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ビル・ゲイツがデイブ・ワイナーを買わなかった話 [アウトライナー]

ぼくを本格的にアウトライナーフリークにしてしまったのは、奥出直人さんの「思考のエンジン」「物書きがコンピュータに出会うとき」だけど、そこで紹介されたアウトライナー(マック用のMORE、IBM互換機用のGrandView)は、いずれもかつてデイブ・ワイナーが経営していたリビング・ビデオテキスト社の製品だ。

結局、ぼくが思うアウトライナーの基準を作り上げたのはワイナーなんだよね。

で、かつてリビング・ビデオテキスト社はもう少しのところでマイクロソフトに買収されるところだったらしい。

MOREはアウトライナーとしての機能の他に、アウトラインをプレゼンテーション用のスライドに変換する機能を持っていた。つまり、今日のプレゼンテーションソフトの元祖(のひとつ)でもあった。

ビル・ゲイツはその機能を手に入れるために、ワイナーに買収話を持ちかけた。

ワイナーも乗り気だったが、話が決まる寸前でマイクロソフトはもう一つのプレゼンソフトを作っていたベンダー、フォアソート社の買収に乗り換えた。そのもう一つのプレゼンソフトというのが、パワーポイントだ。

ぼくがパワーポイントを好きじゃないのは誰もが知ってると思うけど(知らないか)、もしマイクロソフトが手に入れたのがMOREだったとしたら……。今頃は日々本物のアウトライナーで仕事ができていたのかもしれない。

以下は、その経緯をワイナー自身がScripting Newsに書いたものの日本語訳。原文には、マイクロソフトが買収を最終的に断ってきた手紙の写真が載っている(差出人はジョン・シャーリー)。よく考えてみると、とんでもなく貴重なものだよな。→原文はこちら
1987年、私の会社リビング・ビデオテキストにはMOREというヒット商品があった。MOREはその前年に発売され、当時のマックプラットフォームの中で売れている数少ない商品だった。MOREは、私たちがデスクトップ・プレゼンテーションと読んでいた新しい製品カテゴリーをリードしていた。そして、そのカテゴリーに属するもう一つの商品が、フォアソートという会社が販売する「パワーポイント」だった。

1987年、エステル・ダイソン(Esther Dyson)主催の会議で私はビル・ゲイツと会った。そこで彼は、開発者なら誰もが耳にしたい言葉を口にした——「君の会社を買収することは可能だろうか?」。もちろん、と私は答えた。私たちは交渉を始めた。買収価格で合意し、適正調査が開始された。しかしその後、マイクロソフトのCFO(最高財務責任者)だったフランク・ゴーデットから手紙が、ゲイツから電話があり、取引はやめることにしたと言われた。彼らは競合であるパワーポイントを買うことにしたのだ。

私は全面的に取引を望んでいた。1987年のマイクロソフトは上場したてのホヤホヤだった。取引は株式に関するものであり、その価値は彼らが熟考している間に二倍になっていた。私は取引を進めてほしいという、基本的には懇願する内容の手紙を彼らに送った。送り返されてきたのが、ここに示した断りの手紙だった。パワーポイントは誰もが知っている名前になり、MOREもそこそこがんばった。それでも、私はマイクロソフトにいた方が楽しく過ごせたような気がする。そして、間違いなくもっと金持ちになっていただろう。

生活マンダラ [マンダラート]

ワークライフバランスとかそういう単純な話じゃなく、生活に必要なのはこのマンダラにある8つの要素のバランス。

それぞれの要素のエネルギーになるのは「欲望」と「美意識」であり、「欲望」と「美意識」がエネルギーとして機能するためには「健康」が必要。

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いじめていない君へ [Thoughts]

いじめられることと同じくらい恐ろしいことは、自覚のないうちに「あちら側=いじめる側」に回ってしまうことだ。

それは善悪の問題ではないし、優しさの問題でもないし、正義感の問題でもない。誰でも「あちら側」に回る可能性を持っている。それは集団に帰属したい、他人に受容されたいという本能的な欲求に関わる問題だからだ。

それを避けるためには、あらゆる集団と関わらないようにするか、集団に属しながらひとりでいる覚悟が必要だ。人間関係を持ちながらひとりでいることだ。それは簡単にはできないことだ。

昔、気づいたら「あちら側」にいたことがある。そのときの苦い感覚は、たぶん一生忘れることはない。

そのとき二度と同じことは繰り返すまいと誓った。それでも気がつくと「あちら側」にとても近い場所にいることがある。

信じられないけど自分はそういう人間なのだ。そしてきっとあなたもそういう人間だ。

「あちら側」から少しでも遠い場所にいるための唯一の方法は、自分はそういう人間なのだと自覚することだ。

OPALからOmniOutliner Proへ [アウトライナー]

頭の中を流れていくいろんな思いをキャッチして、形を与えていくための道具として、一定の条件を満たしたアウトライナーほど強力なものはない。

特にマックのOPALは、最小限に絞りこんだ機能と、そこから生まれる「使ってるのを忘れるような透明感」が麻薬のようで離れられない

と、ずっと書き続けてきたOPALを、実はもう2ヶ月も使っていない。こっそりOmniOutliner Proに乗り換えて、しかもそのことを完全に忘れていた。忘れていたということは意識しなくなっていたということで、つまり移行に成功したということなんだろうな。

OPALの素晴らしさ今でも変わらないけど、一方でその代替品をずっと探し続けていた。バージョンアップの動きがほとんどなく(それは完璧に完成されているということの裏返しでもあるんだけど)、いろんな意味で少しずつ今日性を失ってきていることも事実。いつか手放さなきゃならないときのために、同じように使える代替品を見つけておく必要があったから。

マックで代替品を探すとすれば、軽快さと機能のバランス、デザイン、そして今日性(iOS版の登場とか、クラウドとの相性とか)からみて、いちばん可能性が高いのは定番のOmniOutlinerだった(「史上最強のアウトライナー」Tao及びその後継ソフトのNeOも一時期かなり真剣に使ってみたけど、OPALの透明感の前に敗れ去った)。

OmniOutlinerはそもそもずっと前からユーザー登録していた。ここまでメインで使わなかったのには理由があって、それは日本語フォントを使ったときの表示が美しくないこと。

日本語フォントを使うと、複数行にまたがるトピックの行間隔が妙に狭くて美しくない。それを調節する手段も見つからない。しかもフォントによっては、カーソル移動に伴って行の高さが変な風に伸縮して気持ち悪い。そんなのすぐに修正されるだろうと思いながら、新しいバージョンが出るたびにチェックしてたけど、いっこうに修正されないまま何年も経ち、そのうちにOmniOutlinerを使うことは諦めてしまった。

ところが2ヶ月前、何の気なしに最新のOmniOutliner Proのデモ版をダウンロードして使ってみたら、どうもその問題が解消されているように見えた。ヒラギノフォントを使った場合は相変わらず行間隔が狭すぎたけど、少なくとも変に伸縮することはなさそう。そこでふとひらめいて、Office2011についてきた「メイリオ」フォントにしてみたら、ちょうどいい行間隔になった。むしろ美しい。フォントのデザインも好みに合ってる(まさかこんなところでマイクロソフトのお世話になるとは)。

そこで俄然真剣に設定をいじっているうちに、OPALのシンプルな使用感を概ね再現できる感じがしてきた。

といっても設定のポイントは簡単で、見た目は極力シンプルにというだけ(ツールバーの余計なボタン類は表示しない、カラムも表示させない)。

シンプル化したOmniOutliner Pro

そしてもうひとつ大事なのは、テキストを他のエディタの貼り付けるときの設定。実はOPALで最も重宝していた点のひとつが、アウトラインを他のエディタにペーストするとき、プレーンなベタ打ちのテキストとして貼り付けてくれることだった([環境設定]の中の「クリップボードやエキスポートに箇条書き記号」と「クリップボードやエキスポートにタブ」のチェックボックスを両方ともオフにする)。

多くのアウトライナーのように、アウトラインの階層を示すタブ記号や、箇条書きの行頭文字が入ってしまうと、テキストエディタに取り込んだアウトラインを「文章」として編集することができなくなる。

で、これがOmniOutlinerにはできないと思ってたんだけど、実はちゃんとできた(以前はいくら探しても見つからなかったのだ)。ちなみに[環境設定]→[テキスト]の「小丸」のところを全てブランクにし、「スペース」の「各階層のインデント幅」、「列間のスペース」はいずれも「0」に設定すればいい。

OmniOutliner Proのアウトラインをベタ打ちテキストとしてペーストする設定

こうすれば、アウトラインのトピックをつまんでエディタのウィンドウにドラッグすると、下位の項目も含めてプレーンなベタ打ちのテキストとして貼り付いてくれる。

これでハードルはクリアできた。そうなると今度はOmniOutlinerが持っていてOPALにはない機能が生きてくる。トピックの結合ができるとか、トピックをまたがってカーソル移動ができるとか、アウトライン内部のバッチ検索ができるとか。これらは、OPALのシンプルさに対するトレードオフとして諦めていたものだった。

特にトピック同士の結合ができないというのは、OPALの最大の欠点だった。これができると、アウトラインだけでなく完成品のテキストまで、アウトライナーの中で編集できるようになる。

以前「OPALは素晴らしいアウトライン・エディタではあるけど文章エディタではない」と書いたけど、その意味でOmniOutlinerは優れた文章エディタにもなり得る。



そんなわけで、本格的にユーザーになるにはずいぶん長い時間がかかったけど、おそらく当分の間OmniOutliner Proを使い続ける(はず)。

シンプル化したOmniOutliner Proを使っていると、OPALと同じように、頭に浮かぶことをストリームの形でキャッチし、あれこれ操作しているうちに断片が収束していき、密度を上げていく気持ち良さを味わうことができる。

OmniOutliner Proは、本物のアウトライナーだ。

ある種のちょっとした神様 [Diary]

たとえば初めてのレストランに入ってみたけど、そこがどうしようもなくハズレなお店だったとする。

平日は夫婦で食事することなんてまずできないし、土日もなんだかんだ言って忙しかったり体調悪かったり機嫌悪かったりするから、そういう機会は貴重だ。失敗したくない。

だから、普段のお店の選択はどうしても保守的になる。

でもそうすると、
「あそこ行く?」
「先週の土曜日行ったよね」
「じゃああそこは?」
「先週の日曜日行ったよね」
「ならばあそこ」
「昨日行ったよね」
みたいな会話を毎週する羽目になり。

そう思ってたまに冒険してみると、やっぱりこういうことになるんだ。どうしようもないハズレなんだ。

で、夫婦でしゅんと肩を落として道ばたのベンチに座っていて、ふと顔を上げると、唐突に、何の脈絡もなく、大きな猫がのそのそと目の前を横切っていく。

そんなとき、ある種のちょっとした神様の存在を感じる。

しょうがねえな、あいつらかわいそうだから猫ぐらい見せてやるか、みたいな神。

レオ・バボータ「私たちはなぜ予定を詰め込みすぎるのか」 [レオ・バボータ関連]

「私たちはなぜ予定を詰め込みすぎるのか」を公開しました。
レオ・バボータ「Why We Overplan」の日本語訳です。
私にも、他の多くの人にも共通して言えることがある。それは過度に楽観的であるということだ。

私たちは一日のうちに非常に多くのことができると考え、結果として計画しすぎに陥る。あまりに多くの予定を詰め込み、全てを達成できると考える。予定のほとんどは達成されないし、やろうと思ったことのほとんどは、願いに反して実行されなかったという経験則は無視される。

私たちは考える。確かに以前は思った通りにできなかったかもしれない。でも今回は違う。今回はもっとうまくやれる。今度こそきちんと、生産的に、より多くのことを達成できる。

素晴らしい計画だ。結果をぜひ教えて欲しい。

ヒント:私はうまくいったことはない。最近の例を紹介しよう。
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SPAM好き [Diary]

普段は別にどうでもいいけど、年に何回か無性に食べたくなるものというのがあって、個人的にその代表選手がSPAM

アメリカの家庭では好き嫌いを超越して馴染みのある味だけど(沖縄以外の日本では最近までそれほどなじみがなかったと思う)、一方でアメリカでは「まずいもの」「飽きるもの」「うんざりするもの」の代名詞みたいなところもある。

そうなった原因のひとつには、第二次大戦でアメリカ軍の戦闘糧食として採用され(カロリーがあって日持ちするから)、戦場で来る日も来る日もSPAMを食べさせられた兵隊が、戦場のイメージとも相まって「二度と見たくない」みたいなことになったことだと、太平洋戦争で空母に乗っていた小学校時代の担任の先生に聞いたことがある。

そのイメージがモンティ・パイソンのギャグを経由して、望まないメッセージを大量に繰り返す迷惑行為を「スパム」と呼ぶようになったと言われている。



でも同時にそれは、アメリカ育ちの人間にとっては不思議に懐かしい味でもあり、ふるさとの味でもある。誰もが悪口を言いながらも、決して嫌いではないというような。

そのことがよくわかるエピソードが、太平洋戦争末期、昭和20年3月19日に日本海軍の呉軍港を攻撃し、松山上空で撃墜されて捕虜になったパイロットの手記に載っている。
呉海軍刑務所に入れられたあと、大船収容所に送られた。(中略)終戦までの五ヶ月間、呉と大船で発艦前の出来事を思い出しては過ごした。三月十九日朝、 飛行機に乗り込んだとき、同乗のハロルド・ウエストが肩を叩いて「スパム(豚肉)・サンドイッチを食べないか」と薦めてくれたが、「今は要らない」と断ったのだった。「スパム」は、艦隊乗組員には馴染みの豚肉の缶詰で味はまずかったが、捕虜になってこれをどれほど悔やんだことか。解放されるまでこの缶詰のことばかり考えていた。
ヘンリー境田・高木晃治共著「源田の剣」より)


意外にごはんに合うのよね。醤油味にも。和辛子にも。目玉焼きにも。海苔にも。だからこそ沖縄で単なる米軍文化以上に定着したんだろうけど。

あ、食べたくなってきた。

キャベツ好き [Diary]

ときどきお昼を食べに行く職場の近くのとんかつ屋さんでかつ丼を頼んだら、「あなたキャベツが好きでしょう?」といって山盛りのキャベツをつけてくれた。

確かにいつもキャベツたくさん食べるけど、それはとんかつあってのもので、かつ丼にキャベツつけられても。とは思ったけど、ありがたく全部いただいてしまったので、これからこの店に行くと何を頼んでもキャベツがついて来ちゃうのかもしれない。

と思うとちょっと困るような行きづらいような。隣のおじさん、どんぶりに山盛りのキャベツをじっと見てたし。なんかプレッシャーあったし。うらやましそうだったし。

ちなにみに「素」の千切りキャベツのいちばん美味しい食べ方は「塩」と「レモン汁」と「胡椒」をかけることだと個人的に思います。

あれ、やっぱり千切りキャベツそのものが好きなのかもしれない。

レオ・バボータ「スパルタンなナポリ風ピッツァ」 [レオ・バボータ関連]

「スパルタンなナポリ風ピッツァ」を公開しました。レオ・バボータ「spartan pizza napoletana」の日本語訳です。
良いナポリ風ピッツァは質素な美しさに満ちている。最小限の新鮮な食材が光を放ち、同時に料理、芸術、美といったものを超越するような方法で組み合わされているのだ——それは純粋な愛の行為といえる。

私のお気に入りはマルゲリータだ。手でこね、のばしたシンプルなクラストに、新鮮なトマトソースを薄くのばす。モッツァレラチーズ(あるいはヴィーガン用チーズ)の塊とバジルを乗せ、上質のオリーブオイルをかけて仕上げる。熱い熱い薪のオーブンに入れるとクラストは60秒ほどで膨らみはじめる。純粋に炎が織りなすそのごく短い時間の中で、奇跡が起こる。

奇跡というのは、このシンプルな食材——小麦、水、トマト、チーズ、バジル、オイル、食塩——が、宇宙で最も美しいもの、すなわち愛に変わるということだ。
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レオ・バボータ「知らないままにしておくというミニマル主義」 [レオ・バボータ関連]

「知らないままにしておくというミニマル主義」を公開しました。
レオ・バボータ「the minimalism of not knowing」の日本語訳です。
最近では、私たちが知りたいと思うほとんどのことは、数回キーを叩けば知ることができる。知りたいという欲求をほとんど即座に満足させてくれる。

外の天気はどんなだろう? 天気アプリをチェックすればいい。ガルシア・マルケスとはいったい何者だ? ウィキペディアに訊けばいい。ウェス・アンダーソン監督の「ムーンライズ・キングダム」で主役をやっていた子役は誰だったっけ? IMDB.comを検索すればいい。Google、Reddit、Facebook、Twitterその他が、知りたいことに今すぐ答えてくれる。

驚くべきことではないだろうか。ほんの二十年前には考えられもしなかったことだ。その頃は何か知りたいことがあればテレビをつけて後は運に期待するしかなかった。あるいは(もし持っていれば)百科事典を開き、運に期待するしかなかった。あるいは図書館に出かけて運に期待するしかなかった。それでも大抵の場合、知識は得られずに終わったのだ。
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