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To-DoリストからTo-Beリストへ。マンダラートはTo-Beリストだ [マンダラート]

To-Doリストを捨てろとレオは言った。

個人的には、To-Doリストは捨ててもいいけど、代わりに必要なものはTo-Beリストなんじゃないかとずいぶん前から考えていた。

To-Beリストという言葉が元々あるのかどうか知らないけど、To-Doリストが「やることリスト」だとすれば、To-Beリストは「あり方リスト」かな。今日やることじゃなく、今日はどうありたいかの指針みたいなもの。

To-DoリストとTo-Beリストはどう違うのか。イメージをすごく簡単に表現すると、「今日は彼女(彼)とセックスしたい」って書いてもいいのがTo-Beリストだ。

いや、別にセックスじゃなくてもいい(セキララ系自己啓発ブログって言われちゃったしなー)。

キスでも。ハグでも。手を繋ぐでも。いっしょに散歩するでも。いっしょにお風呂に入るでも。いっしょに美味しいごはんを食べるでも。本屋で見つけた素敵な写真集の話をするでも。愛してるって口にすることでも。

妻も夫も彼も彼女もいなければ「今日はAVなんかじゃなくて好きな人のことを考えながらオナニーしたい」でも。←

いやいや、もし子どもがいるならば「今日は必ず1回は子どもを抱きしめる」でも。

こういうことは普通To-Doリストには書かない。やる「べき」ことではないし、もしもやる「べき」こと(=タスク)として扱ったら、その瞬間に意味がなくなってしまうようなことだから。

そもそもこういうことって、本当は意識するまでもなく自然に、勝手にやっちゃうようなことだ。そうだよね?

だけど、世の中にはそれをしてない人、できない人がたくさんいることをぼくは知っている。

優先度に従ってTo-Do=タスクをこなしていく生活の中で、時間的にも体力的にも意識的にも、キャパシティの外に追い出されてしまうからだ。

でも、どんなに効率的に大量にタスクをさばいても、どれほどたくさんの仕事をこなしても、そこが欠けていたら意味がないんじゃないか? 本当はそのためにこそライフハックにも意味があるんじゃないか?

じゃあ、セックスやキスやハグや愛してるや妻や夫や恋人や子どもや親はどうすればいいのか。ライフハック的な手法を紹介するビジネス系自己啓発本やブログには、普通書かれていない。

もしかすると、その種の本やブログの読者層にとってこそ、実はいちばん重要で切実な問題かもしれないのに、ね。



To-BeのBeとは「存在」のことだ。つまり自分の「存在」のために必要なことが書かれるのがTo-Beリストだ。

たとえばこの間「マンダラートには『中心』がある」で紹介した「今日一日のマンダラ」は、まさにそのTo-Beリストなのだ。

そんなものじゃ現実に降りかかってくるタスクには対応できない、と思うかもしれない。その気持ちはよくわかる。というか、その現実にはすごく実感がある。

でも、To-Doを効率的にさばくテクニックをどれだけ身につけても、降りかかってくるTo-Doがもっと増えるだけだ。そしてTo-Doはいつか必ず破綻する。

逆に、To-Beを常に意識するように、To-Beが生活の軸になるようにしていると、不思議なことにTo-Doの数自体が減ってくるのだ。



ちなみに、昔よくあった恋愛マニュアル本が役に立たなかったのは、「Be=存在」に関わるものごとを「Do=タスク」として扱っているからだからね。
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ボックスシートとは空が見える席のこと [Diary]

都市部の通勤電車といえば、あのベンチみたいなロングシートと決まっている。言ってみれば、どれだけたくさんの人間を詰め込むことができるかという設計の産物。

その数少ない例外のひとつが、東急東横線や大井町線を走っている東急9000系。各車両の車端部の一角だけが4人がけのボックスシート(クロスシート)になっている。どういう経緯でこんな中途半端な座席配置になったのかはわからないけど、貴重です(そのうち半分はシルバーシートなので、なおさら貴重)。

あるとき、この車端にしかないボックスシートの窓側にたまたま座っていて発見したのは、ボックス席は空を見上げることができるということ。

窓の縁に肘をかけて何の気なしに上を見上げたら、そこには青くて広い空と雲があった。ちょっと驚くくらい新鮮な感覚だった。軽い衝撃と言ってもいいくらい。

え、空が見えるから何だって?

考えてみよう。通勤途中に空を見上げたことがあるだろうか。そもそも空を見上げることなんて想像すらしないんじゃないか。ぼくは正直言って、空があることすら忘れていた。

やってみるとわかる。

心地よい揺れとジョイント音に身を任せながら、雲がゆっくりと動いていく様子を眺めつつ仕事に向かった朝は、何かが確実に違うから。

そんなわけで、最近好んでこの席に座るようになった。

この貴重な9000系、そんなに古い車両じゃないけど(80年代の登場だ)、そろそろ引退が近そうな予感がするので、今のうちにぜひお試しを。

ちなみにロングシートでものけぞれば空は見えるけど、きっと変な目で見られます。口も開いちゃうし。
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リアルで個人的でパワーのある格言 [Diary]

昨日訳したレオの文章は、当たり前のように社会に根付いて誰も疑わなくなってしまった古いマネジメントの格言(「測定できないものは管理できない」とか)に対するアンチテーゼだった。

自分自身が、その種の言葉を空疎に振りかざす人種(突然やってくる誰だよお前みたいなコンサルタントとかよー)に辟易してるところだったから、より強く反応しちゃったということもあるけど。

そういう格言そのものは、元々は経験と知恵に裏打ちされた立派なものだったんだろうけど、普段耳にするほとんどの場面では空念仏みたいにしか聞こえない。

で、矛盾するようだけど基本的には格言好き。

自分自身が言葉にしたものでもいいし、誰かに聞いたり本で読んだりしたものでもいいけど、個人が生きてきた中でリアルに経験し(ここが大事)、感じてつかみ取ってきたことのエッセンスをひと言に凝縮したようなもの。そういうものなら聞いてみたいし、読んでみたい。

以下、リアルで個人的でパワーのある格言(?)をいくつか。自分自身の経験に基づくものも、人から聞いたものも、本で読んだものもある。
  • 丁寧な仕事をしたかったら、まず60点の出来のものをつくれ。
  • スケジュールは「これだけあれば大丈夫だろう」と思う期間を2倍してちょうどいい。
  • 予算は「これだけあれば大丈夫だろう」と思う金額を2倍してちょうどいい。
  • タフと言われたら危険と思え。
  • 今いちばん心配していることは、たいてい起こらない。
  • 迷ったら気持ちいい方の道を選べ。
  • 口に出さずため込んだ言葉は、体の中で腐る。
  • 一度口に出したかげ口は、必ず本人に届く。
  • 好きでもない人に評価されても意味はない。
  • 現場を知らない人は迫力がない。
  • プライドだと思ってるものは、たいてい見栄かエゴである。
  • 死の床で、どれくらいの人が「人生をもっと仕事場で過ごせばよかった」と思うだろうか。

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レオ・バボータ「記録しない生活:測定のストレスから自分を解放する」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「記録しない生活:測定のストレスから自分を解放する」を公開。「Untrack: Letting Go of the Stress of Measuring」の日本語訳です。

今までに訳したレオの文章の中でも有数の素晴らしいものだと思います。
マネジメントに関する古い格言が社会の潮流となり、私たちの仕事や生活を動かしているように思える。曰く「測定できないものは管理できない」。「あなたは自らが定めた限界そのものだ」。「あなたは自ら定めた限界通りのものを手に入れる」。

私自身もその罠にはまっていたことがある。ワークアウト、ランニング、食べたもの、達成した仕事上の全タスク、目標に向けた進捗状況、体重、体脂肪率、習慣を実行した月間日数、1日に書いた文章量、読んだ本、支出、収入、夫妻、サイトのビジター数、広告クリック数、ツイート数、フォロワー数などなどを繰り返し記録してきた。いくつか同時に記録していたこともある。

私だけではない——人生のディテールを常に記録し続けている人々がいる。心拍数から歩数から睡眠時間(そして睡眠の質)から送信したメールの数まで。私たちの社会は、かつてないほど物ごとを記録し、測定しているのだ。

その背後にはどんな考え方があるのだろう。その考え方は正しいのだろうか。そして必要なのだろうか。
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「ちゃんと」ってなんだ [マンダラート]

「もっとちゃんとしなさい」とか、「どうして○○くんみたいにちゃんとできないの?」とか、「もう大きいんだから(いい歳なんだから)少しはちゃんとしなさい」とか、小さい頃から人に言われてあんまり素敵な気分になる言葉じゃなかった「ちゃんと」という言葉。

なのに、ここのところずっと考えてたのは、もっと「ちゃんと」生活するにはどうすればいいのか、ということだった。

きっと自分は「ちゃんと」したいんだ。不思議なものだね。

ところでそもそも「ちゃんと」ってなんだろうと思って辞書をひくと(マック内蔵辞書の国語辞典は「大辞泉」ですね)、
  • 少しも乱れがなく、よく整っているさま
  • 確実で間違いがないさま
  • 結果が十分であるさま
  • すばやく動作するさま。さっと。
  • 類語としては「きちんと」「しっかり」

ということだけど、これだとまさに小さいころから言われていやーな気持ちになってた「ちゃんと」だ。

自分の思う「ちゃんと」って何だろう。ということで、例によってマンダラをつくる。

「ちゃんと」とは何か

これが、自分の中で納得できた「ちゃんと」の定義。一文で表現すると、「自分と相手が自分たちの力で過不足なく義務を果たしたり期待に応えたりしながら、結果的に満たされること」だ。

もうひとつ。じゃあ「ちゃんと生活」の「生活」って具体的に何のことなのか。衣食住はたぶんマストだろうけど、生活ってそれだけじゃないよね。ということで、これもマンダラをつくる。マンダラだから、自動的に8つ選ぶことになる。

ちゃんと生活

お金(と関わる)
服装(を選ぶ)
家族(と関わる)
社会(と関わる)
仕事(と関わる)
食べもの(を選ぶ・つくる)
住まい(を選ぶ・つくる)
愛(する・される)

たぶん、自分の思う「ちゃんと生活する」の要素って、こんなことだ。もちろん順番はない。ひとつひとつが生活を構成する一要素とも言えるし、それぞれがイコール生活そのものだとも言える。そして、どれかが欠けると生活全体のバランスが崩れる。

「生活マンダラ」って以前も作ったことがあるけど、「ちゃんと」という視点で考えたらずいぶん違うものができた。

ということで、「ちゃんと生活する」というとき自分がイメージしてるのは、これらのことを「自分と相手が自分たちの力で過不足なく義務を果たしたり期待に応えたりしながら、結果的に満たされること」になる。

自分が最近ずっと考えていたのは、つまりそういうことだ。
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レオ・バボータ「ただ楽しいから」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「ただ楽しいから」を公開しました。「Just For Fun」の日本語訳です。

私のしていることのほとんどは、ただ楽しいからやっている。

規律を守り、目標を達成し、計画通りに進めることにこだわる人もいるが、それは意味がないと私は思う。つまり、そうしたいと思っても、2、3回に1回はうまくいかないだろう、ということだ。あなたはそれを、規律や計画や目標を守れなかったからだと感じるだろう。

一方で、まったく同じことをしても、期待を持たずにただ楽しむことができたとすれば、それは完全な成功なのだ。

重要なことなのでもう一度言おう。まったく同じことをしたとしても、 そこに期待があった場合は失敗となり、期待を持たずただ楽しみのためにやった場合は完璧な成功となる。
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