アウトライナーは(文章の)メロディとリズムを同時にコントロールしている [アウトライナー]
意識にはあるけどうまく言葉にできないことを伝える試みは、会話の中では身振り手振りだったり、言葉の抑揚であったり、擬音であったりする。
文章でそれに該当するものは文体、と言ってしまうと文学的すぎてよくわかんないけど、それは構成だったり、漢字や仮名の使い方だったり、語尾の付け方だったり、句読点の区切り方だったり、てにおはの選び方であったり、その全部の組み合わせだったりの結果として生み出されるメロディとリズム=グルーヴ感みたいなもの、じゃないかと思う。
それが単なる言葉の羅列にどれだけパワーを与えるかという意味では、もはや音楽と変わらないくらい。
個人的にアウトライナーを手放せない大きな理由のひとつが、言葉(メロディ)と同時にリズムをコントロールしているような感覚があるから。
あと「箇条書きラブ」なこともおそらく同じ理由だね。
文章でそれに該当するものは文体、と言ってしまうと文学的すぎてよくわかんないけど、それは構成だったり、漢字や仮名の使い方だったり、語尾の付け方だったり、句読点の区切り方だったり、てにおはの選び方であったり、その全部の組み合わせだったりの結果として生み出されるメロディとリズム=グルーヴ感みたいなもの、じゃないかと思う。
それが単なる言葉の羅列にどれだけパワーを与えるかという意味では、もはや音楽と変わらないくらい。
個人的にアウトライナーを手放せない大きな理由のひとつが、言葉(メロディ)と同時にリズムをコントロールしているような感覚があるから。
あと「箇条書きラブ」なこともおそらく同じ理由だね。
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