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ハッピーなアウトサイダー [Thoughts]

ひとつ結論に至ったのですが、自分がここのところずっと考えてることを一言で単純に表現すると、「ハッピーなアウトサイダー」なんだろうと。

でも、アウトサイダーであることで、自分を壊したり他人を壊したりしては本末転倒だから、重要なのは「ハッピーな」アウトサイダーであること。

それは自覚的で攻撃的でありながら、同時に健康的で、平和的で、協調的なアウトサイダーです。

ハッピーなアウトサイダーのいくつかの特徴。
  1. 個人と付き合う。
  2. 個人として付き合う。
  3. 他人と自分を比較しない。
  4. 他人から評価されようとしない。
  5. 自分で自分を評価しない。
  6. 組織や集団の中での位置づけを気にしない。
  7. リーダーシップを取ろうとしない。
  8. しきろうとしない。
  9. 貢献しようとしない。
  10. 好きなことを真剣にやる。
  11. 美しいものを真剣につくる。
  12. 人を操作しようとしない。
  13. 人の悪口を言わない。
  14. 自分についての人の話を信じない。
  15. 他人についての人の話も信じない。
  16. 悪く受け取らない。
  17. 人の顔色をうかがわない。
  18. 空気を読まない。
  19. 風を感じる。
  20. 自分自身と好きな個人のために行動する。
  21. ひとりで行動する。
  22. 行動を説明しない。
  23. あまりアウトサイダーに見えない。
  24. 実は見知らぬ無数のアウトサイダーと連帯している。

とても難しいことだけど、これからしばらくの間、このことについてとても真剣に考える、予定。
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その後のアウトライナー [アウトライナー]

ずいぶん長い間アウトライナーについて書いてませんが、もちろん飽きたわけではありません。

OPALは、相変わらずうちのマックの中ではもっとも利用頻度が高いソフトのひとつです(おそらくSafariに次いで2番目)。

断片的なテキストを集積して、形のあるものを組み立てていくには、おそらくこれ以上のものはないと思います。このブログの記事は、ほとんどがOPALで書かれています(より正確に言うと、少し長めのものは、8割くらいまでOPALで書いて仕上げの段階でJedit Xに貼り付けて整えます)。

あと、アウトライナー関連で最近変わったことは、アップルのPagesのアウトラインモードを使うようになったことです。新しいマックでWordが使えないので、代わりに購入しました。

もともとWordのアウトラインモードを使っていた用途、通常のブログ記事より長めで、わりにかっちりとした構成のあるテキストの、後半段階で使います(OPALとWordのアウトラインモードの使い分けについては、以前詳しく書きました→Renji Talk:アウトライナーとしてのWord)。

あと、Wordもそうですが、Pagesのアウトラインモードは、すでにあるテキストをアウトラインに変換するのが楽なので([タブ]と[シフト+タブ]で、通常のテキストを見出しに変換できます)、既存のテキストを再構成する用途にも向いています。

Pagesをしばらく使ってみた感じでは、アウトライナーとしての使い勝手はWordとほほ同等ですが、スタイルとの連動に関してはWordよりも圧倒的に優れています。

忘れがちだけど重要なルール [Diary]

絵描きに気軽に絵を描くことを頼んではいけない。
歌うたいに気軽に歌を歌うことを頼んではいけない。
物書きに気軽にものを書くことを頼んではいけない。
ストリッパーに気軽に裸になることを頼んではいけない。
格闘家に気軽に用心棒を頼んではいけない。
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歩くよろこび [レオ・バボータ関連]

Leo Babauta "the joy of walking" (mnmlist.com)より
この記事は、Leo Babautaさんがブログ「mnmlist.com」でUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。


今日家を出て、私は歩いた。

目的地は特になかったが、書き物をするための静かな場所を見つける前に、少し歩きたかった。だから私は歩いた。町を出て、南国の白い砂浜沿いに、隣の町まで歩いた。

人々が自動車という殻に閉じ込もっている間、私は歩き続け、吐息以外の何も排出しなかった。

人々が昼食に脂肪たっぷりのハンバーガーやぎとぎとのフライドポテトやチーズたっぷりの山盛りのなんとかを詰め込んでいる間、私は歩き続け、カロリーを燃焼した。

人々が忙しく走り回り、ストレスを受けている間、私は歩き続け、自分の時間を過ごした。

人々がコンピューターの前に座っている間、私は歩き続け、血液は私の身体を勢いよく巡った。

人々が打ち合わせをし、契約をまとめている間、私は歩き続け、考え続けた。

人々が生産的な時間を過ごし、タスクを片付けている間、私は歩き続け、何も達成しなかったが、頭はクリアになった。

人々が空調の効いた室内で過ごしている間、私は歩き続け、うっすらと汗をかき、そして風に吹かれた。

穏やかな湾に白いカモメがゆったりと浮かんでいる間、私は歩き続け、それを眺め、そして愛した。

一時間ほど歩いてから、私は書き物をし、本を読み、そしてまた一時間歩いて帰った。疲れたけれども幸福だった。

毎日これだけ歩くことはできないが、それでもできるかぎり歩くようにしている。なぜなら歩くために必要なものは何もないからだ。何も使わないし、何も減らないし、何も排出しない。

それでいて、すべてがあなたのもとにある。
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泣かせたらしい [Diary]

和太鼓グループ「森のももんが団(仮名)」は、加賀の人々を泣かせてきたらしいです。
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本日の「ブルックナーさん...」 [Diary]

「晩年に至るまで多くの若い女性に求婚したが、結婚することはなかった。」
(ウィキペディア日本語版「アントン・ブルックナー」の項より)
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見た目より自覚的で攻撃的な態度 [Thoughts]

日本の学校のシステムに馴染めない時期が何年か続いた頃、オトナの人たち(親であったり教師であったり関係ない人であったり)からしばしば受けたアドバイスに「人をみて、同じようにしなさい」というものがあります。新しい環境に溶け込み、受け入れられるには「人をみて、人と同じように行動する」ことが重要だと。不思議なくらい、同じことを何度も言われた記憶があります。

それは、当時日本の学校のあり方に馴染もうとしない「帰国子女」に手を焼く学校現場として、当然のアドバイスだったかもしれません。でも「人をみて、人と同じように行動する」ことが、実際にどんなことを意味するか、深く考えている人はあまりいなかったような気がします。決して悪く言ってるわけではなく、単に事実として。



二十年以上の間、見続けている夢があります。女の子に、じっと見つめられる夢です。と書くといい夢みたいですが、それは驚きと悲しみと蔑みがいっしょになったような目で、ぼくはその女の子に何か必死で言い訳をしようとしていて、つまり悪夢です(わりにいろんな悪夢をみます)。

その女の子は、中学二年から三年にかけて同じクラスだったSさんという子です。Sさんは中学二年のときに大阪から転校してきて、最初に座った席がぼくの隣でした。家が近かったこともあって、ぼくはSさんと割にすぐ仲良くなりました。よく話をしたし、他の何人かといっしょに交換日記(恥)みたいなこともしたりました。特に恋愛感情的なものはなかったと思いますが、家に遊びに行ったことも何度かあります。

でも三年生のクラス替えがあってすぐ、何かがきっかけで(あるいは何のきっかけもなく)、Sさんは誰からも口をきいてもらえなくなります。それだけでなく、Sさんに少しでも触れるたら、三十秒以内に別の人に触れないと「S菌」に感染し、「S菌」に感染した人間は、その日一日Sさんと同じ扱いを受けます。一夜にして実に見事なルールとシステムが出来上がっていました。

ひょっとすると何かきっかけがあったり、誰かが音頭を取ったりしたのかもしれませんが、とにかくSさんにしてみれば、それはある朝突然起こったように思えたはずです(ぼくにも、そう思えました)。

はじめ何が起こったかわからず混乱した様子だったSさんは、ようやく自分がどのような状況に置かれているのか、その事態を認識したところでした。そのとき、偶然Sさんとぼくの目があいました。彼女はぼくに何か話しかけようとしたように見えました。

そこに、うっかりSさんに触れてしまって、慌てて「S菌」をうつす相手を探していた誰かが、たまたまそばにいたぼくに触れました。これで、三十秒以内に誰か他の人に触れないと、ぼくは「S菌」保持者となって、同じようにみんなから忌み嫌われる存在になるわけです。

そのとき、ぼくがしたのは、おそらくぼくの人生でもっとも恥ずべき行為のひとつだったはずなので、あまり詳しくは説明しませんが、とにかくぼくは慌てて逃げる別の誰かに、S菌を「うつした」のです。それもかなり必死に。周囲はその様子を見て笑い転げていました。

その間中、ぼくはSさんの視線を感じていました。結局目を合わせることがなかったのですが、目にしなかったはずのSさんの目を、ぼくははっきりと感じることができました。そして、その夢を何度も見るようになるのです。

現実がそのまま再現された夢のこともあれば、それがベースになって形を変えたと思われるさまざまな悪夢のこともあります。ただ、夢の中で女の子がぼくに向ける目つきは共通しています。「驚きと悲しみと蔑みがいっしょになったような目」です。

後悔しましたが、それはなかったことにできる種類のことではありませんでした。



でも同時に重要なのは、そのときぼくははじめてクラスの「内側に入った」ような気がしていたことです。「人をみて、人と同じようにした」結果として。しかも、自分の意志で。自分の中にもそういう要素がちゃんとあったということです。

「二度とこういうことはしない」と誓ったところで、それは単に優しさとか思いやりとか、そういう問題ではない。それは本能の問題なのです。孤独を避ける本能、自分の身を守る本能の問題です。「二度とこういうことはしない」ということは、集団の内側に入ろうとすることを意識的に避けることであり、つまりはその本能に逆らうということなのです。

そのために必要なのは「強さ」だとぼくは長い間思っていました。寂しさに耐える強さと、物理的に抵抗する強さ。でも、ある程度大人なってわかったことは(ある程度大人になるまでいったい何年かかるんだという話はありますが)、寂しさに耐えて、物理的に抵抗するだけでは、社会の中で自分の存在する場所を失うことにもなるということです。

だから必要なのは、集団の中に物理的に存在しながら、無理に内側に入ろうとしない態度です。そのためには、強さと同じくらいの柔らかさが必要なのです。

そして、それはちょっと考えるよりも、そして見た目よりもずっと自覚的で攻撃的な態度です。
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Get Off of My Cloud [Diary]

知り合いが職場でEvernoteへのアクセスが禁止されたといってショックを受けていました。ぼく自身は、Evernoteどっぷりというわけではありませんが、それでもいろいろと考えさせられます。

Evernoteだけでなく、いわゆるクラウドサービスの利用を禁止している企業は多いと思います(ぼくの職場でも、たぶん禁止されてるはずです)。セキュリティ上の理由で仕方ないということは、もちろん理解できるし、それを否定するつもりはありません。

でも、こういう企業が、こうしたソフトやサービスが次々に生まれている背景や理由に対して、きちんと向き合ったことがあるのだろうか、と思うわけです。そこには、仕事の現場で扱う情報の量とスピードが、個人で処理できる限界をはるかに超えているという現実があり、それに対して身を守らなければならない、という切実なニーズがあるはずです。

端的にそのことを示しているのが、21世紀に入って登場し、急激に受け入れられていったデビッド・アレンのGTDであり、そこから触発されたいわゆるライフハックとそのためのアプリの数々です。ここ数年は、特にiPhoneの登場を契機として、iPhoneとクラウドサービスを連動させた関連ソフトが多数誕生しています。

Evernoteは、その代表的なもののひとつです。GTDではなく、個人のノートやメモを管理するためのソフトですが、必要なあらゆるものを片っ端から記録して、後から検索できるようにする、という基本的な思想は、GTDの強い影響下にあります。

Evernoteのすごいところは、たとえばiPhoneで書き込んだメモが、何もしなくてもウェブ上のクラウドサービスと同期され、どのパソコンからでも読めるようになること。逆にパソコンからWEB版(やデスクトップ版)に書き込んだメモは、何も意識しなくてもiPhoneを開けばちゃんとそこに入っています。テキストだけじゃなくて、写真やボイスメモでも同じことができます。

気がついたことも思いついたことも忘れちゃいけないことも、すべて放り込んでおけば、必要なときに検索すればいつでも見つけることができる、というのが、いかに精神の安定に役立つかは、現代のホワイトカラーなら、誰もが納得すると思います。

一企業の製品にそんなに依存しちゃっていいのか、という疑念は当然あるわけですが、それは置いておいて、こうしたソフトの登場は、基本的に正しいことだと思います。

なぜなら「パーソナル」なコンピューター(あるいは情報機器)は、本来人を助けてくれるはずのものだし、そのために使うべきものだからです。

「パソコン」=「パーソナル・コンピューター」が個人を守るのためには使われず、人を管理するためだけに使われる、という状況に対して、ぼくらはもっと声を上げるべきなのです。

Evernoteの利用を禁止するというとき、情報の洪水に人間がすり潰されるような環境から社員が身を守る術を奪い取っているという自覚と認識を、企業は持つべきです。企業がその術を提供するというなら別ですが、そうではないことがほとんどです。

それは本来、簡単に禁止して済ませられる問題じゃないのです。

本日のテーマ曲:
Get Off of My Cloud
by The Rolling Stones

俺はどなった
おい、お前!
俺のクラウドから出て行け
二人分の場所はない
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ぼくがどうしてこんなに心惹かれるのか、彼らに会えばわかるはず!
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