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「あの人たち」にならないために考えること [Thoughts]

考える時間があると人間ろくなことは考えない、というのは一面の真実。いちいち細かいことを考えてたらシゴトは進まないし、追いつけない。そして、理由や意義や目的を深く考えても意味のない現実もたくさんある。

考えても仕方のないことをぐだぐだ考えて動けないというのは、あまり素敵なことではない(耳が痛い)。

でもひとつ落とし穴がある。「何も考えない」ことに慣れてしまった人間がどうなるか。交差点で、電車で、飲み屋で、テレビで見かける「あの人たち」みたいになるのだ。

あの人たちって誰だといって、別に正確な定義はない。ただ、緩んだカラダ、生気のない目、開いた口元、電車で大きく開いた足、だらしない酒、作り笑い、クリアじゃない言葉、組織内政治、裏と表、にじみ出る傲慢さ、そういうのが「あの人たち」のサインだ。

考えても仕方のないことは考えない。でもたぶん本気で考えるべきことがひとつだけあって、それは「何のために生きてるのか」ということについてだ。……今笑った人は、「あの人たち」である可能性か、将来「あの人たち」になる可能性が高い(そして自分だってそこから無縁なはずはない)。



実は人生の意味くらい簡単な質問はない。人は「生きててよかった」と思うために生きているのだ。「生きててよかった」と思うことが、おそらく人間の存在意義だから。人間にはそのための機能=欲望が備わっているからだ。欲望を無視して生きていたら生命の望む方向に行かないわけだから、もちろん「生きてて良かった」とは思えない。

みんなが「生きてて良かった」と思うために欲望にまかせて生きたら、世の中がめちゃくちゃになる?

確かに欲望にまかせて、カネを手に入れるために、地位を手に入れるために、オンナ(オトコ)を手に入れるために他人を押しのけ、陥れ、踏みつける人がいるかもしれない(きっといる)。

でもその人は心からの尊敬とか愛とか信頼とか友情とかはきっと手にできない。カネとか地位とかオンナは手にするかもしれないけど、なにしろ他人を押しのけて踏みつけてきているわけだから、どこかで逆に誰かに押しのけて踏みつけられて、カネや地位を失うかもしれない。カネや地位を失ったらオンナも離れていくかもしれない。最終的には「生きててよかった」と思うことができない。

つまり欲望が健全に機能していれば、そういう行動は取らないはずなのだ。



「何のために生きてるか」=「どうしたら生きてて良かったと思えるか」考えるということは、自分が今欲望に逆らって生きていないか、本気で考えるということだ。そうやって考えていくと、結論は非常にまっとうで普通で簡単なところに落ち着く。

まともな食事をすることとか。
運動することとか。
好きな勉強をすることとか。
ちゃんとセックスすることとか。
自分にとって意義のある何かをするとか。
本当にいっしょに過ごしたい人と過ごすとか。

もちろん他にもあるけれど、まあそういうこと。まっとうで普通で簡単であるが故にこれを「つまらない」と思う人は、「生活」をしたことがないか、健全でない欲望が邪魔しているか、次元の違う偉大な人かのいずれかだと思う。



でも、人は一歩間違えると、少し気を抜くと、このまっとうでフツーで簡単な結論から離れていってしまう。何度思い知らされても。ときどきこういうことを書いてしまうのは、自分自身がそこから離れかかっているという感覚があるからだね、きっと。
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