理由を求められると、説明することに(=ロジックに)意識がいくあまり、本質の部分がねじ曲がってしまうことがある。

もっとはっきり言えば、ほとんど必ず嘘をついてしまう。あるいはほとんど必ず薄っぺらい答えになる。

例)以下の空白を埋めよ。
A「○○くんのことが好きで結婚したいです」
B「好きな点を具体的に挙げよ」
A「(              )」
B「なぜ結婚したいと思うのか。その理由を述べよ」
A「(              )」

この空白を無理に埋めるように要求されて、まったく嘘をつかずにすむ人間がどれだけいるだろうか。逆にこの空白にぴったりはまる答えを、自分の本当の気持ちとして書き込めたとしたら、逆にその結婚が心配になってこない?

A「○○くんのことが好きで結婚したいです」
B「好きな点を具体的に挙げよ」
A「(優しくて頼りがいのあるところです)」
B「なぜ結婚したいと思うのか。その理由を述べよ」
A「(収入が安定しているからです)」

空白を無理に埋めることを強制されることは、場合によってはとても良くない影響をもたらす。たとえば「説明できること」を優先して、常に二番目の選択をし続けてしまう、というような。



「サッカー選手になりたい」という夢を抱いて、本当にそのために努力しているという幸福な例は別として、「夢」なんて本来過去形でしか語れないようなことなんだと思う。過去形でしか語れないはずのことを、未来形で語らせるから暴力的なのだ。

逆に過去形で考えてみると、驚くほどクリアにわかることがある。

仮に「夢というのは生きる意味である」と定義したとして、じゃあ「今までの人生の中で生きていてよかったと感じた瞬間」について考えてみる。

するとそれは「初めて手をつないだ時の感触」だったり、「時間を忘れて夜通し話しこんだ朝」だったり、「いくらでも歩き続けられるような気がした」ことだったり、「時間を忘れて読んだ本」だったり、「悲しくもないのに知らないうちに涙が溢れてくるような音楽に出会ったこと」だったり、「自分の言葉が生命を帯びたように感じられた瞬間」だったりする。

次にベクトルを逆にして、これを未来に向けてみる。

どこにも具体性はないし、理由も説明されてないけど、必要な全ての答えはそこに含まれている。
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