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中心(の人)と周縁(の人) [Thoughts]

周縁の人は、たとえ属している集団にそれなりの愛着を感じていたとしても、中心の人が「みんなで○○しよう!」と音頭をとった瞬間に心が離れてしまう。

※しかしそのことを表現しない。

中心の人は、みんながひとつになるそのタイミングで離れていく周縁の人の存在によって傷ついている。

※しかしそのことを表現しない。

周縁の人は、自分にとって大切な物ごとが中心の人にとって取るに足りないものであることを、あるいは単に眼中に入らないことをよく知っている。

※しかしそのことを表現しない。

中心の人は、中心であるが故の期待とプレッシャーに耐え、また努力を払っている。誰もが自分と同じように努力しないことを不思議に思い、もどかしく思い、ある場合には不愉快にも思っている。

※しかしそのことを表現しない。

中心の人と周縁の人は、お互いの心の痛みに想像が及ばない。
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歳をとるとはクリアじゃなくなること [Thoughts]

いい歳をした大人を「いつまでも少年のような」といって持ち上げるのはいいかげん止めてほしいけど、問題は「少年のような」に代わる適切な誉め言葉がないことだよね。

自分の中での「少年」の定義は、自分の望みや感情がクリアであること。そして望みや感情と行動が一致していること。

その意味では「いつまでもクリアな」というのは、それに近いのかもしれない。

そして、歳をとるとは「クリアじゃなくなる」ことだということに、今さら気づく。
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痛み [Thoughts]

痛みを(素直に)感じる力と、痛みを(率直に)表現する力と、痛みを(リアルに)想像する力が、集団に属して集団と折り合いをつけながら、集団の中の個人と向き合い、なおかつ自分を保ち続けるためにすごく重要な能力だと思う。

でも、その全てをバランスよく持ってる人って、自分を含めてそんなにたくさんはいない。

そんな人は無条件で好意を持つし尊敬するけど、その人が集団と関わりながら個人として思うように生きていけるのかというと、たぶんそんなことはない(むしろその逆かもしれない)。

あ、だからこそ好意を持つし尊敬するのか。
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机上の音楽 [Diary]

高校生の頃に、音楽を聴きながらだったら机に向かえることに気がついて以来、勉強(仕事)をするために音楽は絶対に必要なんだけど、残念ながら今の職場で音楽を聞きながら仕事をすることはできない。

だから、朝電車の中で聞いた音楽を栄養にして一日仕事をする。

朝の音楽のリズムを体の揺れとして保っておいて、それを仕事のリズムとシンクロさせることができた日には、いろんなことがうまく運ぶ。
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幸福 [Diary]

ある人の「友人夫妻のいびきのユニゾンに家族愛を感じてる」というツイートを読んだら、もうずっと昔まだ結婚する前、まだ妻ではなかったTomo.さんと、Tomo.さんの親友MちゃんとRちゃんの四人で、Tomo.さんの部屋で雑魚寝したときのことを思い出した。

お客さんであるMちゃんとRちゃんがTomo.さんのベッドで、ぼくとTomo.さんは床で毛布にくるまって寝た。

どういう経緯でそういうことになったのか、今となっては覚えてないけど、女三人の中に男一人という、色気がありそうでなさそうな(笑)シチュエーションは、睡眠環境としてあまり良いものじゃなかった。

でも明け方にふと目を覚ましたとき、ベッドの方から交互に聞こえてくるMちゃんとRちゃんのいびきを聞いているうちに、なんか涙が出そうな不思議な感じがしたのを覚えている。

今思えばそれは、人生の中で明白に幸せを実感した、数少ない瞬間のひとつだったかもしれない。

数年後にMちゃんがこの世界からいなくなってしまうなんて、そのときには想像もつかなかった。
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サビタビ。 [Diary]

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馬車道から日本大通まで歩く途中に出会った猫(名前はサビタビに決定)。

痩せてて毛並みもちょっとぱさぱさしてて、あんまり栄養状態は良くないみたいだけど、毛質自体はきれいで、ちゃんと食べればきれいな猫になるんだろうな。

近づくとすりすりして甘えるし、よくしゃべるけど、手を出すとびくっと身を引いて触らせない。人に興味はあるけど、完全には心を許してない感じ。

世の中には2種類のノラ猫がいる。景気のいいノラ猫と景気の悪いノラ猫だ。そして、景気の悪いノラ猫を見かけると、ついつい「営業」の重要性を教えてあげたくなる。

触らせてあげたり、足の間をくぐって「8」の字を描いてみたり、顔を見上げてちょっと顔を傾けて「みぃ」とか言ってみたり、三点姿勢でびしっとお店の裏口の前で待っていてみたり、そんなことで、のら猫の暮らしには天と地の差が出ることを。

ただし、悪い人間を見分ける目を持つこと。悪い人間は、必ず「嫌な感じ」がするはずだ。人間の嗅覚でさえわかるんだから、猫にわからないはずがない。キャットフードやササミに目をくらまされさえしなければ。

それから車に気をつけるように。
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レオ・バボータ「静かな影響力についての方法論」 [レオ・バボータ関連]

原文:Leo Babauta "The Quiet Theory of Influence" from Zenhabits
この記事は、レオ・バボータさんがブログ「Zen Habits」でUncopyrighted(コピーライトなし)として公開されている記事の日本語訳です。原文同様、この日本語訳もUncopyrighted(コピーライトなし)とします。

オンライン・マーケティングに関わる人のほとんどは、ソーシャルメディアを使ってより多くの人に接触する方法、名簿と希少性の原則と社会的証明の活かし方、権威があるように見せる方法、ページビューを効果的に販売に結びつける方法などについて説くだろう。

オンライン・オフラインに限らず、ほとんどのマーケターはそんなことばかり考えているものだ。

しかし、ビジター(訪問者)をバイヤー(購買者)に変換することなど、クリエイティブなエネルギーの無駄使いだ。そんな発想は捨ててしまおう。

価値あるものを創り出すことにこそ、より大きな価値があると私は思う。信ずるべきは売り上げやアクセス数や読者数ではなく、影響を与える力だ。

マーケターたちがどんなに叫ぼうと、絶対に教えてくれないことを私は学んできた。大声で主張してはいけない。沈黙するのだ。

人が「私を見て!」と叫ぶなら、沈黙しよう。

人が注目を集めようとするなら、内面に目を向けよう。

人がページビューや売り上げを求めるなら、価値を追求しよう。

人が自分のサイトに人々を誘導しようとするなら、人々が自らサイトを見つけてくれるようにしよう。

人のブログがポップアップやドロップダウンリストで飾り立ててニュースレターの読者登録を迫るなら、読者の邪魔になるものを排除しよう。

人が成功を自慢するなら、他人があなたを賛美するにまかせよう。

人が著作権に執着するなら、あなたの作品は配ってしまおう。

人が世界を変えるために目標を必要とするなら、満足することを学ぼう。そうすれば人々はあなたの秘密を訊きにくる。

ここにあげたことは全て真実だということを、私は身を持って知っている。本当に価値のあるものを創り出せば、マーケティングなど必要ない。広告にお金を使う必要もない。人々に登録を促す必要もない。

人々の方があなたを見つけてくれる。そして、あなたの素晴らしさを友だちに伝えずにはいられなくなる。読者があなたのマーケターになってくれるのだ。あなたの価値がそのまま広告費になるのだ。

マフィン屋さんを経営しているとしよう。あなたのマフィンがありふれたマフィンなら、広告が必要だ。ゲリラマーケティングなども駆使して顧客を集める必要があるだろう。しかし、一口食べてうっとりと我を忘れるようなマフィンなら、人々の方が美味しさを世界中に伝えてくれる。そして世界の方があなたのマフィン屋さんに行列を作るのだ。

静けさを保とう。満足することを学ぼう。価値あるものを創ろう。マーケティングを打ち負かすのは、いつだってそういうものだ。内なる音楽に耳を澄ますことを学ぶにつれて、マーケターの怪しげな忠告など無視できるようになる。


レオ・バボータの電子書籍「Focus」の翻訳をRenji Talkで公開しています。
「フォーカス——雑音化時代を生きるためのシンプル化宣言」
レオ・バボータのその他のブログ記事の翻訳を以下で公開しています。
ブログ「Zen Habits」からの記事
ブログ「mnmlist」からの記事
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ミッシングピース [Diary]

鎌倉の「ヴィヴモン・ディモンシュ」の角砂糖。どんな組み合わせで出てくるか毎回楽しみにしてて、今日はこんな組み合わせだった。
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で、四角くて言葉が書かれたものを眺めているとついついマンダラをつくってしまいますね。ピースがひとつ足りないけど、ちゃんと5Wマンダラになっています。
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欠けているのは「WR」の位置、つまり「空間」(ごめん、マンダラートを知らない人にはなんのことやら、ですね)。

ここに何が入るのか?
ミッシングピース。
二人で検討した結果は「楽」かな?


ディモンシュがなんとなくいつもと違う感じがして、気になったのでブログをチェックしてみたら、そうか、大変だったんだ。以下、ディモンシュのブログより。
そしてまた長文ですいません
dois閉店のお知らせ
超絶バタバタ大ピンチ!長文そして赤裸々すいません

原発のことは別にして、震災の直接的な影響はこのあたりでは目につかなくなってるけど、もちろんそれは目につかないというだけで、逆に今になってじわじわと効いてくるということもあるんだ。

どんなこともそうだけど「続ける」ことは本当に大変なことだ。あの素晴らしい空間を17年も続けてきたということ自体、奇跡みたいなことだと思う。

だから、これからたとえお店の形が変わっていったとしても応援したいし、通いたいし、がんばってほしい。そんなふうに思わせてくれるお店って、そんなにたくさんはない。

そんなことを思いながら、ミッシングピースを埋めてみました。
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あ、もちろんディモンシュは続きますよ。誤解なきよう!
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共振する [Thoughts]

以前からずっと思っていながら言葉でうまく表現できないんだけど、「信頼」とは「共振」なのかもしれないと考えてみる。

相手の振幅を「外のこと」としてとらえるのではなく、自分の振幅と同調させていくこと、つまり共振することを「信頼」と言ってるような気がする。

よく心を開くというけど、それは「共振することを受け入れる」と言い換えてもいいのかもしれない。

貴重なことだし誰に対してもできることではないけど、いいことばかりでもなくて、時には必要がないのに「うっかり共振してしまう」ということでもある。

それはそれでけっこうしんどいことだけど(ということが大人になってからわかった)、それでも公私を問わずいっしょに時間を過ごすなら共振できる人がいい。

共振できない人(それを「波長の合わない人」という)とずっといっしょにいるというのは、不幸なことだ。

だけどいちばんの不幸は、物理的にいっしょにいるにもかかわらず、相手と共振できるポイントを探ること、振幅を合わせようとする努力をやめてしまった(あるいは最初からしていない)関係だ。
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本格的なアウトライン・プロセッシングのためのアウトライナー [アウトライナー]

本格的なアウトライン・プロセッシングのためには、アウトライナーは文書のタイトルから最末端まで一本の階層構造の中でコントロールできなければならない。

それができるのは、シングルペイン型で見出しと本文を分けないタイプのアウトライナーだけだ。

見出しと本文を分けるタイプのアウトライナーは、アウトラインを文書の「構成」をコントロールするものとしかとらえていない。

しかし、アウトラインの中で操作しているものは文書の「構成」だけではない。それはコンセプトの操作であり、ロジックの操作であり、リズムとグルーヴの操作なのだ。

※「アウトライン・プロセッシング入門(仮題)」こぼれテキスト