希望でもあり絶望でもあること [Diary]
自分の主義主張を声高に叫んだり、頭ごなしに他人に押しつけたりする人をみるたびに、あなたたちはどうしてそんなにおめでたいのかと思う。
頭の中で何かを考える。そしてなにがしかの結論を出す。それは疑いようのない確固としたものに思える。そうして得た結論は、ある場合には「信念」として長年にわたって自分の行動を左右する。
でも、アウトライナーを長年使っているなかで学んだことは、主張なんて簡単に反転してしまう、ということだ。
たとえば人を説得しようとして、自分の出した結論、そこにいたる筋道をアウトライナーに取り込んでみる。そしてあれこれとアウトラインを操作する。
滑らかに気持ち良く流れるように文章を整える。引っかかりがあったり冗長だったりするところを滑らかに磨いていく。その過程でロジックを入れ替える(もっと気持ちいいように)。そして気がついてみると、結論がまったく逆になっている。
そんなことを何度も経験しているうちに、自分が長年信じてきたことも、もしアウトライナー(それはロジックを流動化する装置だ)に取り込んだらあっけなく崩れてしまうのではないかと思うようになった。
ひょっとしたら、結論なんてその程度のものなのではないかと。その感覚は自分の肌感覚の中にくっきりと埋め込まれている。
この間後輩にそんな話をしていたら、それってつまりどんな結論も信用できないってことですよね。けっこう絶望的な話ですね、と言われた。
そう言われれば、たしかに絶望的なような気もするな。
でもそこであらためて不思議だなと思ったのは、ぼくはそのことを希望だとばかり思っていたということだ。
「流動的ですね」
うむ、そのとおり。
頭の中で何かを考える。そしてなにがしかの結論を出す。それは疑いようのない確固としたものに思える。そうして得た結論は、ある場合には「信念」として長年にわたって自分の行動を左右する。
でも、アウトライナーを長年使っているなかで学んだことは、主張なんて簡単に反転してしまう、ということだ。
たとえば人を説得しようとして、自分の出した結論、そこにいたる筋道をアウトライナーに取り込んでみる。そしてあれこれとアウトラインを操作する。
滑らかに気持ち良く流れるように文章を整える。引っかかりがあったり冗長だったりするところを滑らかに磨いていく。その過程でロジックを入れ替える(もっと気持ちいいように)。そして気がついてみると、結論がまったく逆になっている。
そんなことを何度も経験しているうちに、自分が長年信じてきたことも、もしアウトライナー(それはロジックを流動化する装置だ)に取り込んだらあっけなく崩れてしまうのではないかと思うようになった。
ひょっとしたら、結論なんてその程度のものなのではないかと。その感覚は自分の肌感覚の中にくっきりと埋め込まれている。
この間後輩にそんな話をしていたら、それってつまりどんな結論も信用できないってことですよね。けっこう絶望的な話ですね、と言われた。
そう言われれば、たしかに絶望的なような気もするな。
でもそこであらためて不思議だなと思ったのは、ぼくはそのことを希望だとばかり思っていたということだ。
「流動的ですね」
うむ、そのとおり。
>アウトライナー(それはロジックを流動化する装置だ)
これを見てreverse outliningというものを思い出しました。
[Recursive outlining and writing](http://drandus.wordpress.com/2012/11/23/recursive-outlining-and-writing/)
最近ハイパーテキストに興味があって、今「ライティングスペース」を読んでいます。この本の36頁にこんな一節があります。
>「或る一つの単語はもう一つの単語へと反響する。或る一つの文なり段落なりがそのテキストの中で既に現れた他の文や段落を想起させ、更にまた別の文・段落を期待させる。書き手は連想によって書くしかないのだ。…(中略)…
印刷テキストはページや章といった階層秩序をあらわにするが、その根底にあって表だって現れているものとは異なるつながりを連想関係は示してくる。こうした、表面上のそれと別のつながりは、テキストの背後のテキストといったものを形作る。」
私は小さい頃、辞書を読むのが好きな子供だったのですが、辞書を読みながら何を読んでいたかというと、自分の頭の中に浮かぶ連想を辞書を通して読んでいたのですね。いつもハイパーテキスト的読書でした(笑)。
大人になるにつれ、アウトライナーが自分にとって重要なものだと認識するようになったのは、それが「自分の中でどんなふうにロジックを流動化してもいいんだ」という安全弁の役割を果たしてくれる気がしたからかもしれません。
by cube (2014-08-26 09:19)
cubeさん
このサイトは知らなかった!
他の記事も読みでありそうですね。
(よく見たらTaking noteつながりか!)
「ライティング・スペース」のその部分はぼくも大好きです。組み立て方によって先がどんどん変わってきてしまうというのはまさに書き手としての「期待」が変わってきちゃうからなんですよね。
辞書というのは(もっと広く言うと索引付きの書物は)、紙の世界で最大限にハイパーテキストを実現したものなんでしょうね。「知識の体系を解体してアルファベット順に並べ替えたのが百科辞典」という話がありましたが、それによって体系を超えた(ハイパーな)読み方が可能になる、ということで。
安全弁としてのアウトライナーというのは、よくわかる気がします。
「今はこういうカタチだけど、これは流動的なものであり、その気になればどうにだって変形できる」という感覚があるからこそ「固定」できる(完成した文章として公開できる)、という感覚は確かにあります。
by Tak. (2014-08-26 20:16)
Tak.さん
> 滑らかに気持ち良く流れるように文章を整える。..そして気がついてみると、結論がまったく逆になっている。
ぼくは、このロジックに教えられるプロセスが大好きです。そして、この経験を何度も積めば、絶望的と思っている人も自分の主張を押しつける人も、きっと流動的であることの大切さに気づいてくれるのでは、と楽観的に考えています。
この世界が固定された結論でできた固定されたものだとしたら、絶望はしませんが、ちょっとがっかりですよね。ちがうかな..。
by gofujita (2014-08-27 19:39)
cube さん、Tak.さん
> テキストの背後のテキスト
!!。これは今のアウトライナーでも難しいかも知れませんね。いや、できるかな..? これを明示的に目指したソフトウェアや電子書籍が、出て欲しい..。
cubu さんが紹介されたサイトも「ライティング・スペース」も、読もうと思いつつそのままにしてました。これまた楽しみが増えました。
by gofujita (2014-08-27 19:41)
gofujitaさん
結論は固定されていないということは理屈としてわかっていても、世の中に普通に関わってるとなかなか実感できないんですよね。
でも文章を書いてると(特にアウトライナーで書いてると)それをありありと実感します。
by Tak. (2014-09-01 08:36)