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物理的につながり、物理的に切れる [Thoughts]

携帯電話がない頃、電話をかけるという行為には「線」を介して「物理的につながる」感覚が確かにあった気がする。裏返せば、電話が終われば「切れてしまう」という感覚。

特に公衆電話の場合、手持ちのコイン、あるいはテレカが底をつけば、自分の意思とは関係なく切れてしまう。

大事なことを話している途中でも、必死で何か弁明している途中でも、つながりは非情に切断される。文字通りロープが切れて空中に放り出されるみたいな感じ。



まだ実家に住んでいた頃、友人の女の子から夜中に電話がかかってきたことがあった。時間は深夜1時ちかく。携帯なんかない時代だから、当然家の固定電話。電話をかける時間としてはかなり非常識な時間。

それは、不倫相手が帰ってしまったホテルの部屋からの電話だった。長い沈黙の後彼女は言った。

あのね、今、ホテル。 19階のすごく夜景がきれいな部屋。 ひとり。目が覚めたら、いなかったの。 置いてかれちゃったよ。

そのときぼくが感じた彼女の痛みは、確かに「線」を介して直接伝わってきたのだとしか思えない、生々しくて直接的なものだった。

同時に、その「線」を通じて(少なくとも今この瞬間は)自分が彼女を物理的につなぎ止めているのだという感覚もあった。どこにつなぎ止めているのかはわからないけど、とにかく今はこの「線」を離してはいけない、切ってはいけないという切実な感覚。

だからといって何か気の利いたことができるわけでもなく(またそんなことを求められているわけでもなく)、

「行こうか?」
「アホじゃない(笑)」
「だよね」

みたいな間の抜けた会話をしばらく交わしたあと、普通に電話を切った。ドラマチックなことは何もなし。

でも電話を終えて気がつくと、受話器のコードを右手で強く握っていた。手に跡がついて軽い痛みが残るくらい。



もちろん「通信」の本質には関係のない話だし、だから昔の方が良かったなととは思わない。

それでも、物理的な「線」を介したリアルな接続感は、今の通信手段には求め得ないものなのかもしれないと思う。

そして肉体感覚を伴う分、記憶される場所も少しだけ違うのかもしれない、とも。
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