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気持ちいい方の道 [Diary]

金曜日はひとつ朝から決めてたことがあって、それは目の前に「近い道」と「気持ちいい道」があって迷ったら、無条件で「気持ちいい道」の方を選ぶということ。

だから朝は近道の地下道ではなく、猫のいる緑道の方を通り、コンビニでパンを買うかわりにスタバでマフィンを食べた。

お昼はコンビニで買ってくるかわりに、たまたまランチに誘ってくれた後輩といっしょに一時間かけて玄米ごはんと煮魚の定食を食べた(少し時間オーバーした)。

クライアントでの打ち合わせが終わった後、まっすぐに帰らずクライアントの敷地の中のちょっと公園みたいになってるところをぐるっと一周して帰った。

職場に戻る電車は時間がかかるけど座れる方の電車を選んだ。ついでに職場に戻る前にもう一回スタバに入って一息ついた。

というような小さなことなんだけど、やってみて改めて気づいたこと・自覚したことが三つ。

一つ目は、普段の平日はほとんどの場合、逆の選択をしているということ。

二つ目は、そのたびに少しだけ無理をしていること。その少しだけの無理を繰り返すことが、実は肉体的にも精神的にも決して無視できない影響を与えているということ。

そして三つ目は、意図的に気持ちのいい(=時間がかかる)選択をしても、別に悪いことは何も起こらなかったということ。



で、結論は「気持ちのいい方の道」を選んだ方がいいということ。

考えてみたら、気持ちのいい道を選ぶことが確実に悪い結果につながるような場面では、そもそも迷うことはないはず。

だから迷ったら気持ちのいい方を選ぶというのは、たぶん合理的な考え方だ。
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レオ・バボータ「忙しいのはもう止めよう」日本語訳公開 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「The end of busy」の日本語訳「忙しいのはもう止めよう」を公開しました。
忙しいのはもう止めよう。そうすれば、やるべきことの半分は終わったようなものだ。

考えてみよう。私たちがどれだけ忙しいか。そしてどれだけそのことを自慢の種にしてきたか。つまりこういうことだ。私はとても忙しい。だから私は重要な人物に違いない。

「やらなきゃならないことが死ぬほどある! 何をする時間もない! ペースを落とすことなんかできっこない——私は忙しすぎる」。生産的であること、行動的であること、予定がびっしり詰まっていることを良しとする社会では、これは良いことだと思われている。

馬鹿げた考え方だ。多忙とは雑事に追われていたり、無意味なことをしていたり、大して重要でない小さなことばかりして少数の重要なことをしていないということなのだから。
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レオ・バボータの最新著作「The Effortless Life」の日本語訳「『楽』に生きるための簡潔なガイド」公開中。購入していただいた方、ありがとうございます!
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デイブ・ワイナーによるアウトライナーについてのスクリーンキャスト [アウトライナー]

最初のアウトライナーであるThinkTank、そしてマックの名作アウトライナーMOREの開発者、デイブ・ワイナー自身によるアウトライナーについての(!)スクリーンキャスト

アウトライナーの歴史に始まりアウトライナーは何の役に立つのか、OPML Editor上で今自分が開発している環境で何ができるのか、そして自分はこれから何をしようとしているのか。

ワイナーファン、そしてアウトライナーフリークとしては鳥肌モノです。

話してる内容をリアルタイムにアウトライン化しながら、必要に応じて折りたたみ・展開しながら説明するんだけど、それだけで話の全体像がどんなものなのか、今何を話しているのか、今話していることか全体の中でどこに位置づけられているのかというようなことが、手に取るようにわかる。

コンピューターによるプレゼンって、本来こういうものなんじゃないかという気がする。

アウトライナーがいまいちピンと来なかった人も、ただ眺めているだけで、アウトライナーのなんたるかがよくわかるんじゃないかと思う。

ちなみに使われているアウトライナーは、アウトライナーであり開発環境であり実行環境でありCMSでもあるという、怪物みたいなOPML Editor(かつてのUserland Frontier)です。

これからワイナーがアウトライナーで何をしようとしているかも垣間見えます。

楽しそうにすると楽しくなる [Diary]

昔、いつも楽しそうにしている魅力的な女性に「どうしていつもそんなに楽しそうなの?」と聞いたら「楽しそうにしてるとだんだん楽しくなってくるから」という答えが返ってきた。

その人が、人並み以上の孤独や痛みや恐怖を抱えて生きているということを知ったのは、もっとずっと後のことだった。そして、その人が「楽しそうに」しなければならなかった切実さも。

そして「楽しそうに」することは演技のようであって演技ではないということも。

演技ではなく「楽しそうに」することで、自分以上に他人を救っていたことも。

今でもその人のことを思い出すたびに、自分も難しい顔ばっかりしていてはいけないと思うけど、なかなかそうはできない。

きっと、その人ほどの孤独や恐怖や痛みを自分は抱えていないからだ。

それでも、生きていくからには孤独や恐怖や痛みがそれなりにはあるのだから、その分くらいは演技ではなく「楽しそう」にしていたいものだね。
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厳しい朝、小さな奇跡 [Diary]

たとえば午前10時からクライアントで大事な打ち合わせがあるのに、朝の段階で何も資料ができていなくて、始発電車に乗って6時過ぎに出社しようと急いでるような朝に限って、猫たちに会う。

そしてそんなときの彼らは、不思議にいつもよりフレンドリーだったり。

普段歩いていて遊ぶ猫に出会うことが年に何回あるかと考えると、それ自体が小さな奇跡みたいな気がする。

そしてそんな小さな奇跡にこそ人は救われる。

30秒でも早く職場に着こうと急いでいたところが、うっかり5分間猫と遊んでしまうことを通じてバランスを回復したりして。

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レオ・バボータ「実行の禅」日本語訳公開 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータのブログZen Habbitsより「the zen of doing」の日本語訳を「実行の禅」として公開しました。

原文公開はちょっと古いですが(2010年4月)、今の自分にとっては切実にリアルな内容だったので敢えて訳しました。

あと、もともとはGTDに代表されるライフハック系ブログだったZen Habitsが大きく変わってきた、境目の時期のものですね。
現代社会というカオスの中では、単に何かを行うということの中にこそ美がある。

私たちはその内容がなんであれ、飛び交うメール、人との会話、ニュース、事件、要望などに翻弄されている。そして私たちの意識は、過去をさまよう思考、将来への不安、あらゆる方向に私たちを引き裂こうする雑音、そんなものの洪水に常にさらされている。

しかし、何かをただ行うということにフォーカスするとき、そんな全ては溶けてなくなる。

座ること、歩くこと、書くこと、読むこと、食べること、洗うこと、話すこと、抱き合うこと、遊ぶこと。どんなことでもかまわない。ただそれを行うことにフォーカスすれば、心配事や焦り、嫉妬や怒り、嘆きや雑音は消え去っていく。

このシンプルな考え方の中には、何か非常に深いものがある。究極的な、心が張り裂けるような、息を飲むような素晴らしい何かがある。
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