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アウトライナー・フリーク的Evernote論 [アウトライナー]

自他共に認めるアウトライナー・フリークだけど、ときどきアウトライナーから離れてみることがあって、そのたびに「アウトライナーとは何なのか」ということを考えさせられる(ヒマなのか・・)。

たとえば仕事で「可能な限り紙を使わない」ことに(勝手に)決めたせいで、Evernoteを今までより多用することになった。で、慣れるためもあって、しばらくの間あらゆることに(ブログを書くことも含めて)意識的にEvernoteを使うようにしていた。

以下は、その結果わかってきた、あくまでもアウトライナー・フリーク的視点から見たEvernoteの話。



たとえば頭に浮かんだことを片っ端からEvernoteに放り込んでいく。それをキャッチするポテンシャル自体は、アウトライナーに次々とトピックを立てて放り込んでいくのと変わらない。

なんと言ってもその作業がマックからでもiPhoneからでも(その気になったら職場のPCからでも)できるというのは、たとえばOmniOutlinerやOPALみたいなデスクトップ型アウトライナーにはない利点。

いいね。と、最初は思うんだけど、徐々に失速してくるのね。

良くできたアウトライナーに入れたテキストの断片は、互いに結合・離反しながら成長していく感覚があるんだけど、Evernoteはそうならない。作ったノートが育たず死蔵されてしまうケースがアウトライナーよりも多い。

それはやはり、ノートの記述内容がノート内で完結していること、そしてノート自体の並び順を意思を持って変えることができないことと無関係ではないと思う。

※そして恐ろしいことに妻はブログを読んで「最近アウトライナーを使ってないのがわかった」という。

ランダムに発生する出来事(記憶)を全て記録して、後で見つけられる(利用できる)ようにするというのがEvernoteの思想だ。

もちろん後で利用するためには、記録・蓄積するだけでは充分ではない。Evernoteが示した回答はノートブックとタグ、そして強力な検索機能(後になってノート同士のリンク機能も追加された)。その結果、大量のノートの海の中から探している情報を取り出すことができる。

しかし、それはあくまでも記録したものを「引き出している」だけだ。

現実世界で細かい記憶のピースを有効に利用するためには、何らかのロジックまたはレトリックの中にそのピースを組み込み、位置づける必要がある。どれだけ検索が優れていても、それだけでは不足なのだ。

そして「ロジックやレトリックの中にピースを位置づける」作業こそ、アウトライナーが最も得意とする作業だ。

実際、このエントリも四つの独立した新旧のトピックがアウトラインの中で結合したものだけど、Evernoteの中ではそれは起こらなかった。

「ノートのマージ」や「ノートのリンク」では、ノート同士が結合し、組み替わり、科学反応を起こして発火するようなダイナミズムは生まれないのだ。

もちろんEvernoteがダメだということではない。Evernoteは(Evernote自らが宣言している通り)記憶のための道具であり 、アウトライナーは思考のための道具というだけだ。

実際、記憶のための道具としてのEvernoteは(今さらぼくなんかが言うまでもなく)極めて優れている。シゴトでも生活でも、既にEvernoteなしではやっていけないくらいになっている。



だけど、とここでまた疑問。

どうして同じ知的活動であるはずの〈記憶〉と〈思考〉とで道具のカタチが違うんだろう? 〈記憶〉は〈思考〉を誘発し、〈思考〉した結果は〈記憶〉されるはず。

Evernoteのノート一覧をアウトラインとして利用できたら(だって、左側に表示されるノート一覧、折りたたみできるアウトラインのカタチになってるじゃん)。そして、ノートエディタ自体がシンプルなアウトライナーになってたら。

それはアウトライナーフリーク的妄想ではあるけれど、でもその方がずっと自然な気がする。
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