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レオ・バボータ「実際に行動するために、あるいは私たちはなぜわかっているのに行動しないのか」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「実際に行動するために、あるいは私たちはなぜわかっているのに行動しないのか」を公開しました。「The Do Plan, or Why We Know But Don’t Do」の日本語訳です。
エクササイズをして、野菜をたくさん食べて、揚げ物と塩辛いものと甘いものは控えるべきだとあなたはわかっている。

しかし、わかっていることと実際に行なうことの間には大きな隔たりがある。

物ごとを先送りしないですぐに行動するべきだとあなたはわかっている。テレビの観すぎやSNS(あるいはニュースサイトでもメールでも)のチェックしすぎは止めるべきだいうこともわかっている。書くべき文章を書き、前から学びたいと思っていた外国語を学び、ギターを練習し、家を片付けるべきだということもわかっている。

わかっているかどうかは問題ではない。私たちが壁にぶつかるのは、常に行動の部分だ。

ビジネスの世界には 「知識実行ギャップ」 という概念がある。企業が改善のためにあらゆる方法を研究し、コンサルタントを雇い、果てしないセミナーを重ね、毎年大改善計画を立ち上げて……実際には何も変わらずにいるということだ。何を改善するべきかはわかっているが、現実には行動しないのだ。

行動することはなぜそんなに難しいのだろう。知識を行動につなげるにはどうしたらいいのだろう。何が私たちを邪魔していて、それはどうしたら克服できるのだろう。

答えは簡単でもあり、難しくもある。どういうことだろうか。
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疫病神 [Diary]

彼は力を持っている。

少なくとも多くの人からそう思われている。

だから力が好きな人々が彼の周囲に集まっている。

彼は自ら手を下すことはなく意思を示すこともない。

周囲の人々が彼の意志を読み、解釈し、彼の名において主張する。

彼らが何かを嗅ぎつけて近づいてきたら気をつけよう。

彼らは疫病神だ。
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感情のデフォルト [Diary]

理由もなく悲しいとか
理由もなく不安だとか
そういうことはよくあるけど
理由もなく嬉しいとか
理由もなく安心ということって
あんまりない。

もし理由もなく嬉しいということが
あったとして
その感情に気づいた次の瞬間
不安に襲われたりね。

ということは
感情のデフォルトはネガなのかもしれない。

そう思うと、
悲しかったり不安だったりするときに
ちょっとした安心感を抱けたりしませんか。
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リズムとグルーヴで情報をねじ込んでしまうような実用文 [Thoughts]

この間ワイナーの文章を訳していて改めて思ったこと。

ワイナーの文章って、とても魅力的だ。そして考えてみると、ぼくをアウトライナーフリークにした奥出直人さんも、マンダラートの今泉さんも、初期の「マッキントッシュ・バイブル」のアーサー・ネイマンも、みんな文章が魅力的。

どれも情報伝達を目的とした実用文の範疇に入るものだと思うけど、本来の目的を離れて言葉を追う快感を求めて繰り返し読んでるうちに、知らない間に情報が自分の中にすり込まれている。

逆に、仕事とか勉強とかの目的で読まなきゃならない実用文が、どうがんばっても頭に入らなくて苦しんだ経験は、数限りなくなる(今でもよくある)。

その時には自分の能力不足や勉強不足のせいだと思ったりするんだけと、今考えると文章がつまんなくて読めなかったからだというケースが多い。

実用文と文章(の魅力)って一般的に無関係と思われてるみたいだけど、情報伝達を目的とするのが実用文だとすると、じゃあどっちがその目的を達成してるのかと思う。

別に何か面白いことが書いてあるわけじゃなくても、図解も箇条書きも漫画もなくても、リズムとグルーヴで読者をどんどんドライブして、知識を頭の中にねじ込んでしまうようなパワーを持つ実用文て、確かに存在する。
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モチベーションについての簡潔な意見 [Thoughts]

職場のモチベーションを上げるために何が必要だと思うか簡潔に述べよ。

そう問われたので「欲望です」と言ったら「つまり成果を報酬や評価によりストレートに反映させるってことだね」と言われた。

なるほど、そう取られちゃうのね。



どんな立派な行動も、それが嘘だったり押しつけられたものでないかぎり、突き詰めていけばその人の欲望と繋がっているはず。

そう言ったら「人には無償の善意というものがある。それが理解できないあなたはかわいそうな人だ」と言って怒り出した人が昔いたけど、そういう人こそ本気で自分の欲望と向き合ったことがないんじゃないかと思う。

自分の中にある「欲望」を本気で掘り返してると、あんまり人様には見せられない(まあ、はっきり言ってエロだったりエゴだったりナルだったりですよね)、そんなものがたくさん出てくるんだけど、同時に自分でも意外なほど純粋なものを発見したりもする。

理由はわからないんだけど純粋に何かを作りたいとか。
純粋に何かを学びたいとか。
純粋に美しいものを作りたいとか。
純粋に誰かを喜ばせたいとか。
守りたいとか。
笑顔を見たいとか。
役に立ちたいとか。

そういうようなものだって、欲望の中には確かに含まれているということがわかってくる。

むしろ、エロだのエゴだのとごちゃまぜに、等価な状態で埋まってるからこそ、それが外面や体裁を気にして作ったものじゃなく、本当に自分の中にあるものだと確信することができる。

そしてたぶん、自分が根本的なところで性善説を信じることができるのも、たぶんそのせいだ。



で、そういう意味での欲望について考えてると、仕事に対するモチベーションだけを上げようと努力しても、たぶんあんまり意味はないと思うんですよ。少なくとも長期的には。

報酬とか評価のために成果を出す人がいるように見えるのは、それが短期的にその人の欲望と一致するからだ。金銭欲とか出世欲とか顕示欲とか支配欲とか。

でも、欲望ってそもそも何のためにあるのかというと、「生きる」ためだ。生きるための機能が欲望なのだ。そして生きるための活動のことを「生活」という。

その人が「生きるための活動=生活」と一致してなければ、長期的にはどんな報酬も評価もインセンティブも意味をなさない。

だから「生きるための活動=生活」と仕事が対立するような状況を解消すること。「生きるための活動=生活」の一部として仕事が機能するようにすること。

必要なのはそういうことだ、と思います。



あ、簡潔じゃなかった?
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アウトライナーによるFluid(流れるような)ライティング [アウトライナー]

少し前のデイブ・ワイナーの文章で、アウトライナーについて「わかっていたんだけど長いことうまく言えなかったこと」が、うまく言葉にされていた(アウトライナーとかマンダラートについては「わかってるんだけどうまく言えない」ということがすごく多いんだよね)。

短い文章なので、全文訳をここに載せておく(ちなみに:ワイナーさんからは全ての文章を自由に訳していいという許可を頂いてます)。
数ヶ月前のこと、日付は確認しないと思い出せないが、私はブログの執筆環境を、新しい「Worldoutline」ベースのものへとスイッチした。

私が求めていたのはフォーマルなブログツールとツイッターの中間にあるようなもの。

言いたいことが140文字では収まりきらないことに気づいた、というのがその理由だ。今ではこれは誰もに当てはまるのではないかと思う。

だから、まるでツイッターのように流れるまま(fluid)書くことができ、かつカジュアルでありながら、文字数に制限のない環境が欲しかった。好きなだけ編集して、終わったらすぐ次の記事に移れるようなものだ。

「Fluid(流れるように)」書くというのは私にとっては重要な問題だ。私はブログを書こうなどとは考えたくなかったのだ。ただ書き始めたかった。気に入らなければ、単に跡形もなく消してしまえばいい。全ての記事が1つのドキュメントに入っているという環境を私は常に求めていたが、最近までそこにたどり着けずにいた。

私はたった今、10分ほどで2つのブログ記事を書いた。

つまり、私が言っているのはそういうことだ。

連続したツイートのように感じられるブログ記事だ。

私はそれを実現した。そして、それは素晴らしい使い心地だ。

デメリットのひとつは、誤字脱字が大幅に増えることだ。

でも、私のアイデアの中から遙かに多くが、形になってネットへと出て行く。

それが誰かにとって意味があるかどうかはともかく。:-)

ここでワイナーがFluid(流れるような)と言っているのは、ドキュメント(この場合はブログの記事)のアウトラインをつくるのではなく、ひとつのアウトラインの中に全てのドキュメントを入れこんでしまうことで、文字通り頭から流れ出すままに書くことができる、ということだ。

ワイナーの使う環境は、そのアウトラインをブログの形に自動的にレンダリングしてアップロードまでする機能を持っているのだけど(うらやましい)、単にアウトライナーの使い方ということで見れば、ぼくも含め、同じことをやっている人はけっこうたくさんいる。

ぼくも「Happy Outlining!」の中で紹介したことがあるけど、これはアウトライナーのもっとも効果的かつ強力な使い方の一つだと思う。

いわばブログのネタ帳なんだけど、単にメモとしてネタではなく、全ての書きかけ記事が1本のアウトラインに入っていて、週に数本のペースで増え続けている。そのうちのほんの一部が、記事として完成してアップされる。

その使い方はワイナーの言うとおりで、まさにツイートするような感覚で、何か思いついたら書く。それは記事の断片なのかタイトルなのか、その段階ではわからない。ただ、ファイルを作ることもなく記事投稿ページを開くこともないので、抵抗はほとんどない(これが重要)。

そのまま勢いで記事が完成してしまうこともあるし、書きかけのまま放置されることもあるけど、放置されていた断片も、後に思いついたことを位置づけていく中で成長して、最終的に完成することもある(アウトラインの中で発酵していくようなものだ)。

このときのアウトラインはひとつの「ファイル」ではあるけれど、実態は複数の「ドキュメント」、あるいはドキュメントになりきらない「ドキュメントの構成要素」の集合だ。

この感覚がアウトライナーを使わない人には、なかなか理解しにくいところのようだけど、今ならEvernoteと比較するとわかりやすいかもしれない。

Evernoteを使うと、否応なしに「ノート」という単位に縛られる。この場合の「ノート」はつまり「ドキュメント」だ。ノートはいくらでも自由に作れるけれど、ノートの中に書き込んだテキストはそのノートに従属してしまう。

これに対して、アウトライナーに書き込んだ断片は、どこにも固定的に従属しない。それ故に、圧倒的に自由だ。

見出し「A」を立ててその下にくくれば、それは「A」に従属する要素になる。この場合「A」はドキュメントのタイトルに相当するかもしれない。

しかし、アウトラインを操作しているうちに見出し「A」のさらに上位の見出し「AA」が生まれるかもしれない。その瞬間にAはドキュメントではなく「AA」がドキュメントとなり、「A」はその一要素となる。

逆にドキュメント「A」の一要素として生まれた断片が、あれこれ操作しているうちに意外な発展を見せて、最終的にドキュメント「B」として独立するということもある。

あるいは、ドキュメント「A」やドキュメント「B」を完成品としてブラッシュアップしていく過程で削り落とされた断片が集まってドキュメント「C」が生まれることだってある。

つまり、複数ドキュメントを1つのアウトラインで管理することによって、前後の脈絡(これは先に述べるべきか後に述べるべきか。前提なのか結論なのか)も、階層レベル(森に相当することなのか木に相当することなのか)も、意識しないで済むようになるのが、Fluid(流れるように)に書ける理由なのだ。

「前後の脈絡」と「階層レベル」というのは、おそらく文章を書く時の最大の壁で、それさえ気にしなければ、単に「書く」こと自体は以外に簡単だ。
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気持ちいい方の時間 [Diary]

近い方の道と気持ちいい方の道、どちらを通るか迷ったら、気持ちいい方の道を選ぶほうが合理的だ。気持ちいい方の道を選んだら確実に悪い結果がもたらされるとわかってるような状況では、そもそも最初から迷わないはずだから。

同じことは「時間」にも当てはまる。

その日は仕事がたくさんたまってたので迷ったけど、2時間早出したりせず、ラジオ聴きながらゆっくりひげを剃って、Tomo.さんに作ってもらったトーストとかぼちゃのスープを食べて、コーヒーもゆっくり飲み、駅までゆっくり歩き、座れる電車に乗ってぎりぎりの時間に職場に着いた。

仕事がたくさんたまってたので迷ったけど、お昼はお弁当を買ってきて席で食べたりせず、職場の近くの少し高いけどお昼も空いてて静かな喫茶店に入り、陽の当たる席でカレーとサラダを食べてコーヒーをお代わりしてちょっとだけうとうとした。

仕事がたくさんたまってたので迷ったけど、エレベーターに乗ったりしないで1階と6階の間の階段を走って上り下りした。

仕事がたくさんたまってたので迷ったけど、廊下ですれ違った後輩と5分間立ち話をした。

仕事がたくさんたまってたので迷ったけど、郵便局に行く途中でスタバの前を通ったら「リトルドラマーボーイ」が流れてたので、中に入ってカプチーノを買った。

いつもだったら同じ状況でことごとく逆の選択をしてたはずだけど、仕事はちゃんと終わった。あるいは終わらなくても大過なかった。

そして、気持ちよかった。

気持ちいい方の時間を選ぶことが確実に悪い結果を招くような場面では、そもそも迷うことはない。だから、どうしようかなと思ったら気持ちいい方の時間を選ぶのが合理的だ。
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中心セル=明日死んでもいいように [マンダラート]

日頃から、その切り替えと割り切りの大胆さを密かにスゴイと思ってる同僚のZ子は「やるべきことの優先順位に迷ったことがない」という。

なぜなら「明日死んでも後悔しないようにと思って生きてるから」。

そんな台詞はいくらでも聞いたことがあるけど、彼女のその言葉は「だから会社を休んで嵐のコンサートに行く」という文脈で出てきたあたりがなかなかにリアルで(笑)、そしてそれは彼女はが小さい頃母親を亡くしていることと無関係じゃなく、正直に言ってちょっとだけ心が震えた。

これほどシンプルでパワフルでクリアな基準はない。

本当に毎日をそんなふうに生きられたら、To-Doリストなんかもちろんいらない。GTDもその他の小賢しいテクニックもアプリも何もいらない。

ただ日々を生きるだけ。

なので、ここのところ1日のマンダラをつくるときの中心セルの言葉は「明日死んでもいいように」になった。
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レオ・バボータ「待たない方法」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「待たない方法」を公開しました。「How to Wait Less」の日本語訳です。

私たちの人生のあまりに多くが、待つことに費やされている。

私たちは列に並び、理想的な相手が現れるのを待ち、夢が実現するのが待ちきれず、より良いスタイルとより良いボディを手にする日を待ち望み、近い将来に目標が実現するための方法を探す。

私たちは待つ。より良い人生はやってくるのであり、もうすぐそこに辿り着けるのだから。

では、待つことを止めたらどうなるだろう。夢や目標を実現しようとすることを止め、何かを願うことや期待することを止めたら? 素晴らしい人生は今ここにあり、手に入れる方法は未来を考えることを止め、既に持っているものを認識することだとしたら?

あなたが何か素晴らしいことが起きるのを待っているのなら——あるいは積極的に何か素晴らしいことを現実化しようとしているのなら——ちょっと立ち止まってみよう。人生の中で、そして物理的に、今いる場所を見回してみよう。そこはどこだろうか。素晴らしい場所だろうか。もしそうなら、なぜ未来ばかり見ているのだろう。あなたは既にそこにいるというのに。

そして、もし今いる場所を素晴らしいと思えないのなら、物ごとを充分注意深く見ていない可能性がある。
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ひとり旅が好きな人 [Thoughts]

世の中には、ひとり旅が好きな人とひとり旅が嫌いな人がいる。

ひとり旅が好きな人はかなりの確率でひとりランチが好きで、ひとり旅が嫌いな人はかなりの確率でひとりランチが嫌いだ。

ひとり旅が嫌いな人は、ひとり旅が好きな人に「寂しくない?」と不思議そうにたずねる。

ひとり旅が好きな人は、寂しくなるために旅に行く。

ひとり旅が嫌いな人は、いつも誰かと一緒にいる。

ひとり旅が好きな人は、いつも誰かのことを考えている。

寂しくないと本当には誰かのことを考えられないことを、ひとり旅が好きな人は知っている。
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