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外側のフラグメント [Talks]



最初に就職した会社がまるで学校のように思えたことは、「大人にさえなれば」と思いながら学校時代をやり過ごしてきた自分にとっては衝撃的だった。

そのときの気持ちは失望でもなく絶望でもなく、やっぱり外側はないのかという諦めと表現するのがいちばん近い。

もちろん、そうではないことを後から知ることになる。

ハタチそこそこで見えている世界というのは、本当に狭いものだ。



自分にとって切実な何かを外側に向けて言葉にしたとして、どこかに自分と同じような切実さでそれを受け止める人がいるかもしれないという感覚が危険なものであるということは、忘れないようにしなければならない。

もちろんそのことを承知で言葉を放つのだし、放った言葉は自分の手を離れて広がるし、誰に広がってもいいし、どのように受け取られてもいい。

そしてその言葉の何かに反応する外側の誰かが存在することはやっぱり奇跡的なのだということも、忘れないようにしなければならない。



((( ˘ .˘ )))♪
Life is made of fragments.
So is love.

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