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今は再現できない種類のつながる意思(1989) [Diary]

初めての小さな駅で降りてみる。
売店で缶ジュースを買う。
踏切の脇から細い坂道を登っていく。
電車の音が次第に遠ざかっていく。
夏の終わりの蝉が鳴いている。
坂の上に大きな入道雲が顔を覗かせている。

しばらく登って息が切れてきたところで、
海の見える景色のいい場所に出る。
少し温くなったジュースを飲む。
風に吹かれる。

あの人の声が聞きたいと思う。
坂の途中で見つけた電話ボックスに入る。
テレフォンカードを入れ、番号を押す。
呼び出し音が鳴る。

(→誰も出ない)

一気に汗をかく。
くるぶしのあたりを蚊に刺されている。
ジュースの缶は電話ボックスに置いていく。

来た道を戻り、駅前を一回りしてみる。
バス乗り場とタクシー乗り場と小さな商店街。
商店街の本屋で適当な文庫本を買う。
喫茶店に入り、甘いアイスコーヒーを飲みながら読む。
他に客は一人もいない。
くるぶしがかゆい。

あの人の声が聞きたいと思う。
喫茶店の公衆電話に十円玉を三枚入れ、ダイヤルを回す。
呼び出し音が鳴る。

(→誰も出ない)

黒い雲が空を覆う。
激しい雨。雷と風。
傘は持っていない。
席に戻って本の続きを読む。
エアコンで汗が冷える。
ホットコーヒーにすればよかったと思う。
くるぶしがかゆい。
ぼんやり雨の商店街を眺める。

あの人の声が聞きたいと思う。
もう一度公衆電話に十円玉を三枚入れ、ダイヤルを回す。
呼び出し音が鳴る。

(→誰も出ない)

この近くに大学の同級生が住んでいたことを思い出す。
うろ覚えの電話番号を回してみる。

(→誰かが出る)

聞いたことのない女の声。
「もしもし? だれ? いたずら?」
何も言わずに電話を切る。
十円玉が二枚戻ってくる。

雨がさらに激しくなる。
商店街はもう誰も歩いていない。
あの人の声がとても聞きたいと思う。



誰にもつながらない夏の夕方の、
今は再現できない種類のつながる意思(1989)。

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