確実性と不確実性のはざまで考えたこと [Diary]
一昨年に引き続き、Tomo.さん(妻)の体調不良により仕事を休んでいる。
といっても、一昨年と違うのは原因がわかっていること。
しばらく中止していたヘビーな治療を復活したから。ヘビーな治療はなにしろヘビーなので、当然体への負担も大きい。そのせいだ。
だから一昨年よりはずっと気持ちは楽だけど、もちろん本人は大変だ。そして本人が大変ということは、家族だって大変だ。
だけどこれは、良くなるための過程で超えなければならない壁のようなもの。もっとずっとひどい状況を何回も超えてきたし、何よりも既に明らかに良くなってきている部分もある。
■
といってもこの年度末に、ただでさえ人手が足りない中で、完全に休んでしまうことは(それも突然に)さすがにできず、原則として週に2日休み、3日出社することにした。
でももちろん、そんなに都合よく思い通りにことが運ぶはずがない。シゴトの都合にカラダが合わせてくれるなんていうことはない。出社することにした曜日に体調が最悪ということもある。
よくタイミング悪く体調を崩した人に対して「プロとして自己管理が」というようなことが言われる。それは一面の真実ではあるけれど、一歩間違えば極めて傲慢な物言いになることだけは忘れないようにしよう。
■
今いる場所を言葉にするとすれば「確実性と不確実性のはざま」というのがいちばん近いかもしれない。
シゴトは、当たり前だけど確実性の世界。逆に人のカラダと付き合うことは不確実性の世界だ。その間を行き来するというのは、当たり前だけどなかなかに難しい。
むろんそれは、子育てをしながら、あるいは家族の介護をしながらシゴトを続けている人などは、身に染みてわかっていることだと思う。
ぼく個人の例でいえば、この状況に対して職場も同僚も理解をしてくれるという、本当に恵まれたありがたい状況にある。
それでも「生きる」ということの大半は不確実なものだ。それを強引に確実なものとすることで、シゴトというものは、あるいは社会というものは成り立っているのだと痛感せずにはいられない。
■
という状況の中で、洗濯機が壊れた(ふんだり蹴ったりというやつだけど、よくあること)。洗濯の途中、洗濯物がたっぷりと水を吸ったところで動かなくなった。それが今週の月曜日のこと。
メーカーに修理依頼の電話をしようとしても、当然のごとくフリーダイヤルは「ただいま大変混み合っていて」繋がらない。
三時間試みたところで諦めて購入した販売店に電話し、販売店経由でメーカーに連絡してもらい、メーカーの担当者から連絡をもらうという手順でなんとか修理の依頼はできた(そこまでで火曜の夕方までかかった)。
そしてもらった回答は、「修理にうかがえるのは最短で金曜日」というもの。
あり得ない。今の状況で金曜まで洗濯できないというのは、どう考えても選択肢にない。
とりあえずたっぷり水を吸った大量の洗濯物をコインランドリーまで持っていこうとしたけど、あまりにも重く、何よりも洗い上がりと乾燥をコインランドリーで待ってる時間がない。しかも翌日も翌々日もそれをしなければならない……無理だ。そもそも水曜、木曜は出社だし。
仕方なく新しい洗濯機を買うことにする。修理すればまだ使えると思うけど、もったいと思うけど、お金かかると思うけど、仕方がない。
いちばん近い量販店に確認したら、納品は最短で翌々日。つまり木曜日。その日は出社の予定だから、これもダメ。
いろいろ探したあげく、ヨドバシ.comが家電製品の即日配達をやっていることがわかり、そこで購入することにした。
火曜日の深夜にオンラインで購入し、予定どおり水曜の夕方に配達に来て(結局水曜は追加で休むことにした)、10分で設置・リサイクル引き取りまで完了。夜にはたまった洗濯物の洗濯&乾燥まで無事に完了した。
ヨドバシさん、本当に本当に涙が出るほどありがたかった。木曜はさすがに休めなかったので、もし木曜まで配達できないと言われたらアウトだった。
■
だけどここでふと考える。
ぼくが涙が出るほどありがたかったもの。それはスピード、そして確実性だ。
確実性と不確実性のはざまで、不確実な人生をカバーするために、ぼくはサービスを買った。顧客として、ぼくはそこに確実性を強く期待したし、一切の不確実性を認めなかった。
実際、修理を依頼したときの、いつ繋がるのかわからない電話、いつ来るのかわからない修理という不確実性にぼくは苛立ち、メーカーの対応を非難した。短時間で確実に新しい洗濯機を届けてくれるヨドバシ.comのサービスを賞賛した。
でも、その背後にいるメーカーの、そしてヨドバシの人々の人生だって、ぼくのと同じくらい不確実だろう。迅速で確実なサービスの裏側で、無数の誰かが確実性と不確実性のはざまにいるはずだ。
だからどうということはない。結論は特にない(今このことについて何かの結論を出す余裕はない)。これからもぼくは素晴らしい日本の確実なサービスを評価し、利用するだろう。確実であることは、素晴らしいことだ。
でも、そこには確かに忘れてはいけない何か、見逃してはいけない何かがある。
■
そんなことを思い返しつつ、電車の中でいろんなことを考える。
確実性と不確実性のはざまにいて「タスク管理」しようとすることの意味について。
持続可能なシゴトのあり方ということについて。
「欲望」を生活の中に組み込むことについて。
こんな歳になっても、人生のごくごく基本的なことさえ、ぼくは理解も納得もできていない。
■
※今日は休みの日だったけど、Tomo.さんの体調が良かったので病院の帰りに外でごはんも食べられたし、久しぶりに少し息抜きできたよ※
といっても、一昨年と違うのは原因がわかっていること。
しばらく中止していたヘビーな治療を復活したから。ヘビーな治療はなにしろヘビーなので、当然体への負担も大きい。そのせいだ。
だから一昨年よりはずっと気持ちは楽だけど、もちろん本人は大変だ。そして本人が大変ということは、家族だって大変だ。
だけどこれは、良くなるための過程で超えなければならない壁のようなもの。もっとずっとひどい状況を何回も超えてきたし、何よりも既に明らかに良くなってきている部分もある。
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といってもこの年度末に、ただでさえ人手が足りない中で、完全に休んでしまうことは(それも突然に)さすがにできず、原則として週に2日休み、3日出社することにした。
でももちろん、そんなに都合よく思い通りにことが運ぶはずがない。シゴトの都合にカラダが合わせてくれるなんていうことはない。出社することにした曜日に体調が最悪ということもある。
よくタイミング悪く体調を崩した人に対して「プロとして自己管理が」というようなことが言われる。それは一面の真実ではあるけれど、一歩間違えば極めて傲慢な物言いになることだけは忘れないようにしよう。
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今いる場所を言葉にするとすれば「確実性と不確実性のはざま」というのがいちばん近いかもしれない。
シゴトは、当たり前だけど確実性の世界。逆に人のカラダと付き合うことは不確実性の世界だ。その間を行き来するというのは、当たり前だけどなかなかに難しい。
むろんそれは、子育てをしながら、あるいは家族の介護をしながらシゴトを続けている人などは、身に染みてわかっていることだと思う。
ぼく個人の例でいえば、この状況に対して職場も同僚も理解をしてくれるという、本当に恵まれたありがたい状況にある。
それでも「生きる」ということの大半は不確実なものだ。それを強引に確実なものとすることで、シゴトというものは、あるいは社会というものは成り立っているのだと痛感せずにはいられない。
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という状況の中で、洗濯機が壊れた(ふんだり蹴ったりというやつだけど、よくあること)。洗濯の途中、洗濯物がたっぷりと水を吸ったところで動かなくなった。それが今週の月曜日のこと。
メーカーに修理依頼の電話をしようとしても、当然のごとくフリーダイヤルは「ただいま大変混み合っていて」繋がらない。
三時間試みたところで諦めて購入した販売店に電話し、販売店経由でメーカーに連絡してもらい、メーカーの担当者から連絡をもらうという手順でなんとか修理の依頼はできた(そこまでで火曜の夕方までかかった)。
そしてもらった回答は、「修理にうかがえるのは最短で金曜日」というもの。
あり得ない。今の状況で金曜まで洗濯できないというのは、どう考えても選択肢にない。
とりあえずたっぷり水を吸った大量の洗濯物をコインランドリーまで持っていこうとしたけど、あまりにも重く、何よりも洗い上がりと乾燥をコインランドリーで待ってる時間がない。しかも翌日も翌々日もそれをしなければならない……無理だ。そもそも水曜、木曜は出社だし。
仕方なく新しい洗濯機を買うことにする。修理すればまだ使えると思うけど、もったいと思うけど、お金かかると思うけど、仕方がない。
いちばん近い量販店に確認したら、納品は最短で翌々日。つまり木曜日。その日は出社の予定だから、これもダメ。
いろいろ探したあげく、ヨドバシ.comが家電製品の即日配達をやっていることがわかり、そこで購入することにした。
火曜日の深夜にオンラインで購入し、予定どおり水曜の夕方に配達に来て(結局水曜は追加で休むことにした)、10分で設置・リサイクル引き取りまで完了。夜にはたまった洗濯物の洗濯&乾燥まで無事に完了した。
ヨドバシさん、本当に本当に涙が出るほどありがたかった。木曜はさすがに休めなかったので、もし木曜まで配達できないと言われたらアウトだった。
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だけどここでふと考える。
ぼくが涙が出るほどありがたかったもの。それはスピード、そして確実性だ。
確実性と不確実性のはざまで、不確実な人生をカバーするために、ぼくはサービスを買った。顧客として、ぼくはそこに確実性を強く期待したし、一切の不確実性を認めなかった。
実際、修理を依頼したときの、いつ繋がるのかわからない電話、いつ来るのかわからない修理という不確実性にぼくは苛立ち、メーカーの対応を非難した。短時間で確実に新しい洗濯機を届けてくれるヨドバシ.comのサービスを賞賛した。
でも、その背後にいるメーカーの、そしてヨドバシの人々の人生だって、ぼくのと同じくらい不確実だろう。迅速で確実なサービスの裏側で、無数の誰かが確実性と不確実性のはざまにいるはずだ。
だからどうということはない。結論は特にない(今このことについて何かの結論を出す余裕はない)。これからもぼくは素晴らしい日本の確実なサービスを評価し、利用するだろう。確実であることは、素晴らしいことだ。
でも、そこには確かに忘れてはいけない何か、見逃してはいけない何かがある。
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そんなことを思い返しつつ、電車の中でいろんなことを考える。
確実性と不確実性のはざまにいて「タスク管理」しようとすることの意味について。
持続可能なシゴトのあり方ということについて。
「欲望」を生活の中に組み込むことについて。
こんな歳になっても、人生のごくごく基本的なことさえ、ぼくは理解も納得もできていない。
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※今日は休みの日だったけど、Tomo.さんの体調が良かったので病院の帰りに外でごはんも食べられたし、久しぶりに少し息抜きできたよ※
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