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パワーポイントとエクセルの悪夢 [アウトライナー]

同僚のひとりが行政機関の仕事をしていて(うちの職場では珍しいこと)、報告書をワードで作っていた。昔ながらのA4縦型に文章とグラフが交互に出てくる、典型的お役所報告書フォーマット。

ぼくらの業界では(そして他の多くの業界でも)、ドキュメントをパワーポイントで作ることが常識になってもう10年以上経っている。パワーポイントに慣れ切っている彼は、文字や図表をページ上に自由に配置できないことで四苦八苦していた。みんなそれを見て同情しつつ、お役所の前時代性(今どきワードかよ)を笑っていたけど、ぼくは少し違った感想を持った。

この形式の報告書なら、ワードのアウトラインとして操作することができる。全体の構成をアウトライン上で変更できる。目次も自動でつくることができる。スタイルシートで全体の書式を一気に変換することができる。章番号や見出し番号も自動でつけられる。うらやましい(ワードのこうした機能が額面通りに動かない場合があることは百も承知だけど、それでもなお)。

もっともその行政機関から「これを使うように」と渡された報告書のフォーマットは、ワード書類ではあるけれどもアウトライン機能なんか使われていないので、上記の恩恵を受けることはできない。だとすれば、確かにそれは操作が面倒で文字が多くて見栄えが古くさい文書でしかない。



ちょうどその頃、ツイッター上では「エクセルをワープロ代わりに使う日本独特の文化がオフィスの生産性を落としている」ことが話題になっていた。

これも根は同じ問題。奥出直人さんは80年代に「みんなパソコンで何ができるかわかってない」といったけど、このクラウドとソーシャルネットワークの時代になってもそれは変わってないように思える。

ワードは本来、文書を構造的に操作し、構造を紙の上での見栄えに変換する機能を持っている(少なくとも額面上は)。そのために、CSSのように構造と書式を別々に定義することができる(少なくとも額面上は)。この機能を使いこなすことができれば、オフィスにおける文書作成は劇的に省力化することができる(額面通りに動作すれば)。

さらに上記の機能をアウトライン機能と組み合わせれば、自然な思考の流れを阻害せずに、文書として要求される形式を半自動的に満たすことができる(額面通りに動作すれば)

思考は流れるものだ。流れるものを阻害しなければ頭は働いてくれる。しかし紙に記述した思考はそこに固定されてしまう。本来流れているものを固定した状態にするのは苦しい。人類は長年そのことに苦しんできた。

コンピューターがはじめてそれを解放してくれた。80年代にパソコンが使えるようになったとき、ぼくらの世代が興奮したのはそのことだった。一太郎とか新松とかマイフェスとかVZエディタとかActaとかMOREとかの洗礼を受けた世代。

パワーポイントやエクセルをワープロ代わりに使うということは、そのせっかくの恩恵を手放していることなのだ。本来流れるはずの思考がエクセルやパワポ上の「位置」や「カタチ」にがんじがらめにされて流れなくなってしまう。紙ならば仕方ないけど、それがコンピューターの上で起こっているというのは悪夢みたいなものだ。

うちの職場で先輩が後輩に対してしばしば浴びせる言葉が、その悪夢を象徴している。「お前、いきなりパソコンに向かって作ろうとするからダメなんだ。紙でちゃんと考えをまとめてからやれ」。

全世界をつなぐ巨大ネットワークに手のひらデバイスからアクセスし、クラウドに保存したあらゆるデータをどこからでも取り出し、SNSで知らない人と自在につながる。80年代からみればSF小説みたいな世界に生き、物心ついた頃からパソコンがあったデジタルネイティブ世代が、こと個人が考え文書を作成するということに関しては、驚くべき原始的なことをさせられていることに気づくべきだ。



上でワードの機能が額面通りに動かないことを揶揄したけど、ワードが正常進化していればこういう事態を防げたのか、それともそれを望む人がいなかったからワードが正常進化しなかったのか。鶏と卵だけど、たぶんその両方なんだろうな。

とかいってる間に、そもそも「報告書」なんていう存在自体が前時代的なものだという気がするけど、それはまだ別の話。
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