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記録することと考えることの分離、あるいはアウトライナー・Evernote問題 [アウトライナー]

自分がEvernoteを思うように使えない理由のひとつは、「記録」することと「考える」ことをうまく分離できないからではないかという仮説を持っている。

昔、情報カード(京大型)を使っていて困ったのも、記録としてカードを取っているとき、途中から自分の考えていることに転移してしまい、区別がつかなくなることだった。

もちろんカードを分ければいいのだが、記録中に何か思いつくと芋づる式にいろんなことを思いついてしまい、それを忘れないように書きとめようとすると最初のカードに戻れなくなってしまう(これが複数回起こると、致命的に迷子になる)。

後にカードもある程度実用できるようになったのだが、その方法は「1枚にまとまった内容を書くのではなく、断片、フレーズごとにカードを変えていく」というもので、つまり『知的生産の技術』でいえばカードではなく「こざね」的な使い方だったと後で気がついた。

(好きなだけ書いた後で、「記録」として扱うべきことと「考えたこと」として扱うべきことを分け、それぞれの山の中でソートする)

結局、本来の情報カードとしての使い方は今までできたことがない気がする。そしてこの傾向がそのままEvernoteとの関係にも反映されている。

Evernoteに何か記録しようとしても、どうしても何か別のことを思いついてしまうのだが、それを同じノートの中に書いてしまうと後から区別できなくなる(そして、自分はそれを区別したい)。

といって、こざね的に断片レベルでノートを作ろうとすると、「Evernoteはノートの順番を自由に入れ替えられない」という大問題にぶつかる。

おそらくこういう場合は、ノートを分けてタグで分類しておくのがいちばんいいのだろうが、その「ノートを分ける」ことがうまくできない。

これは生まれついての傾向もあるし、「引用」を扱う訓練をきちんと受けていないということもある、かもしれない(引用を客体として扱えない、とでも言ったらいいだろうか)。

つまりEvernoteの問題ではなく、使う側の問題が大きい。



とにかくそういう理由で、その気になればフレーズ単位で操作できるプロセス型アウトライナー(WorkFlowyやOmniOutlinerのような、見出しと内容を区別しないタイプのアウトライナー)が自分には合っている。

Evernoteは情報カード的な道具であり、プロセス型アウトライナーは「こざね」的な道具なのだ。

ただし、アウトライナーが「こざね」と決定的に違うのは、階層を活かすことで「こざね」としての役割を果たしつつ、まとまった情報の単位を扱うこともできる、つまりカードとしての性質を同時に果たせるということだ。

「こざね」はあくまでも考えをまとめたり、文章化する段階で利用するものだったけど、アウトライナーの用途はそれだけではない。

とはいえ、記録したことを後から拾い出す能力はEvernoteが圧倒的に優れている。アウトライナーのトピック単位の検索では、その機能は代替できない(※注)。もちろん、記録したい内容にはテキスト以外の情報もあり、Evernoteならそれらも同時に扱うことができる。

だから、Evernoteをうまく使いこなせず、その恩恵をなかなか受けられないことは、やっぱり残念なのだ。

(※注)この点に関しては、検索にヒットした項目が、その上位項目とともに一覧表示されるWorkFlowyの方式が、ひとつの回答にはなっていると思う。

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