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私的・iMandalArtに望むこと [マンダラート]

※以下「マンダラート」という表記は今泉浩晃氏が開発した手法を、「iMandalArt」という表記はiPhone/iPad版のアプリを指します※

※2015/09/18追記:
この記事はiOSアプリ「iMandalArt(アイマンダラート)」についてのものです。「iMandalArt」は現在販売を終了し、現在は「MandalArt(マンダラート)」という別のアプリが提供されています(まぎらわしいですが…)。現アプリではインターフェイスは大きく改訂されて、この記事で指摘した問題は解消されていると感じます。


「マンダラート手帖」の時代からiPhone版のiMandalArtまでずっとマンダラートを使い続けてきて、マンダラートの素晴らしさはよくわかってるつもりだし、そのほんの一部はこのブログにも書いたことがある(→マンダラートのスパルタンな魅力)

でも、一方で何人もの人にマンダラートを勧めてきたけど、ずっと使い続けているという人を個人的に知らないし、正直に言って自分自身、何度も離れては戻りを繰り返している(まったく使わなくなることはないけど、例えばコンスタントに使い続ける時期と、必要があるときだけ使う時期がある)。

その理由がなぜなのかずっと考えてきたんだけど、大きな要因のひとつは、マンダラからこぼれてしまったセルの扱いががうまくいかないことにあると思う。具体的には、マンダラの中に位置づけられていないニュートラルなセルの扱い方。

そしてこれはマンダラートの本質的な問題とは違う、インターフェイス上の話だと思うので、個人的には(アプリとしての)iMandalArtの最大の課題なんじゃないかと思っている。



長い間この問題をうまく言えなくてもやもやしてたんだけど、GTDと比較することで言葉にできるようになったといえるかもしれない。

GTDをすごく簡略化していうと、人生で降りかかってくるいろんなことを、まずはニュートラルな入れ場所に全て書き出し(キャプチャー)、降りかかってくる全てを覚えておかなければならないという心理的な負担を減らす。キャプチャーした内容は、後からまとめて実行可能なコンテクスト(家、職場、PC、電話、出先などなど)用のリストに振り分け、自分がそのコンテクストにあるときに順次実行していく。

GTDには様々な要素があるけど、デビッド・アレンが「バケット=バケツ」と呼び、一般的なGTDアプリでは「受信箱」と呼ばれることの多いこの「ニュートラルな入れ場所」の存在は、最大のキモのひとつだ(これだけだ簡略化しすぎで語弊があるんで、詳細はこちらを参照)。

で、iMandalArtにはこのバケット/受信箱に該当するものがない。そのため、降りかかってくるいろんなことをどんどん取り込んでいくと、中途半端なマンダラが適切でない場所に滞留してしまい、放っておくと処理できずにパンクする。その整理に心理的・物理的負担がかかる。

手帖時代から同じ問題はあったけど、最新のマンダラートであるiPhone版のiMandalArtになっても本質的には変わっていない(iPad版のiMandalArt HDは使用した経験はないので、念のため)。そして「物ごとが降りかかってくる」量とスピードは、マンダラートが誕生した80年代よりはるかに多く・速くなっている。



Palm版マンダラートのver.2でGet-Manda-Laというある種GTDアプリ的なアプローチが導入され、今のiMandalArtにも受け継がれている。

新しいマンダラは全てGet画面で作られ、管理される。Getでランダムに作られたマンダラの中で、今現在取り組んでいるものをLaの画面に読み込んで作業する。あるいはManda画面にある様々な人生の局面にセットする。

ここでは一見Get画面がバケット/受信箱になっているようにみえる。でも問題は、Get画面が「マンダラ」が生まれ、管理をする場所と位置づけられていることだ。

少なくとも自分の使い方では、生まれてきて、あるいは降りかかってきてキャプチャーされるのは「マンダラ」ではなく「セル」だ。つまりまだマンダラを形成していないマンダラの「種」みたいなものだ。セルが分裂したりくっつきあったりして、はじめてマンダラが生まれるのだ。

Get画面で生まれたばかりの「セル」は、最終的に「中心セル」としてひとつのマンダラを形成するのか、中心セルの周囲を取り囲む「周辺セル」になるのか、あるいは周辺セルをさらにブレークダウンしたセルになるのか、その時点ではわからない、ニュートラルな存在だ。

しかし、今のiMandalArtでは、Get画面のファイルセルの階層にマンダラの中心セルが来るように常に意識していなければならない(ファイルセルの階層しかLa画面には読み込めないから)。

ということはつまり、書き出したセルのどれが「中心セル」になるのか常に意識していなければならないということだ。これでは、ランダムに書き出した内容を眺めながら「これは要するにどういうことなのか?」考えるときにとても不自由だ。

見出しと本文を分けるタイプのアウトライナーが、考えながら文章を書く道具として不自由なのと同じ理由だ(→このあたりに興味のある方は、こちらで議論してるので興味のある方は参照してね)。



私見だけど、この種のまだマンダラの中に位置づけられていない独立したセルは、リニアなリスト形式で表示されるべきだと思う。

マンダラートは一貫して「リニアであること」を否定してきたけれど、たくさんの断片(素材)中からスキャンするときはリニアの方がいい。「リニアは序列を生み出してしまう」というのは紙の上でのことであり、画面の上を高速スクロールするリストのコンテンツは、リニアに並んではいても序列はない。むしろ階層という枠がはまっていない分、自由だ。

最初に生まれるマンダラの「種」=セルは、リニアなリスト上にニュートラルにため込んでおき、必要に応じてどのマンダラのどのセルにも読み込んでこられるというのが、個人的理想なのだけど。
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レオ・バボータ「生産性を捨てろ」 [レオ・バボータ関連]

Renji Talkで、レオ・バボータ「生産性を捨てろ」の日本語訳を公開しました。
生産性など窓から捨ててしまおう。
ほとんどの場合悪気はないとはいえ、その種の助言は単純な理由から間違っている。それは、日々をより良くすることではなく、日々から最大の生産性を絞り出すことを目的としているのだ。
どうでもいいような物ごとを次から次へと量産するのではなく、大切なことために時間を空けておくことを想像してみてほしい。大急ぎで片づけるかわりにじっくりと楽しんで仕事をすることを想像してみてほしい。利益よりも人が大切にされる世界のことを想像してみてほしい。
詳しく読む

以下も合わせてどうぞ。
合わせて「捨てろ三部作」と勝手に呼んでます。
目標を捨てろ
To-Doリストを捨てろ
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レオ・バボータ「先送りを防ぐいちばん簡単な方法」 [レオ・バボータ関連]

Renji Talkでレオ・バボータ「先送りを防ぐいちばん簡単な方法」の日本語訳を公開しました(原文:"The Best Procrastination Tip Ever")。

この記事をみたとき、まずあなたは「後で読もう」と思うはずだ。

しかし待ってほしい。次のやるべきことに移る衝動をやり過ごしてほしい。今、読んでほしい。

読むのに二分ほどかかるだろう。そのかわり計り知れない時間を節約してくれるはずだ。

私は「先送り」についての本まで書いたが、その後この誰にとっても逆らえない敵に打ち勝つための、さらにシンプルな方法を見出した。それは信じられないほど簡単だが、他の物ごとと同様少しだけ練習が必要だ。
続きを読む

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心を許す/体を許す/犯される [Thoughts]

「心を許す」って不思議な表現だと思う。その不思議さは「心」を「体」に置き換えてみればわかる。

「体を許す」といったら他人が自分の体の中に入ることを許すことだ。

そこから類推すれば「心を許す」というのは他人が自分の心の中に入ることを許すことだ。

それってけっこうすごいことだ。簡単にできることじゃない。そして簡単に相手に求められることじゃない。

体を許していない人の体の中に勝手に入ろうとすることを「犯す」という。それはやってはいけないことだ。

ならば心を許していない人の心の中に勝手に入ろうとすることも、同様にやってはいけないはずだ。

相手の体の中に入りたいと願うなら、時間をかけて気持ちをこめて手を尽くさなければならない。それでも結局入れないことだって(たくさん)ある。だからこそ入れたときの喜びだってある。

同じように、相手の心の中に入りたいと願うなら、時間をかけて気持ちを込めて心を尽くさなければならないはずだ。それでも結局入れないことだって(たくさん)あるはずだ。だからこそ入れたときの喜びだってあるはずだ。

「なかなか心を許さない」人を安易に責めたり揶揄したり敵視したりする人は、たぶんそのことがわかってない。そしてそういう人は、おそらく体の中に入ることも簡単に考えている。
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