イメージに現実を、タスクリストに意思を [アウトライナー]
自慢じゃないけど、ぼくはいわゆる「タスク管理」については苦手意識を持っている。どこから見ても、タスク管理の達人と呼ばれるような人間ではまったくない。
でも、アウトライン・プロセッシングについて考えることを通じて、タスク管理についても考えさせられたこと、教えられたことががたくさんある。
■
たとえば、ツールや手法を問わず、日々のタスクを書き出すことをただ続けていると、リストはどんどん膨れあがってくるのが普通。
当たり前のようだけど、タスクリストに登録したタスクを全て消化できることはまずない(絶対に全て終わらないのがタスクリストだ)。
そして多くのタスクがリストの中で賞味期限切れになり、やがて削除されることになる(もしくは、賞味期限切れのまま居座り続けてリストを機能不全にさせる)。
不思議なのは、それでも大抵の場合大きな問題にはならないということ。いや、多少の問題と罪悪感はあるかもしれないけど、人生に重大な影響をもたらすことはまずない。でも、だとするとタスクリストっていったい何の意味があるのだろう、という積年の疑問。
で、アウトライン・プロセッシング的に意味のあるタスクリストについて。
■
当日の朝でも前日の夜でも、アウトライナーで今日のイメージ(今日はどんな一日になるのか、どんな一日にしたいのか)をフリーライティングしてみる。といっても毎日のことだからそんなに時間はかけない。せいぜい一段落。
コツは、箇条書きにしないで(それじゃもうひとつのタスクリストだ)、ラフでいいから「てにをは」のある文章にすること。項目を列記するのではなく、今日一日のイメージを文章化すること。
無理にポジティブなことを書く必要はないけど、自分としては今日はこういう一日にしたいという「心づもり」を言葉にしてみる。今日の日記を事前に書くつもりでというのがいちばん近いかもしれない。
もちろん、そんなものを書いてもきっとその通りになんかならない(現実は甘くない)。でも、能動的にイメージを描くことには確かに意味がある。
■
「今日一日のイメージ」を書き出したら、その下位階層に今日やるべきこと、今日やりたいことを、(元々書き出してあったであろう)タスクリストからコピーしてぶら下げてみる。
そして「今日のイメージ」と見比べながらすりあわせていく。自分の意思による「今日のイメージ」に近くなるように、タスクリストを調整する。
もともとリストにあったタスクは、自分の意思や願望とは関係なく降りかかってきたものが多いはずだ。つまり自分の意思とは関係ないものが多いはずだ。タスクリストに「今日のイメージ」につながるタスクがなければ、追加する。
逆に、今日中に完了することがマストなタスクが「今日のイメージ」と相容れないこともある(今日納品の仕事がどう考えても深夜までかかるようなら「仕事の後、芝居を観て楽しい」というイメージは成立しない)。ならば非現実的なイメージの方を変えていく必要がある。
こうして、能動的に描いたイメージとタスクリストの内容を相互にフィードバックさせながら、双方が現実的かつ納得いく状態に近づくように整えていく。イメージには現実を、タスクリストには能動的な意思を組み込んでいく。
これはつまりタスクリストをトップダウンとボトムアップから揺さぶること、つまり「シェイク」することだ。さらに言えば、タスクリストに対して「上位の階層を作る=階層を上がる」ことだ。
■
それでも現実は甘くないから、書き出した通りにはならない(うん、きっとならない)。特にクライアントや上司や同僚との関わりの中で進む仕事はそうだ。
それでも、タスクリストに基準となる上位階層が存在すること、それも自分の能動的な意思にもとづく上位階層が存在することと、単に降りかかってくるタスクをこなせたかこなせなかったかという基準しかないのとでは、何かが確実に違う。
全てが思う通りにならないのは当たり前だということを理解しながら(現実は甘くない)、それでも自分の意思が上位にあるのだと確認すること。
■
そしてこれは、既存のタスク管理の手法やツールを否定するものでもない。
タスク管理のための素晴らしい手法やツールはたくさんある。それらは、タスクの上位に自分の意思があってはじめて意味を持つ、と思う。決してタスクをさばくためのものではなく、自分の意思と現実を近づけるためのもののはずだ。
ね?
でも、アウトライン・プロセッシングについて考えることを通じて、タスク管理についても考えさせられたこと、教えられたことががたくさんある。
■
たとえば、ツールや手法を問わず、日々のタスクを書き出すことをただ続けていると、リストはどんどん膨れあがってくるのが普通。
当たり前のようだけど、タスクリストに登録したタスクを全て消化できることはまずない(絶対に全て終わらないのがタスクリストだ)。
そして多くのタスクがリストの中で賞味期限切れになり、やがて削除されることになる(もしくは、賞味期限切れのまま居座り続けてリストを機能不全にさせる)。
不思議なのは、それでも大抵の場合大きな問題にはならないということ。いや、多少の問題と罪悪感はあるかもしれないけど、人生に重大な影響をもたらすことはまずない。でも、だとするとタスクリストっていったい何の意味があるのだろう、という積年の疑問。
で、アウトライン・プロセッシング的に意味のあるタスクリストについて。
■
当日の朝でも前日の夜でも、アウトライナーで今日のイメージ(今日はどんな一日になるのか、どんな一日にしたいのか)をフリーライティングしてみる。といっても毎日のことだからそんなに時間はかけない。せいぜい一段落。
コツは、箇条書きにしないで(それじゃもうひとつのタスクリストだ)、ラフでいいから「てにをは」のある文章にすること。項目を列記するのではなく、今日一日のイメージを文章化すること。
無理にポジティブなことを書く必要はないけど、自分としては今日はこういう一日にしたいという「心づもり」を言葉にしてみる。今日の日記を事前に書くつもりでというのがいちばん近いかもしれない。
もちろん、そんなものを書いてもきっとその通りになんかならない(現実は甘くない)。でも、能動的にイメージを描くことには確かに意味がある。
■
「今日一日のイメージ」を書き出したら、その下位階層に今日やるべきこと、今日やりたいことを、(元々書き出してあったであろう)タスクリストからコピーしてぶら下げてみる。
そして「今日のイメージ」と見比べながらすりあわせていく。自分の意思による「今日のイメージ」に近くなるように、タスクリストを調整する。
もともとリストにあったタスクは、自分の意思や願望とは関係なく降りかかってきたものが多いはずだ。つまり自分の意思とは関係ないものが多いはずだ。タスクリストに「今日のイメージ」につながるタスクがなければ、追加する。
逆に、今日中に完了することがマストなタスクが「今日のイメージ」と相容れないこともある(今日納品の仕事がどう考えても深夜までかかるようなら「仕事の後、芝居を観て楽しい」というイメージは成立しない)。ならば非現実的なイメージの方を変えていく必要がある。
こうして、能動的に描いたイメージとタスクリストの内容を相互にフィードバックさせながら、双方が現実的かつ納得いく状態に近づくように整えていく。イメージには現実を、タスクリストには能動的な意思を組み込んでいく。
これはつまりタスクリストをトップダウンとボトムアップから揺さぶること、つまり「シェイク」することだ。さらに言えば、タスクリストに対して「上位の階層を作る=階層を上がる」ことだ。
■
それでも現実は甘くないから、書き出した通りにはならない(うん、きっとならない)。特にクライアントや上司や同僚との関わりの中で進む仕事はそうだ。
それでも、タスクリストに基準となる上位階層が存在すること、それも自分の能動的な意思にもとづく上位階層が存在することと、単に降りかかってくるタスクをこなせたかこなせなかったかという基準しかないのとでは、何かが確実に違う。
全てが思う通りにならないのは当たり前だということを理解しながら(現実は甘くない)、それでも自分の意思が上位にあるのだと確認すること。
■
そしてこれは、既存のタスク管理の手法やツールを否定するものでもない。
タスク管理のための素晴らしい手法やツールはたくさんある。それらは、タスクの上位に自分の意思があってはじめて意味を持つ、と思う。決してタスクをさばくためのものではなく、自分の意思と現実を近づけるためのもののはずだ。
ね?
コメント 0