アウトラインの中の切り捨てられた可能性たちとその死 [アウトライナー]
文章を書くとき(あるいは文章を書くことを通じて考えるとき)、考えていることや頭に浮かんだことのうち、言葉にできることはほんのわずかだろう。そして、アウトプットできるのはそのまたほんのわずかだ。
その中間領域にある「言葉にはしたけどアウトプットされなかったもの」にとても興味がある。自分についても他人についても。
背景にある「アウトプットを前提に言葉にはしたけれどアウトプットされなかったもの」が多いほど、アウトプットされたものの奥行きが増すという理屈を思いついたけど、実際にそうなのかどうかはわからない。
■
未完成の文章やその断片は、すべてひとつの巨大なアウトラインに入れておく。アウトラインを操作しているうちに、思いついたことや考えたことの断片が集合離反し、成長を始める。そして人に見せられるまでに形になった部分がアウトプットされる。
アウトラインの中には、言葉にはされたけれど最終的なアウトプットから切り落とされた「中間領域の言葉」が残る。それは文章にする過程で、あるいは何か結論を求めて思考する過程で切り落とされた可能性たちだ。
切り落とされたからと言って、それらに価値がないわけではない。文章(もしくは結論を持った思考)というリニアな性質を持ったものを完成させるために、たまたま選ばれなかったというだけだ。
実際、そんな「中間領域の言葉」を眺めていると、もしこちらを採用していたら(アウトプットは)ずいぶん違う形になったかもしれないと思うこともある。アウトプットしてから時間が経ったものについては、今だったらこちらを選ぶのにと感じるものも。
中には、それがかつてアウトプットに際して切り落とされた「中間領域の言葉」だということ自体を忘れてしまって(別に記録を取ってるわけじゃないから)、アウトラインの中で再度成長を始め、最終的にアウトプットされるものもある。
このブログに複数ある「同じことを書いてる微妙に内容の違う記事」は、そうして生まれることが多い。
■
あるいはまた、可能性をはらんだままずっとアウトラインの中に入ったままの「中間領域の言葉」もある。いつか何かの形でアウトプットされるのか、最後まで可能性のままなのかはわからない。
ところでこの場合の「最後」っていったいなんなのだろう、とずっと思ってたのだけど。
■
ついこの間、アウトラインの中のずーっと末尾の方に溜まっていた古い断片をまとめて消した。
おそらく5年以上前のもので、読んでいてどう考えてもこの先成長を始めることはないだろうと思えたもの。つまりもう何の可能性もはらんでいないもの。
ほんの数年前には自分にとってリアリティがあった(はずの)言葉が、この先自分の人生に意味を持たないだろうと確信できたり。
今の自分の考えと明白に違っていたり。
今の自分なら使わないだろう言葉だったり。
もうその段階には戻れない(つまり若い)と感じる内容だったり。
「ひとつのアウトライン」を長年維持し続けることではじめて見えてきたこと。そしてそのことを通じて、自分にとっての時間の経過(とその意味)をひしひしと感じてみたりも。
その中間領域にある「言葉にはしたけどアウトプットされなかったもの」にとても興味がある。自分についても他人についても。
背景にある「アウトプットを前提に言葉にはしたけれどアウトプットされなかったもの」が多いほど、アウトプットされたものの奥行きが増すという理屈を思いついたけど、実際にそうなのかどうかはわからない。
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未完成の文章やその断片は、すべてひとつの巨大なアウトラインに入れておく。アウトラインを操作しているうちに、思いついたことや考えたことの断片が集合離反し、成長を始める。そして人に見せられるまでに形になった部分がアウトプットされる。
アウトラインの中には、言葉にはされたけれど最終的なアウトプットから切り落とされた「中間領域の言葉」が残る。それは文章にする過程で、あるいは何か結論を求めて思考する過程で切り落とされた可能性たちだ。
切り落とされたからと言って、それらに価値がないわけではない。文章(もしくは結論を持った思考)というリニアな性質を持ったものを完成させるために、たまたま選ばれなかったというだけだ。
実際、そんな「中間領域の言葉」を眺めていると、もしこちらを採用していたら(アウトプットは)ずいぶん違う形になったかもしれないと思うこともある。アウトプットしてから時間が経ったものについては、今だったらこちらを選ぶのにと感じるものも。
中には、それがかつてアウトプットに際して切り落とされた「中間領域の言葉」だということ自体を忘れてしまって(別に記録を取ってるわけじゃないから)、アウトラインの中で再度成長を始め、最終的にアウトプットされるものもある。
このブログに複数ある「同じことを書いてる微妙に内容の違う記事」は、そうして生まれることが多い。
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あるいはまた、可能性をはらんだままずっとアウトラインの中に入ったままの「中間領域の言葉」もある。いつか何かの形でアウトプットされるのか、最後まで可能性のままなのかはわからない。
ところでこの場合の「最後」っていったいなんなのだろう、とずっと思ってたのだけど。
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ついこの間、アウトラインの中のずーっと末尾の方に溜まっていた古い断片をまとめて消した。
おそらく5年以上前のもので、読んでいてどう考えてもこの先成長を始めることはないだろうと思えたもの。つまりもう何の可能性もはらんでいないもの。
ほんの数年前には自分にとってリアリティがあった(はずの)言葉が、この先自分の人生に意味を持たないだろうと確信できたり。
今の自分の考えと明白に違っていたり。
今の自分なら使わないだろう言葉だったり。
もうその段階には戻れない(つまり若い)と感じる内容だったり。
「ひとつのアウトライン」を長年維持し続けることではじめて見えてきたこと。そしてそのことを通じて、自分にとっての時間の経過(とその意味)をひしひしと感じてみたりも。
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