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はやくなるのがはやい [Diary]

電車の中で見かけたお母さんと男の子(おそらく5〜6歳くらい)の会話。

子「この電車、はやくなるのがはやいね」
母「はやくなるのがはやい?」
子「うん、はやくなるのがはやい」
母「日本語変でしょう。はやい、だけでいいのよ」
子「はやくなるのがはやいよ」
母「それじゃ同じことを二度言ってるでしょう。はやいだけでいいの」
子「はやいんじゃなくて」
母「それにこれは普通だからはやくないでしょう。はやいのは急行や特急」

思わず声をかけようかと思ったけど、オトナなのでやめておいた。でも、ちょっとだけ悲しい気持ちになった。

このお母さんは、おそらく男の子の言ったことの意味を誤解している。あるいはまったく理解できていない。

この子はおそらく電車の「速度」の話ではなく「加速力」の話をしていたのだ。



「鉄」系の人ならご承知の通り、一口に「電車」と言っても、実ははかなり性能差がある。

そのときの車両は東急の5050系というやつなのだが、この車両は、たとえば同じ横浜駅を発着するJR線、あるいは相鉄線の車両と比較するとかなり加速性能が良い(逆に京急の車両と比較すると劣る)。

おそらくこの男の子は電車が好きで、ふだんから電車の走りに注意を向けているので、加速性能の差に気がつき、それを「はやくなるのがはやい」と表現したのだ。そう考えれば、語彙の範囲内で実に的確な表現をしていると思う。

しかしお母さんの方は、ふだん乗る電車に性能差があるとは想像せず、それを「変な日本語」としか受け取らなかった。その上「はやい」のは急行や特急だという強固な先入観があった。

だから、自分の子どもが注意深く世界を観察し、違いに気づき、それを自分の言葉にした(すばらしいことだ)ことに、気づくことができなかったのだ。

どんな人でも先入観を持っているし、自分の認識の外に出ることは簡単にはできないので、このお母さんを責めることはできないけれど、やっぱり少し悲しい気がする。



ぼく自身も、子どもの頃同じような経験をしたことがある。

塾に通うのに、最寄り駅から当時の国鉄京浜東北線に乗るのではなく、ちょっと余分に歩いて京急に乗っていくことを主張した(回数券を買ってもらうので主張する必要があった)。

その理由として、京急の方が高性能であり、乗っていて気分がいいからと説明したところ、「電車なんかみんな同じだ」「めずらしいから(子どもは)そう感じるんだろう」で片付けられてしまい、(子どもだから)ムキになって説明したけれど最後まで理解されなかった。

当時は国鉄より京急の方が安かったので文句はないはずなのだが(実際に京急の回数券を買ってもらった。最初からそう言えばよかったのだ)、ぼくからすれば言っていることが理解されないのがどうにも納得いかなかった。

いや、理解されないことそのものよりも、「電車なんかみんな同じ」であり、それに違いを見出すのは「子どもだから」という発想の内側からしか自分を見てくれないことが。

もちろん些細なことであり、責める気なんかぜんぜんないけれど、こういうことは不思議とよく覚えている。



でね、国鉄103系と京急800型の低速域での加速は雲泥の差だったんですよ。

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