同じネタの差分、日記に書かれないコア [Diary]
最近あるきっかけで、自分でもすっかり忘れていた数年前のエントリーを数ヶ月分読み直してみたら、呆れるくらい同じことを繰り返し書いていた(うすうすわかってはいたけどちゃんと確認したことはなかった)。
ついこの間のエントリーでも、ほとんど同じことを書いたものが2009年にあった。他にも3回4回と繰り返しているネタがいくつかある。別に使い回しをしてるわけではなく、毎回新鮮な気持ちで書いてるんだけど(以前書いたことを忘れているともいう)。
そして興味深かったのは、同じネタを扱ってるエントリーの同じでない部分。その「差分」に着目すると、この数年間に自分が何をなくして何を得たのかということが、ありありとわかる。
それを知ることは、もしかしたらすごく意味のあることかもしれない。良くも悪くも。
■
こういう役割って本来は「日記」が担うものだ。でも人に見せる前提で書かれた文章には、不思議なことに「日記」には決して書かない自分のコアに直結するようなことを書いていたりする。
それはおそらくリズムとメロディを編集すること、そして「伝えたい」にとても近いけど少し違うある種の意思の存在に関係しているはずだ。
ついこの間のエントリーでも、ほとんど同じことを書いたものが2009年にあった。他にも3回4回と繰り返しているネタがいくつかある。別に使い回しをしてるわけではなく、毎回新鮮な気持ちで書いてるんだけど(以前書いたことを忘れているともいう)。
そして興味深かったのは、同じネタを扱ってるエントリーの同じでない部分。その「差分」に着目すると、この数年間に自分が何をなくして何を得たのかということが、ありありとわかる。
それを知ることは、もしかしたらすごく意味のあることかもしれない。良くも悪くも。
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こういう役割って本来は「日記」が担うものだ。でも人に見せる前提で書かれた文章には、不思議なことに「日記」には決して書かない自分のコアに直結するようなことを書いていたりする。
それはおそらくリズムとメロディを編集すること、そして「伝えたい」にとても近いけど少し違うある種の意思の存在に関係しているはずだ。
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