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26歳、35歳、45歳 [Diary]

精神年齢測定をやってみたら「26歳」だった。

まあそんなもんでしょ、くらいに思ってたのだけど。

ちょうどfinalventさんの「考える生き方」を読んでいたところで、次の文章が目にとまった。
35歳で心の成長が止まったような気がするのだ。翌年の36歳に結婚したからかもしれない。結婚前と結婚後と、何か別の自分が二人いるような感じがする。

それでちょっとどきっとした。26歳って、ぼくが結婚した年齢だ。

26歳で結婚した後は、ほとんどずっと闘ってきた気がする。闘ってきたというとかっこつけすぎな気がするので言い直すと、じたばたしていたというのがいちばん近い(英語でいうとstruggleという言葉のイメージなんだけど、これも日本語にうまく感覚を移せない言葉のひとつ)。

その前は、口でどれだけえらそうなことを言おうと、子どもと同じだった。だから確かに26歳にひとつの区切りがある。結婚前後で別々の自分がいるというfinalventさんの感覚はよくわかる気がする。冒頭の精神年齢鑑定の結果は意外に信憑性があるのかもしれない。



じゃあ今の自分の実感年齢(という言葉を便宜的に使う)が26歳かというと、そんなことはない。いちばんしっくりくる年齢は35歳。

考えてみると、35歳というのは自分が「大人」なのだとはじめて心の底から自覚した年齢だ。そんな歳まで大人の自覚がなかったのかと言われると、なかったんです。正確に言うと、自覚はあったけど実感がなかった。自信をもってそう主張することができなかった。

当たり前だけどハタチになったから大人になるわけではない。童貞や処女を捨てたから大人になるわけではない。社会人になったから大人になるわけではない。結婚したから大人になるわけでもない。

そうしたポイントを通過するごとに否応なく大人とみなされたり、大人らしく振る舞ってみたり、まだポイントを通過してない人に対してそれらしいことを言ってみたりもする。でも実感として自分が大人であると感じられるかどうかはそれとはまったく別の問題だ。

自分の感覚としては26歳で結婚してから35歳までの間、じたばたとブラックボックス(結婚とか病気とかお金とか生活とか仕事とかが入り交じった箱みたいなもの)の中を通過して、気がつくと35歳で、自分が大人であると迷わず言えるようになっていた、みたいな感じ。

35歳は今の職場に勤めるようになった歳でもある。それ以前は、同じ職場で2年以上働いたことはなかったし、そもそも仕事してなかった時期だってあった。10年も同じ職場で働けるなんて思ってもみなかった。いつの間にか、そういうことができるようになっていたのだ。そんな変化は、確かに「大人になった実感」と無関係ではないのかもしれない。

そして、自分の「実感年齢」は、そこから先に進んでいない。



最近、生まれて初めて「歳をとったな」と感じることがあった(ひとつの出来事というよりも、いくつかの出来事が重なって)。その本当の意味は今の時点ではわからないけど、もしかしたら後々になって、実年齢45歳のポイントが区切りだったとか思うのかもしれない。



「僕は昔は人間というものは一年一年順番に歳をとっていくんだと思ってた」
——村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」

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