アウトラインの外へ [アウトライナー]
こちらの記事を読んで。
Escape from that outline (そのアウトラインをすてろ)
ここでは文章を書くこと、特にアウトライナーを使って文章を書くことを考える上で、とても重要な指摘がされている。それは、アウトライナーの恩恵を受けながら、アウトラインの存在を忘れることの重要性だ(大変興味深い記事です)。
■
ずいぶん前のことだけど、何人かのアウトライナー嫌いの人(いちおうアウトライナーのなんたるかは知っている人)と話をする機会があった。
多くの人は「アウトラインに引きずられて自由に書けなくなる」感覚をいちばん嫌っている、あるいは違和感を感じているようだった。
これはまったくその通りで、少なくとも文章を書くという作業に関するかぎり、アウトライナーをうまく使うポイントは、いかにアウトラインに縛られないかということなのだ。
響きとしてとても矛盾しているようだけど、アウトライナー使いの方なら、特に長文をアウトライナーで書く方なら、たぶん納得してもらえるんじゃないかという気がする。
文章に力を与えるのは、あるいはブレイクスルーさせてくれるのは、論理や計画を飛び越えた何かであることが多い。それはたとえ論理的な構造を持った文章であっても同じことだ。
冒頭で紹介したgofujitaさんの記事では、アウトラインをベースにしながら「一度アウトラインの形を外してみる」ことが提案されている。これはまさにアウトライナーの恩恵を受けながら、論理や計画を飛び越えた何かを取り込むための方法なのだと思う。
ぼく自身でいえば、ボトムアップとトップダウンを意識的に繰り返す(「シェイク」する)ことがそのための方法だ。
■
そこで思い出したのは、昔ライターの山名一郎さんが『マックユーザーのための「知」のコンピュータ活用術』という本で紹介していた方法だ。
山名さんはアウトライナーのヘビーユーザーであり、もちろん原稿書きにもアウトライナーを活用している(ただし同書は1995年の本なので、現在の山名さんがどのような環境で執筆されているのかはわからない)。
山名さんのアウトライナーの使い方でとても興味深く思ったのは、原稿を書くときにアウトライナーのウィンドウとワープロのウィンドウを並べて開き、アウトラインを横目で見つつ、ゼロからワープロで書き起こしていくということだ。それもブログ記事とかではなく、書籍一冊分の原稿だ。
そして、山名さんのアウトラインは見出しやキーワードだけではない。かなり書き込まれた、限りなく原稿そのものに近いアウトラインだ。一見するとそのままで(あるいはちょっと手直しすれば)原稿になりそうに思える。それでも山名さんはそうしない。
ちょっと考えると効率が悪いような気がするし、時代を逆行しているようにも思える。でも、今考えるととてもよくわかるけど、これもまた「アウトラインから逃げる」ための方法なのだ。
アウトラインはあくまでもガイドラインであり、決して文章そのものではない。文章が(ベースとなる何かを修正することではなく)、文章としてゼロから書き起こされたときにしか生まれない粘りやうねり、勢いというものは、確かに存在する。
そして何よりも、山名さんはこの方法によって、アウトラインを使いながら、自覚的にアウトラインの外に出ている。
ならばここでのアウトラインは無駄なのかというと、そんなことはない。アウトラインがなければ、その文章は書かれなかったはずの文章なのだ。
※
ちなみに、同じような方法を林信行さんも書かれていたと思う。
Escape from that outline (そのアウトラインをすてろ)
ここでは文章を書くこと、特にアウトライナーを使って文章を書くことを考える上で、とても重要な指摘がされている。それは、アウトライナーの恩恵を受けながら、アウトラインの存在を忘れることの重要性だ(大変興味深い記事です)。
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ずいぶん前のことだけど、何人かのアウトライナー嫌いの人(いちおうアウトライナーのなんたるかは知っている人)と話をする機会があった。
多くの人は「アウトラインに引きずられて自由に書けなくなる」感覚をいちばん嫌っている、あるいは違和感を感じているようだった。
これはまったくその通りで、少なくとも文章を書くという作業に関するかぎり、アウトライナーをうまく使うポイントは、いかにアウトラインに縛られないかということなのだ。
響きとしてとても矛盾しているようだけど、アウトライナー使いの方なら、特に長文をアウトライナーで書く方なら、たぶん納得してもらえるんじゃないかという気がする。
文章に力を与えるのは、あるいはブレイクスルーさせてくれるのは、論理や計画を飛び越えた何かであることが多い。それはたとえ論理的な構造を持った文章であっても同じことだ。
冒頭で紹介したgofujitaさんの記事では、アウトラインをベースにしながら「一度アウトラインの形を外してみる」ことが提案されている。これはまさにアウトライナーの恩恵を受けながら、論理や計画を飛び越えた何かを取り込むための方法なのだと思う。
ぼく自身でいえば、ボトムアップとトップダウンを意識的に繰り返す(「シェイク」する)ことがそのための方法だ。
■
そこで思い出したのは、昔ライターの山名一郎さんが『マックユーザーのための「知」のコンピュータ活用術』という本で紹介していた方法だ。
山名さんはアウトライナーのヘビーユーザーであり、もちろん原稿書きにもアウトライナーを活用している(ただし同書は1995年の本なので、現在の山名さんがどのような環境で執筆されているのかはわからない)。
山名さんのアウトライナーの使い方でとても興味深く思ったのは、原稿を書くときにアウトライナーのウィンドウとワープロのウィンドウを並べて開き、アウトラインを横目で見つつ、ゼロからワープロで書き起こしていくということだ。それもブログ記事とかではなく、書籍一冊分の原稿だ。
そして、山名さんのアウトラインは見出しやキーワードだけではない。かなり書き込まれた、限りなく原稿そのものに近いアウトラインだ。一見するとそのままで(あるいはちょっと手直しすれば)原稿になりそうに思える。それでも山名さんはそうしない。
ちょっと考えると効率が悪いような気がするし、時代を逆行しているようにも思える。でも、今考えるととてもよくわかるけど、これもまた「アウトラインから逃げる」ための方法なのだ。
アウトラインはあくまでもガイドラインであり、決して文章そのものではない。文章が(ベースとなる何かを修正することではなく)、文章としてゼロから書き起こされたときにしか生まれない粘りやうねり、勢いというものは、確かに存在する。
そして何よりも、山名さんはこの方法によって、アウトラインを使いながら、自覚的にアウトラインの外に出ている。
原稿は書きながら考えるみたいなところがあり、筆の運び方によってはアウトラインプロセッサを作成した段階には想定もされていなかった予想外の展開になることも大いにありうる。そういった勢いや流れを拒否せずむしろ身を委ねるべきだろう。
ならばここでのアウトラインは無駄なのかというと、そんなことはない。アウトラインがなければ、その文章は書かれなかったはずの文章なのだ。
※
ちなみに、同じような方法を林信行さんも書かれていたと思う。
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