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デイブ・ワイナー「変わっていく人を引き留めるのは止すことにしよう」 [その他翻訳]

デイブ・ワイナー「Let's not argue about that」の日本語訳。

アウトライナーとは何の関係もないけど、なんだか身につまされてつい訳してしまった…。背景もなんとなく想像がつく気がするしね。


あなたの不満の原因が、以下のどれかだったとする。
1. ある人が、あなたの望むように振る舞わない。
2. あるいは、そうするべきだと考えていない。
3. あるいは、言っていたことと違うことをしている。

この種の不満には、とても簡単な対処法がある。

その人がその人自身であることは自由だし、変わっていくことも自由だ。だからこれまでその人のことが好きだったのなら、これからも好きでいることだ。

もしそうしなければ、その人は成長することができなくなってしまうし、あなたがその人の成長を見守ることもできなくなってしまう。それは友情とは言えないだろう。

人は変わっていくものであり、それは恐れるべきことではない。それが現実だし、それはあなたの問題ではないからだ。変わりつつあるのがあなた自身でない限り。

人間関係の不満のあまりに多くが、この種の行き違いから生まれていると思う……それはとても無意味なことだ。
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アウトライナーの「速さ」 [アウトライナー]

あるアプリが「速い」というとき、それは起動や動作や処理のスピードが「速い」ことを指すのが普通だ。もちろんそれは大事なことだけど、ここで言いたいのはちょっと違う種類の「速さ」。

ぼくがアウトライナーを手放せない大きな理由がその「速さ」だ。もちろんここでアウトライナーと言っているのは、OmniOutlinerFargoWorkFlowyといったプロセス型アウトライナーのこと。

アウトライナーを使うコツは、同じ目的の文章は、発想もメモも下書きも完成品も全てひとつのアウトラインの中に入れてしまうこと。そうすれば、新しい文章を書き始めるには、リターンキーを叩いてトピックをひとつ作るだけだ。

新しいファイルなりノートなりを作る必要はない。タイトルをつける必要もない。「さあ文章を書くぞ」という気負いもない。新しくつくるという感覚さえない。ただトピックを立てて書き始めるだけ。

適当なタイトルを思いついたらそれもトピックにして、今まで書いた内容部分をその下に括ってしまえばいい。それがひとつのドキュメント(ブログであれば記事)になる。

まとまったテキストの固まりも楽に入れ替えられるから、どこから書き始めるか迷うこともない。

その「壁の低さ」からくる、書き手自身の起動、書き手自身の動作の速さ。

アウトライナーの中ではトピックの入れ替え・階層化が自由にできる。逆に言えば、入れ替え・階層化する前のトピックは等価・平等だ。だから、順序や重要性に縛られることなく、思いつくそばから入力できる。接続詞も句読点も気にせず、極端に言えば文節ごとに改行しながら入力する(やがて入れ替え・階層化・結合され、段落になったり下位に段落を従えて見出しになったりする)。

その、入力時の等価性から生まれるスピード感とリズム感。

アウトライナーでは、アウトラインを折りたたんで上位トピックだけを表示すれば、一瞬のうちに手元にある全ての文章を俯瞰できる。気になるトピックを展開すれば、これも一瞬のうちにいちばん細かいディテールまで降りていける。

その「全体」から「部分」、「概要」から「詳細」の切り替えの速さ。

アウトライナーの「速さ」とはそういうこと。そしてそれは文章を書く上では、スクロールのスピードが速いことよりも実感として「速い」のだ。


この記事は、Rashitaさんの「持つペンと思考の速度」にインスパイアされたものです。
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その鈍さを身につけることで日々を生き抜いてるとしても [Diary]

朝からなんとなく調子が悪いような、具合が悪いような気がしていて、思考も動きもクリアじゃなくて。

特に体調も悪くないのにどうしてかな。でもこの感じには覚えがあるな。過去に何度も経験したことがある。子どもの頃を思い出すような、ちょっと懐かしいような。

痛みというにはぼんやりしていて、でも無視できないほどにはくっきりしているこの感じ。これはなんだろう?

なんて不思議に思い続けたあげく、突然自分は何かに(ちょっと)腹を立てていたり、何かが(ちょっと)悲しかったり、何かに(ちょっと)傷ついてたりするのだということに思い至る。

そんなことはありませんか。ぼくはよくあります。

気づいてみれば原因もだいたい想像はつくし、後は現実の問題だから、粛々とプラクティカルにプラグマティックにリアリスティックにテクニカルに対応できる。

オトナとして。

だけど今さらのように驚くのは、この種の日々の小さな感情の起伏って、自分でも驚くくらい意識できていないということだ。

というよりも、意識しない方向に、鈍化する方向に進化を遂げてしまったのだということだ。

オトナとして。

だから、その存在に気づき、意識するということは、決して悪いことじゃない。

「鈍さ」はあらゆる場面で悪だと思うから。たとえその鈍さを身につけることで日々を生き抜いてるとしても。
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私的アウトライナー履歴(数ヶ月以上利用したもの) [アウトライナー]

OASYSのアウトライン機能(OASYS)
VZ Editorのマクロによるアウトライン機能(MS-DOS)
Turbo Liner(Mac)
Acta Advantage(Mac)
Acta7(Mac)
Inspiration(Mac)
MORE(Mac)
Nisusのマクロによるアウトライン機能(Mac)
Microsoft Word 6(Mac)
Microsoft Word 98(Mac)
Microsoft Word 2000(Windows)
Inspiration(Windows)
SOL(Windows)
Microsoft Word 2004(Mac)
OmniOutliner(Mac)
OPAL(Mac)
OmniOutliner Pro(Mac)
Fargo(WEB)
WorkFlowy(WEB)
Dynalist(WEB) ←2018/08追記

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レオ・バボータ「今していることは今するべきことなのだろうか」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「今していることは今するべきことなのだろうか」を公開。ブログZen Habbitsより「The Worry That You’re Doing the Wrong Thing Right Now」の日本語訳です。
朝、仕事に取りかかるところを想像してほしい。あなたはまずメールの画面を開く。最近のものから昔のものまで大量のメールが並び、あなたの注意をひこうとしている。SNSの受信箱も開く。素早く目を通して、今するべきことを頭に描く。

しかし、どこから始めればいいのだろう。

メールで入ってきたタスクから手をつけるが、すぐにもっと重要なことがないか確認したい衝動にかられる。そしてこの問題は自己反復する——何かしようとするたびに、頭の中にある何やかやが(そして今にも起こるかもしれない緊急な何かが)、あなたの注意をわしづかみにする。

今やっていることは正しいのだと確信することなどできるのだろうか。

間違ったことをしているのではないかという不安から解放されることなどあるのだろうか。

これは、私が何年もの間格闘してきた問題だ——机に向かって文章(たとえばこの記事を)を書こうとすると、メールや口座残高やカレンダーや各種SNSをチェックしろと心の声がしつこくささやきかけてくる。この感覚を抑えることは、簡単なこととは限らない。
全文を読む

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負けん気と競争心と愛と美と欲望と強さの関係 [Thoughts]

子どもの頃、学校の教師からしばしば言われた言葉。

「負けん気が足りない」
「競争心がない」

今でもそういう傾向はある。勝負は回避するしな。挑発されると逃げるしな。「なにくそ」とか「今に見てろよ」とか思わないしな。

この間、職場の後輩がまさに「負けん気が足りない」「競争心がない」という言葉で上司から説教されてるのを聞きながら、なんだかとても懐かしい気分になったり。

そして、オトナになって職場で言われる言葉が、コドモの頃学校で言われた言葉とあまり変わっていないことに感慨深くなったり。

そして、さんざん説教されたにもかかわらず、その「負けん気が足りない」「競争心がない」後輩がひとかけらも凹んでないのをみて頼もしく思ったり。



負けん気が強くて競争心が旺盛で勝ち負けにこだわる人が、肝心なところで本当に大切なものを譲り渡してしまうところを何度も目にしてきた(しかも場合によってはそれが〈勝つ〉ための代償だったりする)。

ならば、それは何のための負けん気や競争心なんだろう。

表面に現れる負けん気や競争心と強さは多くの場合別物だ。そして勝ち負けと強さも別物だ。

個人的には、負けん気も競争心も足りてないかもしれないけど、負けるべきでないところで本当に負けたことは、まだ(ぎりぎり)一度もないと思っている。その他では負けてばっかりだけど。



ちなみに、人から本当の強さを持続的に引き出すのは「愛と美に裏打ちされた欲望」だからね。
→そして今鼻で笑った人は、エレベーターホールに正座して再考。
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借り物じゃない「ミッション」を見つけるために [Thoughts]

「7つの習慣」を初めて読んだとき、人生のミッションを書き出して行動指針にするという「ミッション・ステートメント」という考え方がすごく魅力的に思えた。その有効性も直感的に理解できた。

でも同時に、有効なミッション・ステートメントを書くことは至難だとも思った。

人を動かす力を持ち得るのはリアルな言葉だけだから、行動の指針にするのであれば、自分にとってリアルな言葉で書かれていなければならない。

だけど、やってみるとわかるけど、リアルな言葉というのは簡単には出てこない。他人に見せるわけでもないのに、借り物みたいな空虚な言葉ばかり浮かんでくる。もちろん人生の指針になるはずがない。

ミッション・ステートメントを書いてみようとした人の多くが、同じ問題にぶつかったんじゃないかと想像する。

ちなみに「7つの習慣」に紹介されたミッション・ステートメントの例を見ていると、ミッションという発想自体がそもそもキリスト教的なものであることが感じられる(故スティーブン・コヴィーさんは敬けんなモルモン教徒だった)。

「神」がいれば、ミッションは多かれ少なかれ神の教えと連動したものになる(とぼくは理解している)。神との関係の中で言葉はリアリティを持ちうる(とぼくは理解している)。逆に神を持たなければ、ミッションは100%自分の中から見つけなければならない。

職場に新入社員の頃から「フランクリン・プランナー」を愛用してる後輩がいて、彼が「ミッション」や「価値観」のページをどう使ってるか興味があったんだけど、この間訊いてみたらその部分は「苦手なんで」外してタスク管理とスケジューリングの機能だけを使っていた。



多くの人が忘れてるのは、ミッション・ステートメントを書く作業というのは、実は「文章」を書く作業だということ。しかも自分を動かしてしまうほどに強力な文章を書く作業。これはちょっと考えるよりずっと難しいことだ。

ミッション・ステートメントを書くときにぶつかる問題とは、実は「文章」を書こうとするときにぶつかる問題なのだ。

何かについて文章を書こうと思ってノートやキーボードに向かう。でもぜんぜん言葉は出てこない。テーマは決まってるし、気持ちもあるのに、そしてイメージもできてるのに、正しいと感じられる言葉を思いつかない。無理に書こうとすると、借り物みたいな文章になってしまう。

誰にでも経験があると思うけど、それと同じことだ。

パワフルな文章は「書いてみましょう」と言われて書けるものではない。まして手帳のリフィルの中では。ミッション・ステートメントも同じだ。



だけどミッション・ステートメントは、自分にとってリアルな言葉を見つけることさえできれば、確かに有効だ。特に年齢を重ねて、昔みたいに無限に時間があるわけじゃないということを実感するようになると、そう思う。

どうやったら、リアルな言葉を見つけ出せるのか。そのヒントはやはり文章を書く作業の中にある、と思う。

これも多くの人が経験したことがあると思うけど、文章が思うように書けず、それでも苦し紛れにいろいろ書いてるうちに、何かのきっかけで筆が走りはじめ、何を書こうか考える前に言葉が勝手に出てくる状態になるときがある。そういうときに書いた言葉の中にこそ、自分にとってのリアリティが含まれていることが多い(たとえ最終的に使えなかったとしても)。

リアルな言葉は、おそらく意思でもロジックでもなく、これまで生きてきた経験と混沌が出会う中から生まれてくる。

だから、本当に力のあるミッション・ステートメントを書くには、意図的に混沌を作りだして、その中からリアルな言葉を見つけ出していく「フリーライティング」のような作業が必要なのだ。
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