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Be Here Now [Diary]

デイヴ・ワイナーのScripting News経由で知った、アメリカで放送されているマイクロソフトのWindows PhoneのティザーCM。

ワイナーの言う通り、携帯電話、ではなく具体的にはiPhone以降の生活の中で、誰もが感じていることを、最後のBe Here Nowというひと言で見事に表現してて、ベタだけど面白い。

この問題提起に対してマイクロソフトがどう答えるつもりなのかは、まだわからないけれど。

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闇市で窪田晴男に会えるとは [Diary]

金曜の夜は、めずらしく仕事の後深夜まで飲んでしまったので、今日はほとんど活動できず。夕方からようやく動きだして、本屋なんかに行った後Tomo.さんと合流。

例によってザディコキックスを見に、今年最後の「六角橋闇市」に行ったら、対バンに窪田晴男氏が!

窪田晴男といえばぼくらの世代にとっては「パール兄弟」のイメージが強いけど、個人的には90年代始め頃の「山根麻衣・窪田晴男ユニット」のライブを聴きに行ったのがすごく印象に残ってます。まさか六角橋商店街で会えるとは!

おなじみの「薬局前」会場でチューニングする窪田氏(左端)。一瞬ヨッちゃんかと思った20年近い歳月。でもかっこよかった。右は福岡史朗氏&三輪雅之氏。
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静岡の中心でいつもと同じことをする [Diary]

三連休、三日とも休めたので、静岡まで遊びにいく。ま、旅行というほどの旅行じゃないけど、夫婦で泊まりがけというのは、3年くらい前に松本に行って以来。

やったことはといえば、街をぐるぐる歩き回ったことと、お茶したことと、ごはんを食べたことと、本屋に行ったことと、地元の電車に乗ったことだけ。つまりいつもと同じことしかしてないんだけど、

(1)効率性を無視する
(2)いつもと同じことをする

というのが今回の目的なんで、それでいいのです。

(1)効率性を無視する

新幹線は使いません。東海道線の各駅停車でいきます。

まあ、この歳になって京都まで各駅停車で行こうとは思わないけど、静岡くらいなら充分に許容範囲。

普通電車で横浜から静岡まで約3時間。新幹線の三倍です。でも、たとえば大阪まで行けば3時間弱くらいはかかるわけだから、耐え難いほどの長時間というわけではありません。その上、移動に時間がかかる分、遠くに行った気分が味わえる特典つき!

で、浮いたお金でグリーン車に乗る。

2階建てグリーン車の一階席はいつも空いていて(ほとんどの人は、二階席が好きみたい)気分は貸し切り。座席も特急なみ。そして、東海道線のグリーン車にはモーターがついてないので、すごく静か。新幹線よりはるかに快適です。

お弁当もゆっくり食べられる。新幹線だと1時間くらいしか乗車時間がないから、弁当のフタを開けてる間に着いちゃうのよ。

在来線各駅停車なら、そろそろ景色が良くなってきたところでお弁当あけて、ゆっくり食べてドトールで買ったコーヒー飲んでも、まだまだ時間はあります。

ちなみに行きのお弁当はアンデルセンのデニッシュとサンドイッチ。帰りは静岡の松坂屋で買ったうなぎ弁当。お弁当まで含めた総額でも、新幹線普通席とほぼ変わらない。

残念ながら東京発静岡行きという列車はほとんどなくて、熱海で乗り換えなければならないんで、熱海から先は普通車なんだけど(熱海始発はグリーン車が連結されてない)、そこはそれ、ローカル感を楽しむのです。

(2)いつもと同じことをする

いつもと同じこととは、街を歩くことと、本屋に行くことと、お茶を飲むことと、電車に乗ることです。

◆歩く。

着いたらもちろん、歩く。とは言っても、初日は雨だったので(というか豪雨だったので)二人とも濡れながらだんだん不機嫌になっていったわけですが。

それはそれとして、街を歩いてて思ったのは、中心地にも個人の経営する店が多いということ。商店街をちょっとはずれると、個人経営のレストランやカフェや雑貨屋がけっこうたくさんある。

これは、パトリス・ジュリアン氏の店にいた方のやっている「PEPIN」というビストロ。
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かなりの規模の都市にも関わらす、中心地に近い立地で個人がお店を出してがんばっていける余地がまだあるんだろうな。

そして、たぶん同じ理由で、商店街がまだ生きている。もちろんそうじゃない商店街もあったけど、少なくとも呉服町通りはちゃんと生きている。

面白いのは、呉服町通りには、昔ながらのアーケード商店街の雰囲気と、いわゆる若い人が遊ぶ場所が混在していること。若いやつらとおじさんおばさんが同じ場所で遊んでる。そして、おしゃれ男女と非おしゃれ男女も同じ場所で遊んでる。決して悪い意味ではなく、その混在感になぜか豊かさを感じたり。

その理由を考えてたんだけど、もしかすると、今の首都圏みたいに、地域全体がひとつのコンセプトのもとに再開発された企画書くさい店と街並みに辟易しているからかもしれないし、気に入っていた大切な場所を次々に奪われていく感覚があるせいかもしれない。少なくとも静岡の街並みからは、そうした印象は受けなかった。そして、にもかかわらず、ちゃんと活気がある。

あくまでも一日二日で表面を見た感想にすぎないし、今年完成したばかりの葵タワーとか、しずてつの新静岡駅周りの開発とか、をみていると、もしかするとそれもあと数年で変わっていくのかもしないけど。

◆お茶。

一通り動き回ったらお茶します。

ぼくは自他ともに認めるスターバックス好きですが(分煙と禁煙の差は大きい)、スタバならどこでもいいというわけではない。というか、テープルの配置に余裕があって、外の景色がきれいで静か、という条件を満たすところは本当に少ししかありません。

でも、 スターバックス静岡呉服町通り店は、間違いなく今まで入った中でも最高峰です。ちょっと不思議な形の中二階がある立体的なつくりで、二階には大きな窓がある。首都圏のほとんどの店よりも席の配置がゆったりしていて、日本上陸直後のスタバ(まだ、特別なものだった頃)を思わせます。

もし静岡に住んでたら、毎週土日の午前中は本とマックと音楽を持ち込んで、ここで過ごすに違いない。

◆本屋。

本ということでいえば、予想に反して静岡は本屋の充実度が素晴らしい。大学がいくつかあるせいかもしれないけど、はっきり言って、横浜なんかよりはるかに上です。

静岡駅のそばにオープンしたばかりの葵タワーにある戸田書店が規模としては大きくて、都心の大型書店に負けないレベルだと思うけど、もっと気に入ったのは呉服町通り沿いにある谷島屋書店。

昔ながらの地元の本屋さんの体裁ながら、一般書から工学書、芸術書、思想哲学書まで完備。そして棚の作り方に愛情がある。

横浜では有隣堂本店の改装とともに死に絶え、都内でも少なくなった昔の独立型大型書店の雰囲気が残っている。

大型商業施設の中の本屋ではなぜかしない、本屋特有の匂い(あれは、何の匂いなんだろう。もしかしたら換気設備の問題?)もちゃんとする。

もしここに住んでたら毎週土日の午前中にマックと音楽と一緒にスタバに持ち込む本はここで買うに違いない。

とはいえ、葵タワー戸田書店の圧倒的な品揃えと立地の良さからすると、これから先、どこまでこのレベルを維持できるのかは難しいところかもしれない。でも、がんばってほしいな。

◆電車に乗る。

純粋にTak.の好みにより、静岡鉄道・通称しずてつに乗って清水まで行く。

実はしずてつに乗ることが長年の夢でした。子どもの頃、しずてつの車両(1000系)の写真を見て、ステンレス製の、クールでありながら、愛嬌のあるかわいらしいデザインに一目惚れして以来。

素敵でしょ? マグロ祭りは別として。
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東急と資本関係があるためか、昭和40年代末から50年代にかけて、東急車輌から購入したのがこの車両。当時東急でも使用していた7200系とほぼ共通デザインで、まさにぼくが大好きな、古き良き東急デザインそのものです。ただし、この秀逸な正面顔は、しずてつオリジナル。今となってはかなり古い車両なんだけど、ぜんぜん古くさい感じがしない。

そして、乗ってみてその気持ちのいい走りっぷりに驚く。

まず本数が多い。地方の私鉄というイメージとうらはらに、日中も数分感覚で運転され、ほとんど待つことがない。終点の新静岡でみていても、電車が入ってきて乗客をはき出し、あっという間に折り返していく。

走り方はきびきびしていて、駅を出ると一気に加速して、ぎりぎりまでスピードを維持して、駅ではきゅっと止まる。速度自体はそんなに速くないんだけど(せいぜい80キロくらい?)乗っててイライラすることがない。

「デザインがいい」「待たない」「乗っててイライラしない」というのは、毎日乗る電車としてとても大切な条件です。

惜しいのは、ターミナルの新静岡、新清水ともJRの駅から遙か遠くに離れていることだけど、それは仕方ないよな。

ところで清水まで行って何したかというと、清水港までぷらぷら歩いて、三匹の猫に会い、それからまたしずてつで帰ってきただけ。



そんなことをして何が楽しいんだという人がいるかもしれないけど、楽しいです(笑)。

そして、これはいつも思うことだけど、いつもと同じことをすることで、観光地を巡ったりするのよりもずっと土地の空気が体にしみこんできます。

静岡でしみこんできた空気は、なかなか好ましいものでした。今度はもう少し時間をかけて(そして晴れてるときに)行ってみたい。たぶん、もう一度行くと思います。
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計画的行動はアウトラインに似ている [アウトライナー]

このブログやRenji Talkのアウトライナー関連コンテンツを読んでくださってる方は、もう耳にタコができるくらいだと思うんだけど、アウトライナーの本当の威力は、文章のアウトラインを決めてから書くときではなく、思いつくまま自由に書くときに発揮されます。

多くの人は、アウトライナーは事前にアウトラインを決めてから文章を書くものだと考えてるけど、実はそんなことをすればアウトラインにがんじがらめにされて、かえって筆が進まなくなることは、実行してみた人の多くが経験する通りです。

なぜなら書き進めるプロセスの中で、書きたい内容はどんどん変わっていくからです。無理にアウトラインに基づいた文章を書こうとすると、思考が硬直して結果的につまらないものになってしまう。思考のダイナミズムを完成品の文章に反映することができなくなる。

それに対して、文章は書きながら変わっていくものだという前提で、プランを立てずに自由に書き、書いた後で文章の内容と構造を見いだしていこうという手法を、writing in process(プロセスで書く)といいます。

創造的で面白い文章を書くために有効な方法だけど、かつては膨大な手間と時間を覚悟しなければならなかった。しかし、アウトライナーを使えばその作業が飛躍的に楽になる。好きなように書き飛ばしながら、破綻しないようにしてくれるのがアウトライナーなのです。



で、考えれば考えるほど「あらかじめ目標をたてて」「計画的に」ものごとを進めようとする行為は、文章を書く前にアウトラインを作ろうとする行為に似ています。

一日の予定と、やるべきことを事前に計画するべきだという人は、それがどういうことを意味しているのか、本当に真剣に考えてみたことがあるんだろうか。

今の環境では、やるべきことを事前に計画しても、すぐに破綻するし、そもそもやりたいこと、やるべきこと自体が一日の中でどんどん変わっていってしまう。事前に計画したことは、もしかしたら今は適切でないかもしれないし、やりたくもないかもしれない。

そのことに気づき、システマティックにアプローチしたのが、GTDなんだということにこの間気づきました。

GTDでは、無理に事前に計画しようとせず、何かやるべきことが頭に浮かんだ瞬間にキャッチして(InBoxに入れて)おいて、間があるときにまとめてプロセスする。ここでのプロセスとは、「そのことについて次にやるべきこと」を、コンテクスト別に(家にいるときとか、職場にいるときとか、パソコンの前にいるときとか、どこか特定の場所にいるときとか、実際にそのものごとを実行することが可能な環境)振り分けておくこと。

そして、自分がそのコンテクストにいるときに、順番に片付けていく。それを繰り返すことで、気がつくと複数ステップの複雑な作業も終わっている(本当はもっとずっと複雑で柔軟ですが、ごく単純に表現してしまうとそういうこと)。

ね、似てるでしょう?

パーソナルな落合博満 [Diary]

今さらだけど、YouTubeの登場で何が素晴らしいかって、ついこの間までもう二度と見られないと思っていた野球の名シーンを見られること。

いや、「江夏の21球」とかそういう野球史に残る名シーンならばDVDもあるだろうし、テレビでもまた目にする機会もあるかもしれないけど、15年前にたまたまテレビの前で鳥肌が立ったあの球とか、あの守備とか、そういうパーソナルな名シーン。

昨日見つけたのは、1994年の東京ドーム・巨人対広島の開幕戦で落合博満が打ったホームラン。通常なら絶対にファウルにしかなりようのないコースの球を体の正面の「ひょいっ」ていう感じのスイングでスタンドまで運んだシーン。

解説の掛布が「スタンドインなんてあり得ない」とつぶやき、確か始まったばかりの「うるぐす」で江川が「すごいホームランだ」と説明していたのを、今でも覚えている。

まさにその「うるぐす」の映像をYouTubeで見つけて、スタバでひとり興奮したわけです。


それにしても落合、メジャーリーグの強打者のスイングを見慣れた今の目で見ても、やっぱりすごい。振り幅がすごく小さくて、あんな軽く振ってよくスタンドまで飛ぶなと思うんだけど、スローで見ると長いバットと腕が一本のムチのようにしなるのがわかる。

巨人に移籍したこの時期はすでに全盛期をかなり過ぎていたのだけど、この球、メジャーの強打者でも場外ファウルはともかくホームランは無理なんじゃないかと思う。

こういう映像がちゃんとアップされているのをみると、当時テレビの前で鳥肌を立てていたのが決して自分だけじゃないことがわかる。そういう微妙な連帯感て、好きです。

落合だけじゃなく、
伊藤智仁の直角に曲がるスライダーも、
潮崎哲也の浮き上がって沈むシンカーも、
与田剛の雨を切り裂くストレートも、
鈴木尚典の世界一美しいスイングも、
桑田真澄の本塁上のダイビングキャッチも、
全部好きなだけ見られる。
幸せ。

ところでこれだけ野球が好きなのに、今年のセリーグのペナントを中日が制したことを知らなかったというのは、本当に危機だと思うな。
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Weと弊社 [Diary]

少し前、業界団体の集まりみたいなものに参加したときのこと。

もちろんそこでは名刺交換が行われる。で、名刺交換をすれば当然、翌日にはその人たちから「昨日はありがとうございました」というような内容の挨拶メールが来る(来るばっかりじゃなくて出さなきゃいけないんだけどさー。ふんふん)。

メールの末尾の署名には、その人たちの会社のホームページのURLが入っているから、一応見てみる。

外資系の会社にはたいてい日本語サイトと英語サイトがあり、その英語サイトをみていて気がついたんだけど、日本語版サイトに「弊社」もしくは「当社」と書いてある部分が、英語サイトでは「We」になっているケースが多いということ。

「私たち」と「弊社」。
複数形では、相手方との関係に応じて we は「弊社」「当社」「我社」、you は「貴社」「御社」などと訳すのが普通です。(翻訳の泉)

うーん。そうなんだろうけど。

似たような話で、外国人にたとえば日本や日本人のことを英語で説明するとき、多くの日本人は「In Japan…」もしくは「Japanese…」という気がする。

実際、この間電車の中で日本人と外国人のビジネスマン同士の会話を聴いていたのだけど、日本人の方が「日本人(Japanese)はラッシュにはもう慣れてしまって文句も言わない」というのに対して、海外の取引先らしい人(たぶんアメリカ人かオーストラリア人)が「我々(We)も朝の渋滞には慣れっこだけど、悪態がつける分、車の方がいいな」と答えていた。

昔、子どもながらに日本のことをアメリカ人に説明しようというとき、自分もやはりWeを使っていたと思う。

そのWeは「我が国」「私たちの国」と訳されることが多いと思うんだけど、やっぱり違和感がある。感覚的には「日本では」という客観的な位置に立つのではなく、意識の上で日本を代表する個人としての「私たち」「我々」と言っている気がするのだよね。

少なくとも自分がJapaneseと言うときとWeと言うときには、頭に浮かぶ風景に明らかな違いがある。

具体的にいえば、Japaneseのときには丸の内の交差点(だかなんだか)を黙々と渡る群衆を指さして説明している自分。Weのときには、その群衆に交じって歩く自分。

どちらがいい悪いではなく、違うよね。

そしてその違いって、単に言葉の問題だけじゃない、もっと大きな違いにつながってるような気がする。

言語、あるいは外国語を扱う方にとっては今さらな話かもしれないけど。
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