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レオ・バボータ「何もない環境の中で自分を発見する」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータのブログmnmlistより「Finding yourself in spareness」の日本語訳を「何もない環境の中で自分を発見する」として公開しました。

私たちはしばしば、モノによって自分のアイデンティティを表現する。

ロゴやスローガンや素敵なキャッチフレーズが印刷された服を着ることで自分を表現する。タトゥもピアスも野球チームのキャップもアクセサリーもスマートフォンもブランドバッグもマノロ・ブラニクの靴もみんな同じだ。こうしたモノは、私たちが何であるかを表現しているのだ。

家では壁に何をかけているかで自分を表現する。観ているテレビ番組、読んでいる本、好きな有名人、フォローしているブログ、フェイスブックで「いいね!」するブランド。これが私たちのアイデンティティなのだ。

では、これらを全て捨て去ってしまったらどうなるだろう。飾り気のない服と何も置かれていない家しかないとしたら……どうやって自分を表現するだろう。何によってアイデンティティを作り出すだろう。そうなったら「ミニマル主義者」がアイデンティティになるのだと言うかもしれないが、そのレッテルからはちょっと離れてみよう。
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レオ・バボータの最新著作「The Effortless Life」の全訳「『楽』に生きるための簡潔なガイド」を公開中。購入していただいた方、ありがとうございます!
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シンプルでクリアで刃に変わらない言葉 [Thoughts]

RSScushion.jpg劣悪な状況を改善するにはどうしたらいいか? 今のままの方法でうまくいくと思うか? なぜうまくいかないのか?

そういうことを人に説明する必要が切実にあるけど、ひととおり説明すると、もっと具体的に話してほしいといわれる。

なぜうまくいかないのかを正確に、具体的に言葉にしようとすると、それはまるである特定の個人を批判し、戦犯として糾弾しているように聞こえる。

Aさんがこの役割ではダメだと思う。それではうまくいかない。

それはもちろん「AさんはダメだとTak.が言っていた」という言葉となって流通する(だと思ったんだ)。自分が言いたいのはそんなことじゃない。Aさんがこの役割ではうまくいかないということと、Aさんがダメだということは同じではない。Aさんはダメなんかじゃない。でもそれは無駄な努力だ。

ただの事実を述べただけの言葉が、人々の間を通り抜けるうちに刃に変わる。一度放たれた言葉の刃は取り消すことができない。言葉の刃は相手を、そして自分自身を、文字通りざっくり切り裂く力がある。

それを避けたいなら、人前で沈黙するしかない。無口で何を考えてるかわからない人になるしかない。

でもきっと、そうじゃない言葉があるはずだ。その言葉の感覚を磨くことが大人になるということのひとつの意味なのだ。シンプルでクリアで刃に変わらない言葉。

と、個人的には思ってるよ。
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レオ・バボータ「ありのまま受け入れる」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータのブログmnmlistより「Being OK with things as they are」の日本語訳を「ありのまま受け入れる」として公開しました。
人生をより良いものにしようと、私たちは努力する。多くの場合、今の物ごとのあり方に満足していないからだ。そのことはよく知っている。私自身がそうだったのだから。

自分の見た目が気に入らないので、改善しようとする。家が気に入らなかったので、もっといい家を手に入れるために働く。周りの人々も改善してほしいので、変えようと努力する。変わらなければ失望する。

これは終わりのない戦いだ。私たちは、物ごとや自分自身のあり方に満足できないとき、それを変えようとする。しかしその後はどうだろう。私たちはまだ不満足なままだ。なぜなら、問題の根本は周囲の物ごと(あるいは私たちの容姿などなど)ではなく、私たち自身の期待だからだ。私たちは、物ごとが今あるようではないことを期待しているのだ。

これは、私たちが常に何らか意味で不幸だということだ。期待は満たされない。私たちは周囲を変えることで、この問題を解決しようとする。他人を変え、自分自身も変わろうとする。もっとお金を使いたい、消費したい、モノを買いたいという衝動も根は同じだ。この衝動に対抗しようという試みがミニマル主義なわけだが、それは根本の問題、つまり私たちの期待に目を向けてはじめて可能になるのだ。
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新鮮さ屋 [Diary]

ハンバーガーチェーンで個人的に好きなのはバーガーキング(再上陸歓迎)と、ウェンディーズ(再上陸歓迎)なんだけど、両方とも自分の行動圏内にはない(一度撤退する前は横浜中央図書館のそばのウェンディーズによく入ってたんだけどね)。

そしてハンバーガー屋さんというのは(特にチェーンのは)、どんなに好きでもわざわざ食べにでかけていくものじゃないと思ってるから、よほどの機会に恵まれないと食べることができない。

それで、もっと身近にあるお店で好きなのは、フレッシュネスバーガー。

でも、フレッシュネスバーガーおいしいと思うんだけど、ひとつだけどうしても納得しかねるというか、むずむずして居心地が悪いというか、そういう問題点があって。

たとえば外国のどこかに、新鮮な素材を活かした日本料理を売り物にするチェーンがあったとして、その名前が「新鮮さ屋」だったとしたら、なんかむずむずするような違和感があると思う。これが「新鮮屋」だったらどんなに落ち着くだろう、みたいな。そんな感じ。

いやだから、フレッシュネスバーガーは大好きなんですよ。
ポテトもちゃんとじゃがいもの形してるしね。
オレンジティーおいしいしね。
ケチャップとマスタード置いてあるしね。
クラシックバーガーにマスタードをたっぷりとかね。
(お腹すいてます)
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「雑」が命 [Diary]

自分も妻も、人の多い場所が何よりも苦手なのに、ときどきついうっかり人の多い場所に行ってしまうことがあって、たとえばそれは桜満開の週末(つまり先々週)なんかに起こる。

ていうか、普段人のいない場所に極力近寄らないようにしていると、逆に人が集まるという状況そのもののを忘れちゃうんだよね。

人がいないイメージで出かけた場所がお花見の人々で溢れてて、たちまち人酔いして退散したんだけど、その後は「最初のもくろみが外れるとその後はすべて外れ続ける」法則の通り、スタバにも混んでて入れず、結局すごすごと家に帰った。

そんなときに生き返らせてくれるのは、やっぱり「いつものところ」。夜改めて外出して訪れたそこは、本当に席に座った瞬間全身から力が抜けていくくらい落ち着く。こんな店はなかなかない。

目が覚めるくらい料理が美味しいわけでもないけど、そんなことは問題じゃない。

オムライスを頼むとマスターがコンビニに卵を買いに走るけど、そんなことは問題じゃない。

ときどきマスターが客用のテーブルに座ってバイオリンの練習をしてるけど、そんなことも問題じゃない。

ここは接客とか対応とかそういう無粋なことを言う店ではない。この「雑」さがこの店の命なのだ。

じゃあ、どこの店でもこのくらい緩ければいいのかというと、たぶんそんなことはなくて、それはやっぱりやっぱりマスターの人徳というものでしょう。

そして、この「雑」さを維持するためにマスターは実はけっこうカゲの努力をしている、と見ている。
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レオ・バボータ「予測できない自由、カオスの甘美」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータのブログZen habitsより「The Unpredictable Freedom and Sweetness of Chaos」の日本語訳を「予測できない自由、カオスの甘美」として公開しました。「『楽』に生きるための簡潔なガイド」のエッセンスを封じ込めたとも言える内容です。
生産性向上、プランニング、整理術に関する人生を変えてしまうようなハックを紹介しよう。予測できない結果をもたらす可能性もあるが、正しくアプローチすれば、自由、喜びとともに驚くべき成果をもたらすだろう。

この奇跡のようなハックとはどんなものだろう?

簡単なことだ。何かをコントロールしようとすることを止め、人生の奔流に押し流されることを、自分自身に許すのだ。何かを計画するという考えを捨て、何が起こるかわからない状況を受け入れる。生産性という考えを捨て、新しい発想、新しい可能性、自発的な創造性に心を開く。

考えてみよう。今日の、今週の、そして年間の計画を立てようとするとき、私たちはどんなことをしているだろうか。人生をコントロールし、計画という形を取って、今日の、今週の、この一年の人生を予測しようとしているのだ。私たちはこう言っているのだ。今日はこれをする。物ごとはこのように進むだろう。これが達成できたら人生は良くなる。今日という日についての私の考えはこうだ。

今度は別の考え方をしてみよう。書き出したことが現実になるかどうかは全くわからない。将来を確実に予測することなどできない。当てにならない予測に基づいて計画するという発想は素敵なフィクションではあるが、所詮はフィクションだ。今日何が起こることなどわからないし、今週、今月となると、それ以上にわからない。今年何がおこるか予測する? 馬鹿げている。
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「雑」の機能、そして「楽」との関係 [Thoughts]

自分のことをあまりよく知らない人から、ほとんど例外なく言われるのは「真面目で丁寧できちんとしてそう」ということ。

だからたぶん、自分が人に対してそういう印象を与えているのは事実だと思うし、おそらくその印象のまま終わる人の方が数としては多いはず。

でも、少し突っ込んだつきあいをしたり、いっしょに仕事をしたりした人なら知ってるとおり、実は全然そうではない。いやたぶんまじめではあると思うけど、全然「きちんと」してはいない。基本的に雑で大雑把な人間だ。

本当は「真面目で丁寧できちんとした」人になりたいと思うけど、そしてそのために子どもの頃からずいぶん努力したけど、そうはなれなかった。そのことに長年コンプレックスを抱いてたりもする。

でも最近思うんだけど、もし自分が雑で大雑把な性格でなかったら、もし自分に課せられた役割や責任を、すべてきちんと破綻なく確実に完璧にこなそうとしていたら、自分はたぶん30代のはじめくらいで「焼けきれて」いたんじゃないだろうか。

身の回りにいる、あるいはかつて身の回りにいた、自分より遥かに緻密できちんとしていて優秀で責任感の強い、要するに「真面目で丁寧できちんとした」人の多くが、三十代後半から四十代にかけて身体を壊したり心を病んだり、あるいは表面的にはそうでなくても心の中から何かの光が消えてしまうのを目の当たりにしていると本当にそう思う。それは文字通り「焼けきれる」という言葉がふさわしい。

忘却が脳の大切な機能であるように、雑であるということは、ある場合には自分を守るための生き残るための機能なんじゃないかとも思う。

そしてその機能が発揮されて、自分を守ることができた人が、たとえ完璧とは言いがたくても、結果的には自分に課せられた役割や責任を果たし続けることができるという、この不思議。

自分に課せられた役割や責任というのは、究極的には〈生きる〉ことそのものだ。



恐ろしいのは、この歳になると「おそらくこの人は近い将来焼けきれるだろう」ということがわかるようになってくることだ(そして大抵その通りになる)。

だから「雑」であることについて、最近よく考える。

もしかしたら、「雑」をもう少しポジティブな言葉に言い換えると、レオ・バボータの言う「楽(Effortless)」に近いものになるのかもしれない。
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許容孤独量 [Thoughts]

いつの頃からか、人生における孤独の量は一定なんだと思うようになった。

昔はそうじゃなくて、世の中にはより多くの孤独を味わう人とそうじゃない人がいると思っていた。

たとえば戦争の時代に生まれた人とそうじゃない人。
大きな災害に遭遇した人とそうじゃない人。
家庭環境に恵まれた人とそうじゃない人。
いじめにあった人とそうじゃない人。
大きな病気を経験した人とそうじゃない人。
伴侶を早く亡くした人とそうじゃない人。
いろんな種類の不幸に遭遇した人とそうじゃない人。

でも、大人になって思うようになったのは、孤独というものは身体の中にたまっていくものだということ。そしてたまった孤独が一定量を超えると人は生きてはいけないということ。

もっと簡単にいうと、あまりに長く、あるいはあまりに深く孤独であった人は死んでしまうのだということ。

文字通り肉体的に死んでしまう人もいる(病んで、あるいは自ら命を絶って)し、たとえそうでなくても精神的に死んでしまうということもある。ときどき出会う、孤独から心を守るために心の周囲に高く分厚い壁を作り続けて、自分でその壁の中から出られなくなってしまったような人のことね。

そういうとき、ああこの人は許容孤独量を超えてしまったんだなと思う。

だから科学的にはどうかわからないけど、体感的には確かに人生における孤独の総量は一定なのだ。

肉体的に死んでしまう人、精神的に死んでしまう人、どっちも悲しいけど他人にはどうしようもない。そして誰にとっても無関係なことではない。

で、孤独の量を相殺できるのは、同じ量の孤独ではない時間だけだ(と、まだ少しは若いから思っている)。でも、許容孤独量を超えてしまった人に対してもそれが有効なのかはどうかは、わからない。



そういえば「人体における毛の量は一定である」という説があったな。
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中和 [Diary]

この一週間は、組織や集団にまつわる、率直に言ってとてもうんざりする出来事がいくつかあり、でもいいかけんオトナになったのでそのことに関する言葉を飲み込み続けた結果、言葉の毒が身体の中にたまっている気がした。

そして自分の中の攻撃性が制御できないような気も。

こういうときは、自分の中の重要な部分を外のものに乗っ取られたままにせず、基準を自分に取り戻すことで、毒はずいぶん中和される。

だから金曜の夜はとてもとても疲れていたし、酔っぱらってもいたけど、そのまま倒れ込んで寝たりせず、水をたくさん飲んでお風呂に浸かってあったまって寝た。

朝から出かける用事があった土曜日はよっぽどキャンセルしようかと思ったけど(頭痛かったし)、予定通りちゃんと起きてコーヒー飲んで出かけた。

電車の中で、本も読まず音楽も聞かず、もちろん来週の予定を確認したりせず、マンダラを作ったりもせず、ただレールの音に耳を澄ませて景色を眺めた。それからいろんな人たちを眺めた。

帰ってきて作ってもらった野菜スープ飲みながら、ようやく今週の出来事と今の気分を口に出した。

それから、寝た。

起きてから、好きな人たちのことや信頼する人たちのことを考えた。
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レオ・バボータ「立ち去る力」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータのブログmnmlistより「Be able to walk away」の日本語訳を「立ち去る力」として公開しました。
あらゆる形の交渉ごとで最強の武器は、その場から立ち去る力だ。

交渉を打ち切り、その場から立ち去ることができる人(その振りをするのではなく、本当に立ち去るということだ)が、最も強い立場にいる。なんとか取り引きを成立させなければと思っている人が、いちばん弱い。

車を買うときも、新居の購入契約をするときも、外国の蚤の市で値切るときも、賃金交渉をするときも同じことが当てはまる。

人生のあらゆる場面でも同じだ。

その場から立ち去ることができない物ごとなどほとんど何もない。そのことを知ろう。
・・・
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レオ・バボータの最新著作「The Effortless Life」の全訳「『楽』に生きるための簡潔なガイド」を公開中。購入していただいた方、ありがとうございます!
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