知的生産と能率の風景 [Diary]
アメリカで通っていた小学校の、正面入り口を入ったすぐ横に、「オフィス」と呼ばれる部屋があった。
オフィスは事務室と受付を兼ねたような部屋で、そこではデボラさんという黒人の女の人がいつもタイプライターを叩いていた。事務責任者兼校長秘書みたいな感じの人だったと思う。
オフィスにはいろんな素敵なもの(巨大なバインダーとかステープラーとかリーガルパッドとか)があった。ぼくはそこでデボラさんが仕事をする様子を見ているのが好きだった。
ある日の放課後、担任の先生に呼ばれた。何か手続に関することで学校からぼくの両親に伝えることがあるとかで、帰りがけにオフィスに寄って手紙を受け取っていくようにということだった。
言われた通りオフィスに行くと、デボラさんは「まだできてないからちょっとそこで待っててね」と言った。
デボラさんはまず大きなキャビネットを開き、「T」のところから一冊の薄いクリーム色のファイルを取り出した。ファイルの耳のところにはぼくの名前が書いてあった。彼女は挟んであった書類にさっと目を通し、今度はデスクの隅に置かれた小さな木の箱から青いカードを何枚か取り出した。
1枚のカードを目の前に置くと黒いペンで何か書きつけ、すぐ次のカードを取り出した。そんな感じで次々と7〜8枚のカードを書いた。どれも殴り書きという感じで何が書いてあるのかはわからなかった。
やがてデボラさんは書き終わったカードを集めて目の前に広げ、何枚かを入れ替え、しばらく眺め、また何枚かを入れ替えた。
そんな作業をしばらく繰り返した後、頷いて「これでよし(That should be good)」とつぶやいてにっこり微笑み、カードを傍らに置いておもむろにタイプを打ち始めた。キャリッジリターンの小気味よい音を一定の間隔で響かせながら、よどみなく、ほとんど変わらないペースで。
数分もしないうちにデボラさんは紙を引き抜くと、2枚重ねになっていたその紙の下の1枚をさっき出してきたぼくの名前の入ったファイルに挟み、元のキャビネットにしまった。そして残った1枚を不器用な手つきで折りたたんで封筒に入れ、「はい(there!)」と言ってぼくに渡してくれた。
はじめから終わりまで10分もかからなかった。今から手紙を書くというから30分くらい待たされるのかと思っていたので、とても驚いた。
それはおそらくぼくがはじめて目にした「知的生産」の、そして欧米的「能率」の風景だったのではないかと思う。その風景にぼくは強い憧れを抱くようになった。
それが、やがて日本の学校の職員室で、ヒモでしばって袋詰めされた原稿用紙の束を見たときの失望にもつながるんだけど、それはまた別の話、ね。
オフィスは事務室と受付を兼ねたような部屋で、そこではデボラさんという黒人の女の人がいつもタイプライターを叩いていた。事務責任者兼校長秘書みたいな感じの人だったと思う。
オフィスにはいろんな素敵なもの(巨大なバインダーとかステープラーとかリーガルパッドとか)があった。ぼくはそこでデボラさんが仕事をする様子を見ているのが好きだった。
ある日の放課後、担任の先生に呼ばれた。何か手続に関することで学校からぼくの両親に伝えることがあるとかで、帰りがけにオフィスに寄って手紙を受け取っていくようにということだった。
言われた通りオフィスに行くと、デボラさんは「まだできてないからちょっとそこで待っててね」と言った。
デボラさんはまず大きなキャビネットを開き、「T」のところから一冊の薄いクリーム色のファイルを取り出した。ファイルの耳のところにはぼくの名前が書いてあった。彼女は挟んであった書類にさっと目を通し、今度はデスクの隅に置かれた小さな木の箱から青いカードを何枚か取り出した。
1枚のカードを目の前に置くと黒いペンで何か書きつけ、すぐ次のカードを取り出した。そんな感じで次々と7〜8枚のカードを書いた。どれも殴り書きという感じで何が書いてあるのかはわからなかった。
やがてデボラさんは書き終わったカードを集めて目の前に広げ、何枚かを入れ替え、しばらく眺め、また何枚かを入れ替えた。
そんな作業をしばらく繰り返した後、頷いて「これでよし(That should be good)」とつぶやいてにっこり微笑み、カードを傍らに置いておもむろにタイプを打ち始めた。キャリッジリターンの小気味よい音を一定の間隔で響かせながら、よどみなく、ほとんど変わらないペースで。
数分もしないうちにデボラさんは紙を引き抜くと、2枚重ねになっていたその紙の下の1枚をさっき出してきたぼくの名前の入ったファイルに挟み、元のキャビネットにしまった。そして残った1枚を不器用な手つきで折りたたんで封筒に入れ、「はい(there!)」と言ってぼくに渡してくれた。
はじめから終わりまで10分もかからなかった。今から手紙を書くというから30分くらい待たされるのかと思っていたので、とても驚いた。
それはおそらくぼくがはじめて目にした「知的生産」の、そして欧米的「能率」の風景だったのではないかと思う。その風景にぼくは強い憧れを抱くようになった。
それが、やがて日本の学校の職員室で、ヒモでしばって袋詰めされた原稿用紙の束を見たときの失望にもつながるんだけど、それはまた別の話、ね。
この記事を読んで、頭に浮かんだことです。
・かっこえー!(注:封筒に入れるのが不器用なとこも含む)。
・プロとしての自信とこだわり、そして謙虚さ。
・作文は表現であるが、システム化できる部分もかなり大きい。
・情報処理システムの歴史の重さ。
・そこで培われていたシステム(の哲学?)は、その後無事に、デジタル化の中を生きのびたんだろうか。
・うまいことソフトウェアになったんだろうか(そういえば、アウトライナーの歴史はカード型情報処理からって読んだ気がする。でも、それはまだ納得してない..)。
・このシステムが、ワープロ、表計算、プレゼンスライド用ソフトウェアの普及で、なくなったり、ちがう方向に進んだりしてないだろうか。少しだけ(余分な)心配。
・昔の日本、たとえば江戸時代や明治に、これに匹敵するシステムはなかったのだろうか。
・ありそうな気がするけど、ま、それは関係ないか。
by gofujita (2014-07-27 11:48)
gofujitaさん
おそらくこういうものを日本で最初に一般に紹介したのが、梅棹忠夫だったんだと思います。
コンピュータ以前の時代のこういうシステムの利用の歴史が、コンピュータ以降も差として残ってる気はしますね。
それから、今日のアウトライナーの歴史はプログラミング用エディタと紙の上でのアウトライン作成の伝統が出会ったところから始まったのはたぶん間違いないと思います(ただしそれ以前にダグラス・エンゲルバートが自身のシステムの中で突発的に発明しています)。
紙のアウトライン作成の補助にカードが使われていたことを思えば、無関係ではないのかもしれません。
by Tak. (2014-07-29 20:17)
Tak.さん。
アウトライナー史の記事を読み直しました。ATPM (http://www.atpm.com/9.09/atpo.shtml) でした。これもTak.さんの記事からハマったサイトです。
おっしゃるとおり、アプリのアウトライナーではなく、「アウトライニングには、コンピュータ以前の歴史があり、(中略..) そこでは、アイディアを 3 x 5 インチのノートカードに集め、並び替える作業を意味していた..」とありました。広い意味でアウトライナーの始まりという内容ですが、誤解をよぶ書き方をしたかも知れません。ごめんなさい。
個人的には、20 年以上前にプログラミング言語の Pascal と C++ を勉強し、このやり方がアイディア構造化や文章作成、タスク管理に使えるのではと思ったのが、アウトライナー探しのきっかけでした (Basic もやったのですが、そのときには気づかなかったのがおもしろい..)。Word5 を手始めに、Macのファインダまで使ったこともありました (笑)。
なので、
> アウトライナーの歴史はプログラミング用エディタと紙の上でのアウトライン作成の伝統が出会ったところから始まった
この点は、すごく納得しています。
by gofujita (2014-07-30 14:30)