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「セクシーなマニュアル」と目的合理性 [Thoughts]

別にえっちなマニュアルの話ではなく。

ちょっと前、アマゾンのユーズドでウィリアム・ジンサー(William Zinsser)の「Writing with a Wordprocessor」という本を買った。

紙と鉛筆とタイプライターを愛し、機械とは、ましてコンピュータとは無縁な生活を送っていたノンフィクション作家のジンサーが、80年代の初めに、初めてIBMのワープロに出会ったときのことを書いた本。

ジンサーは英文文章読本の名著「On Writing Well」を書いた人でもあり、英語で書くということを知り尽くしたジンサーならではの視点で、ワープロに出会った驚きと意義が語られる。

もちろん今となっては全く実用性はない。こんな本を今頃買う人間はまずいない。同僚にも「その本の何に萌えるんですか?」と言われたけど。

ときどき「セクシーなマニュアル本」が読みたくなって、役にも立たない昔の本を買ってしまう。と言ってもきっとわからないよな。



セクシーなマニュアル本。

たとえばこれも昔の本だけど、木村泉「ワープロ徹底入門 」(岩波新書)。大学生の頃(80年代末)、はじめてワープロ専用機を買ったとき、参考になればと買った本。

当時は専用機が普及し始めた頃だったけど、その本ではパソコンのワープロソフト(「一太郎」、後に「松」)が紹介されていた。一般にワープロが漢字変換&印刷機くらいに思われていた頃に、パソコンを使えばもっとずっと広い世界が開けることを教えてくれたのはこの本だった。

それで興味をひかれて、パソコンのことを調べるうちに、テキストエディタというものの存在を知り、アウトライナーというものの存在を知り。

ワープロやコンピュータだけじゃなく、「知的生産の技術」だって、木村さんの本を通じて知ったんだ、確か。

そこには「目的があり」→「やり方がわからないので」→「マニュアル本を買う」という流れとは違う、「マニュアル本を読む」→「興味をひかれる」→「その世界に入っていく」という流れが確かに存在した。

手っ取り早くコツをつかみたかったり、必要なことだけ知りたい人に便利な造りではないけれど、そんなこととは関係なく楽しんで読ませてしまう木村さんの文章の魅力と、本筋から外れた(ように思える)雑多な情報が、単なるマニュアルあるいは実用書に止まらない深みを与え、読み物として楽しんで読んでるうちに、いつの間にか「本筋」の情報が自分の中に浸透してくる。

目的合理的ではないからこそ結果的に目的を達成してしまう。それがぼくの思う「セクシーなマニュアル本」。

奥出直人の「物書きがコンピュータに出会うとき」や、アーサー・ネイマンが関わっていた頃の「マッキントッシュ・バイブル」(第4版くらいまで)もそうだった。



今、コンピューターやその周辺のマニュアル本は膨大な量が出版されてるけど、セクシーなマニュアル本に出会うことはとても少ない。だからときどき懐かしくなって、今回みたいに実用性のまったくない昔の本を買ってしまう。

もちろん当時と今では環境が違う。そういう「目的合理的でない本」を企画すること自体が難しくなってるんだろうと想像する(そんな中で、倉下忠憲さんの一連の著作や記事は、とってもセクシーだと思う)。



ところで、冒頭でえっちなマニュアルのことではないと書いたけど、考えてみれば今の多くのAVがつまらない(いやらしい割にはたいしてエロくない)のも、あまりにも「目的合理的」だからかもしれないな。←目的合理的でない雑多な情報
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コメント 8

gofujita

時間をつくり、遅ればせながら「物書きが..」を読みました。

ずっと体系的に知りたかったことを、ようやく読むことができた気がします。

一般向けの装丁に見えますが、便利なソフトウェアの使い方などではなく、もっと大きなコンピュータの役割を伝えようとしている意気込みに感激しました。

とくに3章と終章は圧巻でした。カードシステムなどの(欧米型)データベースシステム、VannevarBushのmemex、htmlやMarkdown、ワードプロセッサなどと、アウトライナーの関係をやっと納得できる形で整理することができたかも知れません。

Tak.さんがこのサイトで言い続けていること、DaveWinerが、FargoなどのソフトウェアやScriptingNewsで何度も何度も主張していたことの多くが、さあっとよりはっきりと「見えた」気がしました。

そして、稚拙ながら、アウトライナー(Tak.さんのサイトに出会うまでのながーいあいだ、このソフトウェアが実現していること、こう呼ばれていることすら知りませんでしたが)を通して実現したいと考えてきたことが、まちがいではなかったと自信をもつこともできました。

「思考のエンジン」など奥出さんの他の著書は未読ですが、アウトライナーや「知的生産の技術」に興味をもっている人にはぜひ奨めたい本だと実感しています。

この内容をアップデートした出版物も、欲しいところですね。できれば紙の本だけではなく、opmlなどアウトライナーの書式で(これは夢で終わらせたくない!)。
by gofujita (2014-08-04 17:06) 

gofujita

「思考のエンジン」にも目を通しました。

歯ごたえ充分の内容でしたが、アウトライナー(グランド・ヴュー)で、論理構造を練るプロセスを具体的に表現した章に感激しました。狙いは少しちがいますが、こんな解説をつくりたいとチャレンジして、失敗していたからです。奥出さんがただ者ではないことを実感しています(当たり前?)。

オープン・エンディッド・ライティングプロセスとハイパーテキストの解説もスゴかった。いや、解説とは言いたくない。美しい論理.. これもちょっとちがう。奥出直人さんの人柄にもさらに強く惹かれるようになりましたし、Tak.さんの言う「セクシー」の意味が、ほんの少しですが分かった気がします。

コンピュータの上で書くことが思考を促進し、人(=個人?=社会?)を成長させる(=幸せにする)エンジンであることの根拠としての、ポストモダン哲学。哲学は大好きですが、デリダは名前だけ、エクリチュールもディスコースも初対面の言葉でしたから、100%納得した訳ではありません。

ジャック・デリダ..。読んでみようかやめようか、と、どきどきしながら迷っています。
by gofujita (2014-08-09 07:27) 

Tak.

gofujitaさん

「思考のエンジン」の、GrandViewでリライティングするところが、まさにぼくがアウトライナーフリークになるきっかけでした。ある意味では人生変えられたと言ってもいいかもしれないです。

だからぼくにとってのアウトライナーの第一義的な使い方は、アウトラインを作る道具ではなくて、一度書かれた文章の構造を浮き出させて、それを組み立て直していく道具です。書いて面白い文章と、人にとって読みやすい文章が両立できないでいた自分を救ってくれる道具のような気がしたのを覚えてます。

ぼくは決してポストモダン哲学に詳しいわけではないですが、「書かれた文章の構造を可視化して組みかえてしまうアウトライナーという道具が、西欧的な意味での良い文章を伝統的な教育を受けていない人間に解放する」という奥出さんの指摘ほど、ぼくが感じている(けどなかなか表現できないでいる)アウトライナーというものの本質を的確に示したものはないと思います。
by Tak. (2014-08-09 18:53) 

gofujita

Tak.さん。内容の濃い本なのでまだ「読んだ」という自信がないにも関わらず、少しでも気持ちを伝えたくておじゃましました。

> 「書かれた文章の構造を可視化して組みかえてしまうアウトライナーという道具が、西欧的な意味での良い文章を伝統的な教育を受けていない人間に解放する」

まだ自分の言葉にできないのですが、この部分に強く共感しています。腰をすえて正面から向合いたい本に、久しぶりに出会えた幸せを感じています。

それにしても、この内容の本が縦書き(専門書ではない)、しかもこの価格(印刷部数がそこそこ多い)で企画され、出版が実現した時代があったなんて、日本も捨てたものではないですね。
by gofujita (2014-08-10 14:34) 

cube

Tak.さん、gofujitaさん

お二人の会話を見て改めて「思考のエンジン」を読み直してみました。以前は読み飛ばしたハイパーテキストについての話が、今回はとても面白く読めました。

「大きな物語」の消失したポストモダンにあっては、もはや知識に与えられた構造はなく、そこに構造を与えるのは個人である。アウトライナーは、個々人が持つ各々の「本当の構造」を現前化させるための手段である、という主張。

これは、アウトライナーはハイパーテキストがあってこそのもので、アウトライナーとハイパーテキストは対立するものではない、というレオさんの主張と共通するものを感じます。

ハイパーテキストについて「テキスト相互は、お互いがお互いの補遺・脚注にすぎない」と表現されている点も、まさにハイパーテキストが、主体の喪失したポストモダンを象徴する情報構造であることを示しているように感じました。

今このタイミングで、東浩紀などを読み返してみたら、また新しい感想が得られそうです。
私もデリダにチャレンジしてみようかなー☺




by cube (2014-08-13 17:22) 

cube

p.s. ごめんなさい、網目構造と階層構造を対立的に捉えないのはレオさんじゃなくてデイブさんだった!!

「アウトラインと網目」の訳を読んでいると、デイブさん的には、アウトライナーとハイパーテキストは、ある意味言葉の違いだけなのかもしれないとも思えてきます。

デイブさんにとって、ノード間リンクのないアウトライナーというのは、果たして真のアウトライナーなのか。悶々。
by cube (2014-08-13 19:08) 

Tak.

cubeさん
紙を超えたテキストという意味では両方ともハイパーテキストなんですよね。
ちなみに「思考のエンジン」の頃はまだタグの概念がなかったので、網目構造といえばハイパーリンクだったんですよね。
by Tak. (2014-08-14 18:30) 

gofujita

cubeさん、Tak.さん

そうですね。Tak.さんの言うとおり紙を越えたテキストという意味で、この2つは同じですね。あと、ツリー構造がメッシュ構造の特殊型 (繋がり一部を切ったもの) と見ることでも、アウトライナーがハイパーテキストのひとつと理解できますよね。

ぼくがハイパーテキストの章で感激したのも、cube さんと似たところだと思います。テキストを読むということは、文章の流れを紡ぐ言葉や文に、根拠になるデータや文献情報をつけたり、新しいアイディアを繋げたりしながら、たくさんの枝を延ばす作業である。そして、文章の流れは線形だけれど、それを書く人の頭の中も、読む人の頭の中も、線形ではない。それをうまく表現する (=モデル化する) のが、ハイパーテキストである、といった部分です。まだちょっと自信ないのですが..。
by gofujita (2014-08-14 21:33) 

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