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捨てる [Diary]

年初から、週末ごとに少しずつモノを捨てている。今日は今の職場で働くようになる前、フリーで仕事をしていたときの名残の資料を大量に捨てた。

もう10年以上も前のものだから今さら取っておく価値もないんだけど、長い間手をつけることができなかったもの。別にその頃の仕事に未練があるわけじゃないんだけどね。最後に手をつけようとしたのは(そして諦めたのは)5年くらい前。以来書棚に眠ったまま。

今回は、迷わずゴミ袋に放り込むことができた。

でも捨てる寸前に思い直して、冊子になった最終の成果品だけを袋の中から救い出した。:-)
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魂のアンチエイジング [Diary]

年齢を重ねるほどクリアであることが重要になる。
ということを繰り返し痛感する。

同時に、年齢を重ねるほどクリアであることは難しくなる。
ということも繰り返し痛感する。

自分の周囲のどうしようもなくクリアじゃない物ごととか、時間とともにクリアじゃなくなってくる物ごとの中にいると、濁った混沌の中に飲み込まれるみたいな恐怖を感じることがある。

机の上をクリアにすることとか、今日やることをクリアにすることとか、カラダをクリアにすることって、自分の周囲に満ちてくる濁りに対抗することだ。

魂のアンチエイジング。
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デイブ・ワイナーのオンライン・アウトライナー [アウトライナー]

先日から予告されていたデイブ・ワイナーの新会社Small Pictureでのプロジェクト。驚くべきことにそれはアウトライナーだった。……驚かないか。

ワイナーは最初のアウトライナー Think Tankの開発者であり、それ以降もMORE、Frontier、そしてOPML Editorまで一貫してアウトライナーの周辺にあった。そして今回のアウトライナーは、その名もLittle Outlinerという。

JavaScriptで開発され、ウェブブラウザ内で動作する。今のところ機能は最小限だけど、見た目も操作性もOPML Editorとそっくり。

面白いのは、作成したアウトラインはサーバーではなく、HTML5の機能を使って自動的にローカルに保存されること。技術的な詳細はぼくにはわからないけど(すいません)、Cookieに似た仕組みを使ってローカル(のどこか)に自動的に保存してるんだと思う。

これについては賛否両論あるだろうけど、少なくともクラウドサービスをメンテナンスする資源がなくてもスタートできるという点で優れている。そしてワイナーは企業がユーザーのデータを「囲い込む」ことに強い拒否反応を示しているから、クラウドサービスにする気はないんじゃないかと思う。

ただし、ローカル保存という成り立ち上、複数の端末から同じアウトラインにアクセスすることができない。この問題については、解決の手段が提供されるとのこと(まだスタートしたばかりだ!)。
2013-4-21追記:その後発表された「Fargo」でこの問題は解決された。

そして日本人としては、今までOPML Editorで日本語が通らず悲しい思いをしていたけどLittle Outlinerではちゃんと日本語が使えるのが何よりうれしい。

まだ本当の意味で「実用」はできないかもしれないけど、ワイナーのアウトライナーの使い心地は充分に体験することができるので、興味のある人は使ってみてください。ハウツーは訳そうと思ってます。

Little Outlinerはこちら
Little Outlinerの詳細なハウツー
ワイナー自身によるLittle Outlinerの動画デモ
Small Pictureのサイト
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「あの人たち」にならないために考えること [Thoughts]

考える時間があると人間ろくなことは考えない、というのは一面の真実。いちいち細かいことを考えてたらシゴトは進まないし、追いつけない。そして、理由や意義や目的を深く考えても意味のない現実もたくさんある。

考えても仕方のないことをぐだぐだ考えて動けないというのは、あまり素敵なことではない(耳が痛い)。

でもひとつ落とし穴がある。「何も考えない」ことに慣れてしまった人間がどうなるか。交差点で、電車で、飲み屋で、テレビで見かける「あの人たち」みたいになるのだ。

あの人たちって誰だといって、別に正確な定義はない。ただ、緩んだカラダ、生気のない目、開いた口元、電車で大きく開いた足、だらしない酒、作り笑い、クリアじゃない言葉、組織内政治、裏と表、にじみ出る傲慢さ、そういうのが「あの人たち」のサインだ。

考えても仕方のないことは考えない。でもたぶん本気で考えるべきことがひとつだけあって、それは「何のために生きてるのか」ということについてだ。……今笑った人は、「あの人たち」である可能性か、将来「あの人たち」になる可能性が高い(そして自分だってそこから無縁なはずはない)。



実は人生の意味くらい簡単な質問はない。人は「生きててよかった」と思うために生きているのだ。「生きててよかった」と思うことが、おそらく人間の存在意義だから。人間にはそのための機能=欲望が備わっているからだ。欲望を無視して生きていたら生命の望む方向に行かないわけだから、もちろん「生きてて良かった」とは思えない。

みんなが「生きてて良かった」と思うために欲望にまかせて生きたら、世の中がめちゃくちゃになる?

確かに欲望にまかせて、カネを手に入れるために、地位を手に入れるために、オンナ(オトコ)を手に入れるために他人を押しのけ、陥れ、踏みつける人がいるかもしれない(きっといる)。

でもその人は心からの尊敬とか愛とか信頼とか友情とかはきっと手にできない。カネとか地位とかオンナは手にするかもしれないけど、なにしろ他人を押しのけて踏みつけてきているわけだから、どこかで逆に誰かに押しのけて踏みつけられて、カネや地位を失うかもしれない。カネや地位を失ったらオンナも離れていくかもしれない。最終的には「生きててよかった」と思うことができない。

つまり欲望が健全に機能していれば、そういう行動は取らないはずなのだ。



「何のために生きてるか」=「どうしたら生きてて良かったと思えるか」考えるということは、自分が今欲望に逆らって生きていないか、本気で考えるということだ。そうやって考えていくと、結論は非常にまっとうで普通で簡単なところに落ち着く。

まともな食事をすることとか。
運動することとか。
好きな勉強をすることとか。
ちゃんとセックスすることとか。
自分にとって意義のある何かをするとか。
本当にいっしょに過ごしたい人と過ごすとか。

もちろん他にもあるけれど、まあそういうこと。まっとうで普通で簡単であるが故にこれを「つまらない」と思う人は、「生活」をしたことがないか、健全でない欲望が邪魔しているか、次元の違う偉大な人かのいずれかだと思う。



でも、人は一歩間違えると、少し気を抜くと、このまっとうでフツーで簡単な結論から離れていってしまう。何度思い知らされても。ときどきこういうことを書いてしまうのは、自分自身がそこから離れかかっているという感覚があるからだね、きっと。
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ワードのアウトライン機能が正しく使われてる世界を妄想する [アウトライナー]

ある人に「ワードのアウトライン機能を本当に使ってる人がいるとは思わなかった」と言われる。あんまり誉められた気はしないけど(笑)。

言葉の主は仕事で付き合いのあるSI屋さんの営業で、職業柄(?)少なくともワードに「アウトライン」という機能が装備されていることは知っていたけど、たぶん「カタログスペックを飾るための膨大な機能のひとつ」くらいの感覚か。アウトライン機能が本来持つ可能性と意義については理解してるようには見えなかった。

ま、ワードがそう思われても仕方のない存在であることは確かで、それはマイクロソフトの自業自得だけど。



でもときどき、ワードが正常進化して、本来あるべき姿で正しく使われている世界を妄想してみることがある。

その世界では、たとえば会議の資料はパワーポイントなんかではなく、ワードのアウトライン形式でプロジェクターに投影される。

映されるのは、何枚ものスライドなんかじゃなく、最初から最後まで一本のアウトライン=今日の会議のアジェンダだ。アジェンダには、今日話し合われるべきテーマが四つ書かれている。

会議が始まると、まずアウトラインの「1」の見出しを展開し、その下に話し合ったこと、決まったことを書き込んでいく。「1」が終わると「2」のテーマに移る。「1」の見出しを折りたたみ、今度は「2」の見出しの下に話し合ったこと、決まったことを書き込んでいく。アジェンダが完了するまで繰り返す。

今議論している部分以外の見出しは折りたたまれて見えないので、議論が脱線しにくい。同時にアジェンダの全体像は常に見えているので、全体の中の位置づけもはっきりしている。

とはいえ雑談だってあるし、今話し合われているテーマとは違う話になることもある。そんな中で記録しておくべきものはアジェンダの末尾にある「未整理」という見出しの下にひとまとめにして入れる。

最後にアウトラインを全て展開し、議論の内容をみんなで確認する。「未整理」に入れた内容は、収めるべき場所があれば移動し、なければ新しい見出しを立てて、当初のアウトラインを修正する。

異論がなければワードをアウトラインモードからページレイアウトモードに切り替えると、アウトラインは即座に美しくフォーマットされた読みやすい議事録として表示される。



ワードのアウトラインモードでつくる会議資料を、パワーポイントのスライドを使うことと比較してみる。

最大の違いは、資料作成の手間が減ること。いちばん重要なのは、上で説明したような会議資料と議事録を作るときの手間は、単純なテキスト入力だけだということ。枠組みとなるアウトラインはテキストを入力した後タブキーとマウス操作だけで組み立てられるし、アウトラインレベルに応じた段落書式とフォントを事前に登録しておけば、デザインについては一切考える必要がない。

会議の時間が短くなる。アウトラインの折りたたみ・展開は、議論が脱線することを防いでくれる。

半自動的に議事録ができる。きちんと書式設定されたフォーマットされた議事録は紙として配布(するべきではないけど)されたときに読みやすい。

議事録の内容を把握しやすい。議事録を読む人は、その気になれば即座にアウトラインモードに切り替えて、見出しだけ表示させたり本文段落の1行目表示を利用したりしてスキミングすることで、議論の全体像を効率的に把握することができる。



上はワードの標準機能を使ってるだけだけど、ずいぶん無駄な労力やストレスが減ると思う。

このクラウドの時代に今さらワードのアウトライン機能の普及運動をするつもりはないけれど、アウトラインを使って何ができるかということは意識しておいて損はない。アウトライナーの可能性は、多くの人が思っているよりもずっとずっと大きい。

ちなみにここで妄想した、会議でのアウトライナーの利用例は、昔訳した「アウトライナーとの出会い」という文章を元にしてます。
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レオ・バボータ「エコノミーについて」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「エコノミーについて」を公開しました。「on economy」の日本語訳です。
エコノミー(経済)——私たちの社会の金銭的な営み——については無数の記事がひっきりなしに書かれている。しかし、私は別の種類のエコノミーに興味がある。それはできる限り無駄を減らすこと、つまり「何かを効率的に質素に無駄なく」利用しようとすることだ。

「多いことは良いことだ」を価値とするこの社会では、言葉やイメージやノイズの終わることのない集中砲火にさらされる。誰もがひたすら忙しく動き続けようとし、正体不明の熱狂だけがある。かつてない無駄が生まれている。浪費されるエネルギー、ガソリンをがぶ飲みする車、膨大に生み出されるゴミ。

私たちはエコノミー(節約)を必要としているのだ。
全文を読む

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デイブ・ワイナー「君はアウトライナーを愛しているか?」 [アウトライナー]

デイブ・ワイナーによる久しぶりのアウトライナーについてのポスト「Do you love outliners?」の日本語訳。どうやらアウトライナーを使った何か大きなプロジェクトを進めているらしい…。

この記事自体は、ワイナーが関わってきたアウトライナーの誕生について簡潔に書いているけど、個人的により重要なのは「アウトライナーが扱うのはフロー(流れ)であり、アウトラインを使うことによってテキストが流動化するのだ(言いかえれば、アウトラインがテキストの流動化を可能にしてくれる)」という部分。アウトライナーの持つ意味を簡潔に、端的に示している。

最近来られた方のために書いておくと、デイブ・ワイナーは(商品としての)最初のアウトライナー「Think Tank」の開発者であり、80年代マックの名作アウトライナー「MORE」の共同開発者だ(Google Readerの件で何かと話題のRSSの誕生にも深く関わっている)。

ワイナーの手でアウトライナーが誕生したときの詳しい物語は、同じくワイナーによる「アウトライナーとプログラミング」(拙訳)を読んでくださいませね。

この記事もRenji Talk本館のアウトライナー関連翻訳に入れようかどうしようか迷ったけど、内容的にこちらにアップすることにした(本館をそろそろ再構成しないとなあ・・)。



私がアウトライナーを使い始めたのは1970年代末期、UNIX上でのことだった。スクロールする画面上で動くキャラクタベースのものだった。「1,$p」みたいなコマンドを打ち込むと、現在の階層の全ての行が表示される。コマンドの後ろに数字を入れてリターンキーを叩くと、ヘッドラインのサブテキストが表示される。基本的な操作は「潜水」と「浮上」だ。内容をあちこち移動するのはちょっと面倒だったが、当時のコンピューターにそれ以上望むことは無理だった。

ツールは年月の中で進歩していった。Visicalc、そしてLotus 1-2-3からは影響を受けた。セルを選択するVisicalcのカーソルのようにアウトラインを選択する「バーカーソル」はそこから来ている。バーカーソルは矢印キーで移動し、「<」キーを押せばアウトラインが展開し、「>」を押せば折りたたまれる。キーは覚えやすいものを選んだ。操作そのものを示すシンボルのように見えるからだ。

マウスが登場したのはそのすぐ後のことで、ダブルクリックによる展開と折りたたみが可能になり、アウトラインをある場所から別の場所へとドラッグすることもできるようになった。これで操作がより滑らかに流れるようになった。ここの部分が重要だ——アウトライナーが扱うのはフロー(流れ)であり、アウトラインを使うことによってテキストが流動化するのだ(言いかえれば、アウトラインがテキストの流動化を可能にしてくれる)。

それからグラフィックが、同時に箇条書きとツリーチャート機能がやってきた。突如としてアウトライナーを使った生産性アプリが誕生し、コンピューター上で紙とインクとハサミを使うよりも効率的に物ごとを行うことが可能になった。販売は激増した。

私はその間ずっと、アウトライナーを使ってコードや文章を書いてきた。最近では仕事仲間に自分の仕事内容を共有することと、作業の調整にも使っている。驚くほど柔軟で恐ろしく順応性のある、スイスアーミーナイフのようなツールなのだ。

ここ数ヶ月の間、アウトライナーに関して更に多くの仕事をしてきた。新しいプログラミングのパートナーであるカイル・シャンクと昨年末共同で作った、Small Pictureという新しい会社でのプロジェクトだ。製品はサーバーサイドとクライアントサイドに分かれている。クライアント側ソフトの一部を、来週お見せできる予定だ。それを使ってできること、そしてその方法にみんな驚くと思う。でも、その内容についてこれ以上教えてしまうと良い前宣伝にはならないので止めておく。 :-)

差し当たり、あなたのアウトライン・プロセッシング愛についてのストーリーがあったらポストしてほしい。私はアウトライナーを愛しているが、アウトライナーユーザーのことはもっと愛している。聡明で信じられないほどパワフルでクリエイティブな人々だ。パワフルな人々がパワフルであることを可能にするソフトなのだ。

言うべきことはまたまだたんさんある。全て言えることを祈っている。
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パワーポイントとエクセルの悪夢 [アウトライナー]

同僚のひとりが行政機関の仕事をしていて(うちの職場では珍しいこと)、報告書をワードで作っていた。昔ながらのA4縦型に文章とグラフが交互に出てくる、典型的お役所報告書フォーマット。

ぼくらの業界では(そして他の多くの業界でも)、ドキュメントをパワーポイントで作ることが常識になってもう10年以上経っている。パワーポイントに慣れ切っている彼は、文字や図表をページ上に自由に配置できないことで四苦八苦していた。みんなそれを見て同情しつつ、お役所の前時代性(今どきワードかよ)を笑っていたけど、ぼくは少し違った感想を持った。

この形式の報告書なら、ワードのアウトラインとして操作することができる。全体の構成をアウトライン上で変更できる。目次も自動でつくることができる。スタイルシートで全体の書式を一気に変換することができる。章番号や見出し番号も自動でつけられる。うらやましい(ワードのこうした機能が額面通りに動かない場合があることは百も承知だけど、それでもなお)。

もっともその行政機関から「これを使うように」と渡された報告書のフォーマットは、ワード書類ではあるけれどもアウトライン機能なんか使われていないので、上記の恩恵を受けることはできない。だとすれば、確かにそれは操作が面倒で文字が多くて見栄えが古くさい文書でしかない。



ちょうどその頃、ツイッター上では「エクセルをワープロ代わりに使う日本独特の文化がオフィスの生産性を落としている」ことが話題になっていた。

これも根は同じ問題。奥出直人さんは80年代に「みんなパソコンで何ができるかわかってない」といったけど、このクラウドとソーシャルネットワークの時代になってもそれは変わってないように思える。

ワードは本来、文書を構造的に操作し、構造を紙の上での見栄えに変換する機能を持っている(少なくとも額面上は)。そのために、CSSのように構造と書式を別々に定義することができる(少なくとも額面上は)。この機能を使いこなすことができれば、オフィスにおける文書作成は劇的に省力化することができる(額面通りに動作すれば)。

さらに上記の機能をアウトライン機能と組み合わせれば、自然な思考の流れを阻害せずに、文書として要求される形式を半自動的に満たすことができる(額面通りに動作すれば)

思考は流れるものだ。流れるものを阻害しなければ頭は働いてくれる。しかし紙に記述した思考はそこに固定されてしまう。本来流れているものを固定した状態にするのは苦しい。人類は長年そのことに苦しんできた。

コンピューターがはじめてそれを解放してくれた。80年代にパソコンが使えるようになったとき、ぼくらの世代が興奮したのはそのことだった。一太郎とか新松とかマイフェスとかVZエディタとかActaとかMOREとかの洗礼を受けた世代。

パワーポイントやエクセルをワープロ代わりに使うということは、そのせっかくの恩恵を手放していることなのだ。本来流れるはずの思考がエクセルやパワポ上の「位置」や「カタチ」にがんじがらめにされて流れなくなってしまう。紙ならば仕方ないけど、それがコンピューターの上で起こっているというのは悪夢みたいなものだ。

うちの職場で先輩が後輩に対してしばしば浴びせる言葉が、その悪夢を象徴している。「お前、いきなりパソコンに向かって作ろうとするからダメなんだ。紙でちゃんと考えをまとめてからやれ」。

全世界をつなぐ巨大ネットワークに手のひらデバイスからアクセスし、クラウドに保存したあらゆるデータをどこからでも取り出し、SNSで知らない人と自在につながる。80年代からみればSF小説みたいな世界に生き、物心ついた頃からパソコンがあったデジタルネイティブ世代が、こと個人が考え文書を作成するということに関しては、驚くべき原始的なことをさせられていることに気づくべきだ。



上でワードの機能が額面通りに動かないことを揶揄したけど、ワードが正常進化していればこういう事態を防げたのか、それともそれを望む人がいなかったからワードが正常進化しなかったのか。鶏と卵だけど、たぶんその両方なんだろうな。

とかいってる間に、そもそも「報告書」なんていう存在自体が前時代的なものだという気がするけど、それはまだ別の話。
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レオ・バボータ「両手は自由に、心は満たして」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「両手は自由に、心は満たして」を公開しました。「Empty-Handed, Full-Hearted」の日本語訳です。

旅をするとき、私たちはついつい大荷物を抱えてしまいがちだ。様々なことを想定して備えておきたいと思うからだ。この「備えておかなければ」という気持ちが重荷となって私たちの手を荷物でいっぱいにし、何であれ旅先での出会いを受け入れる余地を奪ってしまう。

荷物を運ぶだけで疲れてしまうので、旅の途上で知らない人と出会うことにも喜びを感じられない。

新しい体験を受け入れ、食べたことのないものを食べ、出会った人々と触れあうために、何も持たずに旅をしたらどうだろう?
全文を読む

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デスクが散らかっていることについて [Diary]

後輩に対して非常に厳しい同僚が、出せと言った資料がなかなか出てこないのに業を煮やして「普段から整理してないからそういうことになるんだろ!」と怒鳴っている前のぼくのデスクが、怒鳴られている後輩よりもっとぐちゃぐちゃなのでとてもどきどきする(笑)。

職場はきれいとは言い難い場所だけど、その中でもぼくのデスクは汚い方から数えて何番目かという状態だ(よく雪崩を起こして、同僚から白い目で見られる)。

不思議なのは自宅のデスクはすごくキレイだということ。文字通りマックと万年筆のインク瓶しか置いてない。自分で言うのは何だけど、かなり美しい。

会社のデスクが汚い人は、だいたい家のデスクも汚いものだけど、この違いって何なんだろう。興味深い問題。

もちろん大きな違いは家では紙をまったく使わない(プリンターは年賀状にしか使わない)ことだけど、たぶんそれだけじゃない。
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