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1980年のサンフランシスコのバスと電車 [Diary]

1980年のサンフランシスコ市街を走るバスと電車の映像。


サンフランシスコに住んでいたのはこの前年までだからほぼ覚えている通りの街の風景。そして覚えている通りのバスと電車(それにしても映像古いなあ)。

住んでた場所のすぐ近くも出てくるから、中には乗ったことのある車両もあるかもしれない。

すさまじい音を立てるわりにはあんまり前に進まないバス、それと対照的に古色蒼然としてるのにモーター音がほとんどしなくて、「コーッ」という音とともに滑るように走る路面電車のPCCカー(そんな音まではっきりと覚えてる)。

当時のサンフランシスコの路面電車はPCCカーの最末期で、間もなくボーイング・バートル社のLRVが導入されマーケット・ストリートは地下化されることになる(この映像にも走り始めたばかりのボーイングLRVが出てくる)。

映像に出てくるWest Portal駅のあたりで、父親の運転する車の中から初めてボーイングLRVを目にして、ものすごく興奮したのを覚えている。結局一度も乗れなかったけど。

ボーイングLRVは、ベトナム戦争後の軍需産業を「民生品」に参入させることで活性化しようという政府の肝いりで開発されたもので、結果的には欠陥だらけの大失敗作だったけど(鉄道車両の経験なんかまったくなかったんだから)、デザインは今みても素晴らしいと思う。

年末にレアなものを見つけて興奮して、ついニッチな話題を……。
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マンダラートは確信させてくれる [マンダラート]

ライフハックとか生産性とか、そういうものはもうどうでもよくなってしまったんだけど、そしてレオも言うとおりTo-Doリストなんか本来はいらないのだけど、マンダラートだけは自分の中で別格。

それは個人的にマンダラートに人生を変えられたことが何度かあるから。

もう十数年前のことだけど、公私ともに出口が見えず、自分がいったい何を望んでいるのかもわからない状態になっていたとき、「マンダラート手帖」の中心セルを空欄にしたまま、周辺セルに自分が望んでいる「風景」を書き込んでいった。

タスクでもTo-Doでも発想でもなく「風景」。

周辺の8セルが埋まったところで、最後に中心セルにどんな言葉が入ればいいのか考えた。

マンダラートでは「中心セル=周辺セル」だから、それはつまりこの風景が現実のものになるためには何が必要なのか、ということ。

どう考えても答えはひとつしかなくて、それはそのとき勤めていた会社を辞めるということだった。

その解答自体はずっと前からわかっていたのかもしれないけど、たぶん無意識に避け続けていたものだった。なんかその答えはタブーみたいな気がして。

でも、空白の中心セルを眺めていると、その条件を満たす言葉はひとつしかないことをことを認めざるを得なかった。

その結論以外にあり得ないということを確信できたのは、たぶんそれが中心=周辺という構造を持つマンダラになっていたから。



それはインタビューの仕事の前にたまたま立ち寄った新横浜の「神戸屋キッチン」のテーブルでのことで、その後実際に会社を辞め、身体をこわして1年以上別居していた妻を呼び戻し、数年間いっしょに病院に通うことになるんだけど、もしその決断がなかったら(つまりそのマンダラがなかったら)たぶん今のうちの夫婦はない。

だから、マンダラートに人生を変えられたといっても構わないと思う。



よくマンダラートとマインドマップの類似が言われるけど、最大の違いは、マンダラが中心から周辺に「拡散」するだけでなく、周辺から中心に向けて「収束」する機能を持っていること。

このことが、マンダラートに単なる「発想法」以上の深みを与えているんだね。
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気持ちよくしてくれる道具(2) [Thoughts]

今ひとつEvernoteがしっくりこないと書いたのは、どうも使っていて気持ちが良くない気がするからで、そのせいでEvernoteはぜひとも使いたいのに中途半端になってしまう。

その最大の要因は、どうしてもEvernoteに自分を合わせてるような気持ちになってしまうこと。

iPhoneの場合、その対極の「気持ち良さ」を持っているのは、実は標準アプリの「メモ」だと思う。アプリを使うことを意識せず、ただメモを取るという行為に集中できる。

そんなふうにアプリの介在を忘れさせる、あるいは意識させないことを「透明感」というのですね。

機能とか仕様でいえば、その最大の違いは実際に文字を書き始めるまでの「手数」 違いだ。

「メモ」で新しくメモを書くには、右上の「+」ボタンをタップすればいい。書きながら新たに別のメモを書きたくなったら、書いてる途中でも右上の「+」をタップすればすぐに新しいメモが開く。

特にタイトルをつけなくても、メモの1行目がそのままタイトルになる。

既存のメモに加筆するときには、単にそのメモを開いて加筆したい場所をタップすれば書き始められる。

これがEvernote(のiPhoneアプリ)だと、新規メモを作るためには一度トップ画面に戻って「+」ボタンをタップする必要がある。

たまたまトップ画面にいればいいけど、たまたま他のメモを開いていて新しいメモを書きたくなった場合、いちいちトップ画面に戻らなければならない。このひと手間がバカにならない。

また、中身だけ書いてタイトルをつけないと、そのメモのタイトルは「無題ノート」になってしまう。わざわざタイトルをつけなければならないという、このひと手間がバカにならない。

既存のメモに加筆するには、加筆したいメモを探し、そのメモ開き、「編集」ボタンをタップし、ようやく編集できる状態になる。この「編集」ボタンをタップというひと手間がバカにならない。

そして、「手数」の以上に重要なのは「感触」としか表現のしようがない部分。画面の動きや、操作に対する反応に感じる、どうにも言葉にしにくい、でも確かに存在する違い。

もちろんEvernoteと「メモ」では機能の次元が違うから本来比較の対象にはならないし、「メモ」があれば事足りるということではない(いろいろ文句を言いながらEvernoteは使ってるし)。

また、開発者じゃないから専門的なことはわからないけど、「透明感」や微妙な「感触」の気持ち良さを出すことは、「多機能」「高機能」を実現するよりずっと難しいということは想像できる。そして、その割にはアピールポイントになりにくいことも。

でも、どんな機能よりも「使っていて気持ちいい」ことが、使い続けるための決め手だったという経験は何度もある。

Evernoteに限らず、高機能なアプリやサービスが「使いこなせない」という人はたくさんいると思うけど、それはもしかしたら「気持ちよくない」せいかもしれない、という視点は重要だと思う。

開発サイドにとってもユーザーサイドにとっても。
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黙認 [Diary]

今年最後の数週間、ずっと怒ってたような気がする。それもかなり意識的に怒っている姿を人に見えるようにしてたような。ポーズも含めて。

そうしたらやたらといろんな人から心配されて、先週一週間でずいぶんたくさんの人から声をかけられた(役員までが複数ヒアリングに来た)。

あいつはいよいよやばいらしいみたいな噂が広まってるかもしれない(笑)。

怒っているのにはもちろん理由があるけどそれは置いておいて、周囲からは(結果的に)隣の席に座る上司Kさんに向けて怒ってるように見えたかもしれない。

Kさんは「この状況下に手をこまねいている」みたいな言われ方をされることが多いのだけど、ポーズとして怒ったり文句を言ったりすることを、背景説明なしでもきちんと理解して黙認してくれるところが、実はこの人のすごいところだとあまり理解されていない。

何度も言うけど、先頭に立って人を引っ張るだけが人を動かす方法ではないよ。
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マンダラートは上限を教えてくれる [マンダラート]

※以下、手法を示すときは「マンダラート」、iPhone/iPadのアプリを示すときは「iMandalArt」と表記します。

手法としてのマンダラートの不思議なところは、他の手法やツールだったら答えが出ないところに答えを出してしまうところ。

いろいろあるけど、たとえばマンダラートは「上限」を教えてくれる。

たとえば「一日あたりのタスクの上限はいくつなのか?」とか「担当するプロジェクトはいくつを超えたら多すぎなのか」という疑問に対して「8つ」という明快な答えを出してしまう。

こういうのは、他の手法ではまねができない。

なぜ「8つ」なのかというと、直接的にはひとつのマンダラに8つしか書く欄がないからなんだけど、それだけでなくちゃんとした根拠もある。それは、人間が自分の頭で把握できる上限が「8つ」なのだということだ。

「8つ」というのはつまり、人間を中心にした前後左右とそれぞれの間ということ。というとわかりにくいけど、方角で考えるとよくわかる。それはつまり東西南北と北東、北西、南東、南西のことだ(そして、それはまさに自分を中心に置いたマンダラそのものだ)。

人間は自分を中心とした東西南北と北東、北西、南東、南西という8方向は、特に努力しなくても認識できる。でも「南南西」とか「北北西」とかが入ってくると直感的には認識できない。

だから人間が補助無しで自分の頭で直感的に認識できる数の上限は「8」なのだ。

恐ろしいほど単純で明快で確固たる根拠だけど、そう言われると確かに納得がいく。



2週間くらい前、何の気なしに担当しているプロジェクトをマンダラに書き出してたら、ひとつのマンダラに入りきらなかった(2つのマンダラでも入りきらなかった)。

そのとき、「これは多すぎだ(忙しすぎるわけだ)」ということがすごくリアルに感じられるのがマンダラートなわけですね。

単なるリストに書き出していたら、おそらくそれを感じることはない。ただひたすら長いリストを前に、自分の処理能力の不足だけを感じることになる。

どれだけツールが進歩したとしても、人間がやる以上その頭で認識できる数が上限に決まっている。

一日のタスクでもそれは同じはず。

いかにたくさんの物ごとを処理するかということに主眼を置いた手法やツールはたくさんあるけど、どこから先が多すぎるのかを確信を持って判断できるツールというのは、他にない。
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猫関係の営業職 [Diary]

仕事をする上で苦手なことがあって、それは人の名前と顔が覚えられないということ(致命的じゃないか)。

猫の模様なら一度会っただけで一発で覚えられるんだけどな。

去年あそこの駐車場に白ベースのキジブチがいたとか、あの家の玄関先で以前白エプロンの茶トラを見かけたとか。

名前だって、猫の場合は知り合いの飼い猫でもないと(名前のある猫でも)なかなか知る機会がないけど、自分で勝手に名前をつけちゃうから大丈夫。

そして一度つけた名前は絶対に忘れない。

猫関係の営業職についた方がいいんだろうか。
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気持ちいい電車 [Diary]

鉄道趣味の人ではないけれど、鉄道は好き。

界磁チョッパ制御と電機子チョッパ制御の違いについて説明せよと言われてもできないけど、電車なんてみんな同じとは思わない。

不思議だけど、乗ってて気持ちのいい電車とそうではない電車というのは確実にある。そしてそのことが明らかに乗車のモチベーションを左右している。

生まれたのがJR京浜東北線の沿線なので、青い103系に乗って育ったけど、たまに乗る東急8000系の方が乗っててずっと気持ちよくて子どもの頃から羨ましかった。

今、東急沿線に住んでる遠因が実はそれではないかとにらんでいる(というか、実際にそうだと思う)。

乗ってて気持ちいいというのは、揺れが少ないとかそういう単純な話でもなく、モーター音とか加速するときの感じとかから受ける生理的な快不快みたいなもの。京急なんかもカーブの多い路線をアホみたいに飛ばすからひどく揺れるけど、決して気持ち悪くはない。

逆に今のJR横浜線の205系は加速が鈍いくせに、前後にがくんがくん動揺して生理的に不快だ(6扉車を連結してからひどくなった)。そしてそれが横浜線に乗りたくないという感覚を抱かせる。

その乗りたくない横浜線に、もし毎日乗れと言われたら、人生に微妙な影響を及ぼすような気がする。

下らないことみたいだけど、日常の中のこの種の細かい快・不快の積み重ねは、長いスパンの中では決して侮れない影響があるはず。

道具と同じだ。いや、交通機関だって移動する道具なんだから。

※だから、鉄道趣味の人ではありません。
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回復に努める。 [Diary]

おそらく今の職場に来てからもっとも忙しかった10月以降の3ヶ月。

さすがに疲れが蓄積したのか今週は頭から体調が悪く、火曜には身に覚えのある腰の痛み(たぶん結石系)、水曜の朝の報告会の寸前にはしびれるようないやーな寒気(たぶん貧血系)。

その日はユンケルとトイレの個室に隠れての仮眠でなんとかしのいだけど、これは自重しないと去年の二の舞になると感じたので、水曜の忘年会と木曜の恒例焼き肉会は両方ともパス(診療所の先生から飲み会はストップがかかったし)。

水曜の忘年会は、9月までいた以前の部署の人たちが送別会(忙しくてここまで誰もそんなものを企画できなかった)をかねて呼んでくれていたものだし(花束まで用意してくれてたと後で知った)、木曜の恒例焼き肉会は、職場の飲み会的なものにはあんまり積極的に参加しない自分が唯一毎年参加してるもので、その場でしか会えない人が何人かいる。

そういうのを断るのって悲しいものだし、自分がなんだか冷たい人間みたいな気がしてくるけど、それもまた勇気。

幸いにもこの連休は休むことができたので、体力の回復に努める。
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最大限に研ぎ澄ました幸福に対する感覚 [Thoughts]

個人的に好きになれないもののひとつに「やっぱり好きな人より好いてくれる人といっしょになるのが幸せなのよ」的な物言いがあって、結構な若ものでさえそれで納得したり、あろうことか自分自身で口走ったりすることに心底驚くことが多い。

この手のものには「二番目に好きな人といっしょになるのがいい」とかいろんなバリエーションがあるけど、そんなわけないだろう。結果的にそうなることはあるだろうけど。

おそらくその背後には、いろんな事情から好きな人といっしょになれなかったとか、好きな人といっしょになったけどうまくいかなかったとか、そもそも自由に恋愛や結婚をすることができなかった時代に生まれたとか、そういう「先輩」たちの怨念があるんだと想像するんだけど(本当はどうなんだろう。専門的に知ってる方教えてください)。

背景はともかく、今耳にするその言葉に感じるのは「仕方がない」「しょうがない」という日本語に代表される、悪い意味での諦観だ。そしてもっと言うなら無責任さだ。

いいですか。恋愛とか結婚とかその手の物ごとについて人生の先輩のアドバイスなんかきいてはいけない。

最大限に研ぎ澄ました幸福に対する自分の感覚に従うしかない。

もちろんそれで失敗することはあるけど、それは一般化できるタイプの失敗ではないからいずれにしても人にアドバイスしたりされたりするような性質のものではない。

何よりもその失敗を受け入れる覚悟がないのが無責任だと言ってるんだ。



でも、よく考えてみれば「最大限に研ぎ澄ました幸福に対する自分の感覚」が必要なのって、何も恋愛や結婚ばかりじゃなくて生きること全てに当てはまる。

たとえば就職にも転職にも勉強にも。それだけじゃなくて食べることも寝ることも人と付き合うことも。

とすれば、上でさんざんけなしたのと同じ種類の無責任さに自分も陥ってないと言い切れるかというとそんなことはない。

最大限に研ぎ澄ました幸福に対する自分の感覚に従っていないことが、確かにある。

とても、恥ずかしいことだ。
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気持ちよくしてくれる道具 [Thoughts]

しばらく前、「エフォートレス・ライフ」を訳していて、なんかここのところおっくうだよなー、と思って停滞してたんだけど、よく考えるとどうもScrivenerがしっくり来ないのだということに気がついた。

長文を訳すとき、パートごとに細かくバージョン管理ができるScrivenerはとても便利で、「フォーカス」のときから使ってるんだけど、どうもキーボードからの入力に対する画面の反応がしっくり来ない。

動作が遅いとかそういうことではなく(ぜんぜん遅くない)、すごく微妙な感覚なんで一般化はできないし、Scrivenerが良くないということでは全く無いんだけど(むしろScrivenerはとても志を感じるソフトで好き)。

とにかく気持ちよさが足りないと思ったんで、「フォーカス」のときに最終段階で使ったPagesを最初から使うことにしたら、途端に作業が進み始めた。

Pagesは決して動作が速いソフトではないけど、文字を打ち込んでいって、段落が画面上に形成されていくときの文字の動きの感じがすごく気持ちよくて、その気持ちよさに引っ張られて作業が進む。

ついでに言えば、Wordではぐちゃぐちゃになってしまって、事実上使い物にならないアウトラインとスタイルの連動部分のインターフェイスが実にシンプルに作られている。Pagesは文章書きの道具として、もう少し評価されてもいいと思う。



「道具なんか何を使っても変わらない」という人がいるけど、そういう人は個人的にあんまり信用できない。とまでは言わないけど。

その人は音楽家に対して「楽器なんか何を使っても同じだ」と言うんだろうか。あるいは野球選手に「グラブなんか何を使っても同じだ」と言うんだろうか。

気持ちがいいときに、人はいちばん力を出すことができる。そもそも「快感」という機能自体が人間を目的に向かってドライブさせるためにあるわけだよね。

(性的な快感は子孫を残す行動へのモチベーションだし、味覚は本来は生きるために必要な食べ物を判別するための機能なはず)

道具の目的が、人間の能力を増幅するためのものだとすれば、使っていて快感があるというのは、いちばん重要な要素だ。

だからキーボードの叩き心地や、画面上の動作の微妙な「気持ち良さ」や画面に表示されるフォントの美しさには、頭で考える以上に意味がある。マックでいえば、OPALJeditは確かにその道具としての条件を満たしてると思う(そして今回の一件でPagesを入れてもいい)。

もちろん自分にとって何が気持ちいいかというのは個人差があるから、本当は道具というものは自分で選べなければならない。

その意味では特定の「道具」を強制するしかない、今の職場や学校でのコンピューターのあり方は、とても愚かなものだと思う。


そしてそして、今ひとつEvernoteがしっくり来ないのも、たぶんそのことと無関係ではない。あ、それからFacebookも。
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