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まだ本当には思い知っていないということなのか [Thoughts]

よくありがちなストーリーの展開の中で個人的にいちばん好きじゃないのは、「失ってからそれがどのくらい大切だったか理解する」というやつ。

仕事にかまけて家族を顧みなかった夫が、家族が壊れて(あるいは病気になって、あるいは他界して)初めて失ったものの大きさに気づく、みたいな。

甘えるな、と言いたい。

というようなオピニオンを長い間持っていた自分が、今や自分自身でそのようなものになっているということは、あまり認めたくない事実だけど事実だ。

もう15年以上結婚してるけど、その時間の蓄積がなければ生活が破綻していても不思議はない。

そして、その時間の蓄積に甘えていると、取り返しのつかないことになるかもしれない。

そんな話を同僚にしてたら、「Tak.さんはわかってるのに、行動が伴ってないと思います」と言われた。

このブログにしばしば登場するこの同僚は、社内で最もきついことを言ってくる人だけど(笑)、同時に社内で最も信頼してるので、彼女の言うことは素直に聞くことにしている。

ひょっとして自分も「失ってはじめてその大切さが理解できる」ような人間になってしまったのだろうか、とけっこう真剣に考えてみたんだけど、たぶんそうじゃない。

最大の問題は、重要なことがわかっていてもそれができないことだ。それは何もワークライフバランス(という言葉は嫌いだけど)に限った話じゃない。

「いちばん大事なことをいちばん大事にできない」というのは、たぶんぼくらの住んでいる社会の最大の病だ。

職場でも夫婦でも親子でも政治でも経済でも、何か大事なことをしようとすると、大事じゃないことが立ちふさがる。そして不思議なほど大事じゃないことの方が優先される。

なんでだろう?

少なくともそれは、テクニックやツールで解決する問題ではない。もっと根深いものだ。

じゃあ、自分が今まで生きてきて、本当に大事なものを優先できた数少ないケースって、どんなときだっただろう。

心の底から思い知ったときだ。

ということは、自分も社会も、職場も夫婦も親子も政治も経済も、まだ本当には思い知っていないということなのか。

と、そこまで考えて愕然としているところ。
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