自律的と錯覚するアウトラインの変化 [アウトライナー]
ある程度長い文章を書くときは、プリントアウトして手書きで加筆し、それをファイルに反映することをくり返す。画面の中だけで完結するということはまずないし、できない。
長文作成の後半は、Wordのアウトラインモードを使うことが多い(ぼくにとっては、Wordは強力なアウトライナー以外の何ものでもない)。
プリントアウトも、Wordから行う。
■
アウトライナーとしてのWordについて、長めの脱線。
WorkFlowyやOmniOutlinerがプロセス型アウトライナーであるのに対して、Wordはプロダクト型アウトライナーと位置づけることができる。
すごく簡単に言うと、プロセス型は「見出しと本文を区別せず、すべての項目を等価に扱うアウトライナー」、プロダクト型は「見出しと本文を区別するアウトライナー」だ。
プロセス型アウトライナーは、まだ形を成していないアイデアの断片を発酵させ、育てていくことに向いている。完成品の「見出し」を意識する必要がない分、アウトライン操作の自由度が高いからだ。
ぼくがブログや本で紹介してきたアウトライン・プロセッシングの手法は、プロセス型アウトライナーを使うことを前提にしている。
一方、プロダクト型アウトライナーであるWordは、アウトライン項目と文章の「見出し」が連動するようになっている。そのため、アウトラインを操作するとき、完成した文章の「見出し」を意識せざるを得ない。
これを「発酵」段階で使うと、頭が縛られてしまう。この段階では、断片のどれが最終的に見出しになり、どれが本文になるのか確定していないからだ。決まっていないものを決めなければならないので、 縛られるのだ。
ただし、執筆過程の後半、ある程度全体像が判明し、仕上げに向かう段階では、むしろプロダクト型アウトライナーとしての特性が生きてくる。
この段階では、アウトライン項目は見出しそのものになりつつあるので、そのことによって頭が縛られることはない。
そして、特にWordの場合、印刷レイアウトモード(読者目線)とアウトラインモード(書き手目線)を行き来することができる。つまり読者目線で文章を確認しながら、必要に応じてアウトラインを修正することができる。
Wordに批判されるべき点は多いけれど、このプロダクト型アウトライナーとしての機能は非常に強力だ。
■
本題に戻る。
プリントアウトは、Wordの下書きモードか印刷レイアウトモードから行う。つまり、プリントアウトはアウトラインの形をしていない。
プリントアウトに書き込みをしているときには、アウトラインのことはほとんど意識しない。目の前の文章だけを意識して、青いインクで修正を入れていく。青インクを使うのは、赤は間違いを修正する色、という感覚があるからだ。
ひととおり書き込んだら、修正をWordのファイルに反映する。このときも下書きモードか印刷レイアウトモードのまま、書き込みの内容を反映することに集中する。
ちなみに、Wordのようにプリントアウトと画面が完全に一致している(いわゆるWYSIWYG)エディタは、昨今あまり誉められないけれど、書き込みを反映するときには圧倒的に楽だということは指摘しておきたい。
■
不思議なことに、この作業をくり返すだけでアウトラインが変化していく。
書き込みには本文だけでなく見出しの修正も含まれているからなのだが、その結果をアウトラインモードで確認すると、まるでアウトラインが自律的に変化しているように錯覚する。これはとても不思議な感覚だ。
末端の変化が、文字通り全体を揺さぶるのだ。
■
そんな「自律的な」変化の結果として、アウトラインのバランスは次第に崩れていく。アウトラインのバランスのことなど考えず修正しているのだから当然だ。
そんなときは、強権を発動する。アウトラインモードに戻り、アウトラインを組み替え、バランスを整えるのだ。
でも、どれだけ整えても、末端からつながる変化の痕跡は、アウトラインにしっかりと残る。
アウトラインをいじっているだけでは、決して生まれない何かだ。
これは要するに、「シェイク」のボトムアップサイドを手書きでやっているということなのだけど、プリントアウトという、すぐにアウトラインを操作できない環境で作業する分、その効果をより顕著に感じることができる。
※
アウトライナーの性質と「シェイク」に代表されるアウトライン・プロセッシングの技法について詳しくは、『アウトライン・プロセッシング入門』または『アウトライナー実践入門』を参照してください。
Wordを簡易的なプロセス型アウトライナーとして使う方法については、るうさんのこちらの記事をどうぞ。
長文作成の後半は、Wordのアウトラインモードを使うことが多い(ぼくにとっては、Wordは強力なアウトライナー以外の何ものでもない)。
プリントアウトも、Wordから行う。
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アウトライナーとしてのWordについて、長めの脱線。
WorkFlowyやOmniOutlinerがプロセス型アウトライナーであるのに対して、Wordはプロダクト型アウトライナーと位置づけることができる。
すごく簡単に言うと、プロセス型は「見出しと本文を区別せず、すべての項目を等価に扱うアウトライナー」、プロダクト型は「見出しと本文を区別するアウトライナー」だ。
プロセス型アウトライナーは、まだ形を成していないアイデアの断片を発酵させ、育てていくことに向いている。完成品の「見出し」を意識する必要がない分、アウトライン操作の自由度が高いからだ。
ぼくがブログや本で紹介してきたアウトライン・プロセッシングの手法は、プロセス型アウトライナーを使うことを前提にしている。
一方、プロダクト型アウトライナーであるWordは、アウトライン項目と文章の「見出し」が連動するようになっている。そのため、アウトラインを操作するとき、完成した文章の「見出し」を意識せざるを得ない。
これを「発酵」段階で使うと、頭が縛られてしまう。この段階では、断片のどれが最終的に見出しになり、どれが本文になるのか確定していないからだ。決まっていないものを決めなければならないので、 縛られるのだ。
ただし、執筆過程の後半、ある程度全体像が判明し、仕上げに向かう段階では、むしろプロダクト型アウトライナーとしての特性が生きてくる。
この段階では、アウトライン項目は見出しそのものになりつつあるので、そのことによって頭が縛られることはない。
そして、特にWordの場合、印刷レイアウトモード(読者目線)とアウトラインモード(書き手目線)を行き来することができる。つまり読者目線で文章を確認しながら、必要に応じてアウトラインを修正することができる。
Wordに批判されるべき点は多いけれど、このプロダクト型アウトライナーとしての機能は非常に強力だ。
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本題に戻る。
プリントアウトは、Wordの下書きモードか印刷レイアウトモードから行う。つまり、プリントアウトはアウトラインの形をしていない。
プリントアウトに書き込みをしているときには、アウトラインのことはほとんど意識しない。目の前の文章だけを意識して、青いインクで修正を入れていく。青インクを使うのは、赤は間違いを修正する色、という感覚があるからだ。
ひととおり書き込んだら、修正をWordのファイルに反映する。このときも下書きモードか印刷レイアウトモードのまま、書き込みの内容を反映することに集中する。
ちなみに、Wordのようにプリントアウトと画面が完全に一致している(いわゆるWYSIWYG)エディタは、昨今あまり誉められないけれど、書き込みを反映するときには圧倒的に楽だということは指摘しておきたい。
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不思議なことに、この作業をくり返すだけでアウトラインが変化していく。
書き込みには本文だけでなく見出しの修正も含まれているからなのだが、その結果をアウトラインモードで確認すると、まるでアウトラインが自律的に変化しているように錯覚する。これはとても不思議な感覚だ。
末端の変化が、文字通り全体を揺さぶるのだ。
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そんな「自律的な」変化の結果として、アウトラインのバランスは次第に崩れていく。アウトラインのバランスのことなど考えず修正しているのだから当然だ。
そんなときは、強権を発動する。アウトラインモードに戻り、アウトラインを組み替え、バランスを整えるのだ。
でも、どれだけ整えても、末端からつながる変化の痕跡は、アウトラインにしっかりと残る。
アウトラインをいじっているだけでは、決して生まれない何かだ。
これは要するに、「シェイク」のボトムアップサイドを手書きでやっているということなのだけど、プリントアウトという、すぐにアウトラインを操作できない環境で作業する分、その効果をより顕著に感じることができる。
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アウトライナーの性質と「シェイク」に代表されるアウトライン・プロセッシングの技法について詳しくは、『アウトライン・プロセッシング入門』または『アウトライナー実践入門』を参照してください。
Wordを簡易的なプロセス型アウトライナーとして使う方法については、るうさんのこちらの記事をどうぞ。
「アウトライナー実践入門」を拝読させていただきました。
すぐworkflowyを試すと書きやすさがよくわかりました。
よいツールを教えていただきました。ありがとうございました。
by つきもぐら (2017-06-20 18:02)
つきもぐらさん
ありがとうございます。うれしいです。
奥深いツールなので、いろいろ試してみてください。
使ううち、きっと本に書いてない使い方や用途も発見できると思います。
by Tak. (2017-06-20 19:09)