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レオ・バボータ「『楽』に生きるための簡潔なガイド」公開 [レオ・バボータ関連]

大変お待たせしました。

レオ・バボータの電子書籍「The Effortless Life: A Concise Manual for Contentment, Mindfulness, & Flow」の全訳「『楽』に生きるための簡潔なガイド」を公開しました。

→公開ページへ

元がフリーだった「フォーカス」のときと違って、今回は原文が原則$15.99(今日時点で1,324円)での有料販売のため、いろいろと迷いましたが、以下のような形にしました。

まず、今回は「1セット1000円」の有料ダウンロードとなります。セットの中には、以下が含まれます。

「『楽』に生きるための簡潔なガイド」PDF版
「『楽』に生きるための簡潔なガイド」epub版
(おまけ)「フォーカス:雑音化時代を生きるためのシンプル化宣言」PDF版
(おまけ)「フォーカス:雑音化時代を生きるためのシンプル化宣言」epub版

おお、おまけの方がページが多いじゃないか。得だ得だ(よしもとばなな風)。

ちなみにepub版は、iPhoneとiPadのiBooksアプリで読める形式です。マックかPC上のiTunesの上にドラッグして読み込ませ、iPhoneかiPadと同期すればiBooks上の電子書籍として読めるようになります。



さて、有料販売とした理由は私腹を肥やすためでもありますが、もちろん原著者であるレオ・バボータさんにお金を支払うためです。具体的には、販売価格の半額分をレオに支払います。

契約を結んだわけでもないのにどうやって?

簡単です。1000円で1セット売れたらレオの原著を500円で1冊購入します。ダウンロード販売代行業者に支払う手数料があるので、厳密にその通りの金額にはなりませんが、考え方としてはそういうことです。

そんなザツなやり方で大丈夫かと思われるかもしれませんが、これはレオが原文をUncopyrighted(著作権放棄)として公開し、しかも今回の「The Effortless Life」に関しては購入側が購入金額を自由に決められるという、極めて柔軟かつ太っ腹な販売方法を採用してくれているおかげです(なので「原則」$15.99なんです)。

本当は日本語版も購入金額自由設定方式にしたかったんですが、技術的に難しかったのと、レオに支払う分の計算がわかんなくなりそうだったので止めました(販売方法は金額も含めて将来変更する可能性があることをご了承ください)。

あと、ダウンロードが若干面倒かもしれませんが、ご容赦を。



有料販売という形は取りますが、日本語訳も原文と同様Uncopyrightedとします。ダウンロードしたあと、どのように使っていただいてもかまいません。ひとつ買って職場全員に配ってもいいです(でも全員に購入していただければ、もちろんうれしいです)。

そして、もし配布したり、何らかの形で公に利用をする場合には、現著者であるレオ・バボータさんの名前と、訳者Tak.の名前を明示してくださいね。これは義務ではなく希望ですが、みなさんが希望をかなえてくださるものと信じています。メールいただければ本名だってお知らせします(笑)。



レオの著書と訳を合わせて1000円の価値はあるものと自負してますが、出だしの部分を公開ページに掲載してるので、チェックしてみてください。

また、今回のセットにも含まれている「フォーカス」フリー版全訳、そしてレオのブログ「Zen Habbits」および「Mnmlist」の記事を選択して訳したものも、引き続き公開してますので、レオの著作を読んだことがない方は、まずはそちらを読んでみてくださいね。

「『楽』に生きるための簡潔なガイド」公開ページはこちら!
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閉じていたものを開いていく力 [Diary]

いわゆる帰国子女(死語)であるということは、職場では内緒にしている。知ってるのは、職場の中で個人的に信頼を置く3人だけ。

自分で言うのはなんだけど、あんまり健全なことじゃない(それに70年代ならともかく、今の時代そんなに意識するほどのことでもない)。

職場でということでいえば、はっきり言ってビジネスに使えるほどの会話能力じゃないということはある。それにうちの職場は全社的に英語コンプレックスが強くて、ちょっとでも英語ができると言った瞬間、「グローバル事業部」(的なところ)に送り込まれちゃう傾向があり、そうなると家庭事情的に長期の海外出張に行けないからいろいろ困る。

でも考えてみれば、今の職場に来る前にだって人に言ったことはほとんどない。高校でも大学でも以前勤めていた職場でもほとんどの人は知らなかったと思う。

どうして自分はこんなに閉じてるんだろうね、ということはずっと気になってはいたんだけど。

職場でそのことを知っている数少ない一人からは「何かそのことですごく嫌なことがあったんじゃないですか?」と言われたけど、そしてたぶんその通りなんだと思うけど、具体的に何があったのか思い出すことができない。

ただ、学校と関係した何かがきっかけで、それ以来そのことをあまり口外しなくなったような気はする。20代半ばになるまで、自分自身さえ半ば忘れていたくらい。妻であるTomo.さんさえ、ずいぶん長い間知らなかったっていうし。

今頃そんなことを思うのは、最近少しずつ自分の中で何かが溶け出してるような気がするから。

そして、それはたぶん翻訳をするようになったこと、それにともなって大量の英語を読むようになったことと無関係じゃないと思う。

数日前、職場で4人目にカミングアウトした。ごく自然に、さらっと。

それ自体は大したことじゃないけど、自分の中でそれはちょっとだけ嬉しくて、ちょっとだけ意義深い出来事なのだった。誰にもわからないと思うけど。

まだ自分には、閉じていたものを開いていく力がある。
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