おとなだからできること [Diary]
こちらのツイートを読んで思い出したこと。
昔バイトしていた店では、老社長の奥さんが社員とバイトの給与計算を担当していた。しかし、高齢だった奥さんの計算は、ある時期からまったく信頼できるものではなくなった。
当時29歳の店長が、すべての計算をだまってやり直していた(バイトに給与を手渡すのは店長の役目だった)。結果として給与を渡すタイミングが毎月遅れることになった。半日、月によっては一日。
そのことは基本的には伏せられていたけれど、狭いバックヤードで店長が電卓をたたいては給料袋にお金を入れ直している様子、そして毎月「いつまでもぐずぐずしている」ことを奥さんから叱責されている様子を見れば、嫌でもわかった。店長はひと言も言い訳せず、黙って叱られていた。奥さんの最後の「仕事」を奪わないためだ。
学生だったぼくは、店長が29歳という「おとな」だからそういうことができるのだと思っていた。もちろん、今はそうではないことを知っている。
このときの店長の行いが「良いこと」だったのかどうか、そういうことをする「べき」だったのかどうかは、単純には決められないと思う(業務に、まして給与の支払いに支障が出ているのだから)。ただ、誰にでもできることではないのは確かだ。そしてぼくは「りっぱだな」と思った。
そのすぐ後にぼくはバイトをやめてしまったので、その後どうなったのか、その状況がいつまで続いたのかは知らない。
あこがれだった人が33歳だったとき、わたしは小学生だった。そのひとをりっぱな人…りっぱなおとなだと思っていた。
— 仮庵の中の人@冬眠 (@kariio_eny) December 12, 2017
さて、いざじぶんがその年齢まであと少しとしたとき、その人がりっぱだったのは「おとなだから」だけではないのだと知るのであった。
昔バイトしていた店では、老社長の奥さんが社員とバイトの給与計算を担当していた。しかし、高齢だった奥さんの計算は、ある時期からまったく信頼できるものではなくなった。
当時29歳の店長が、すべての計算をだまってやり直していた(バイトに給与を手渡すのは店長の役目だった)。結果として給与を渡すタイミングが毎月遅れることになった。半日、月によっては一日。
そのことは基本的には伏せられていたけれど、狭いバックヤードで店長が電卓をたたいては給料袋にお金を入れ直している様子、そして毎月「いつまでもぐずぐずしている」ことを奥さんから叱責されている様子を見れば、嫌でもわかった。店長はひと言も言い訳せず、黙って叱られていた。奥さんの最後の「仕事」を奪わないためだ。
学生だったぼくは、店長が29歳という「おとな」だからそういうことができるのだと思っていた。もちろん、今はそうではないことを知っている。
このときの店長の行いが「良いこと」だったのかどうか、そういうことをする「べき」だったのかどうかは、単純には決められないと思う(業務に、まして給与の支払いに支障が出ているのだから)。ただ、誰にでもできることではないのは確かだ。そしてぼくは「りっぱだな」と思った。
そのすぐ後にぼくはバイトをやめてしまったので、その後どうなったのか、その状況がいつまで続いたのかは知らない。
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