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レオ・バボータ「変化の痛み、変化の美点」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「変化の痛み、変化の美点」を公開。ブログZen Habbitsより「The Pain & Beauty of Life Changes」の日本語訳です。
苦しいのは、人生の変化に抵抗するからだ。

そして、人生とは変化のことなのだ。

私も人と同じように変化に抵抗する(そして苦しむ)が、それでも適応することを学んできた。柔軟性を身につけたと言ってもいい。私が気づいたのはこういうことだ。

全ては変わっていくし、それは美しい。
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アウトライナーは(文章の)メロディとリズムを同時にコントロールしている [アウトライナー]

意識にはあるけどうまく言葉にできないことを伝える試みは、会話の中では身振り手振りだったり、言葉の抑揚であったり、擬音であったりする。

文章でそれに該当するものは文体、と言ってしまうと文学的すぎてよくわかんないけど、それは構成だったり、漢字や仮名の使い方だったり、語尾の付け方だったり、句読点の区切り方だったり、てにおはの選び方であったり、その全部の組み合わせだったりの結果として生み出されるメロディとリズム=グルーヴ感みたいなもの、じゃないかと思う。

それが単なる言葉の羅列にどれだけパワーを与えるかという意味では、もはや音楽と変わらないくらい。

個人的にアウトライナーを手放せない大きな理由のひとつが、言葉(メロディ)と同時にリズムをコントロールしているような感覚があるから。

あと「箇条書きラブ」なこともおそらく同じ理由だね。
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21世紀の精神主義 [Thoughts]

40年以上生きてきて、経験的に知った事実。
放っておくと、生きることは止めどなく気持ち悪くなるようにできている。

平気で嘘をつく人がいる。
約束を守らない人がいる。
不機嫌をまき散らす人がいる。
やるべきことをやらない人がいる。
人にせいにする人がいる。
威圧したり恫喝したりする人がいる。
権威や立場を背景に理不尽な要求をする人がある。
責任を取るべき人が逃げる。
状況や背景を理解しない人が安全な場所から気軽に非難する。
人から何かをむしり取ることしか考えてない人がいる。

大人であれば知ってるとおり、こうしたことを避けて通ることはできない。むしろ避けようとするほど追いかけてくる。

それだけでも充分なのに、加えて自分自身も他人に対して同じようなことをやってる同類であることに気づいたりする。

そんな出来事をいちいち正面から受け止めてる限り、人生の気持ち悪さは加速する。



だけど、ぼくらは気持ちよく生きなきゃいけない気がするわけですよ。自己啓発的な意味ではなく、「まだ生きてる」人間の責任として。

そしてそのためにいちばん必要なのは、たぶん手法やテクニックではなく「気持ちよく生きる」という強い決意だ。

それが、気合いや根性に代わる、21世紀の精神主義。
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アウトライン化したレオ・バボータ「シャットダウンする時間」の翻訳プロセス [アウトライナー]

今日公開したレオ・バボータ「シャットダウンする時間」の、ラフ訳から完成訳までのプロセスを、Fargoを使った実験ブログWord Piece2で公開しました。
http://wordpiece2.smallpict.com/2013/09/21/

こうやって文書の作成プロセスを記録するというのも、アウトライナーの使い方のひとつ。本格的なバージョン管理の代わりにはならないけど、その分気軽に使える。

さらに、Fargoで作ったブログは、アウトラインの階層と折りたたみ/展開機能がブログ上に再現されるので、このようにプロセスをそのまま公開してしまうことも可能。

これは、工夫次第でいろいろ使い道があると思います。
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レオ・バボータ「シャットダウンする時間」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータ「シャットダウンする時間」を公開。ブログZen Habbitsより「The Time to Shut Down」の日本語訳です。短いけどね。
テクノロジーにどっぷり浸った私たちの暮らしでは、何もかもシャットダウンするということは滅多にない。

起きたらまず電源を入れ、寝るまで何らかのデバイスと向かい合っている。もちろん、その間もずっと。私自身も例外ではない。今日、そんな人は滅多にいない。
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恋愛初期論(序説) [Thoughts]

おそらく何かの集まりで知り合ったぱかりで、流れでお茶でも飲んでいると思われる若い男女の会話を聴くともなしに聴いている。

お互い好意を持ってることははっきりと伝わってくるし、話題はつきないんだけど、興味深いのは二人とも基本的に自分の話しかしてないし、そしてあんまり相手の話を聞いてないこと。

昔相手のことをもっと知りたくて立て続けに質問ばっかりして、「さっきから質問ばっかり」と言われたことを思い出しながら。

でも楽しそうだな。


夢中で自分の話ばっかりする楽しさや
質問ばっかりする性急さは、
相手を理解し受け止める必要も
相手を理解できず受け止めきれない無力も
相手に理解してもらい受け止めてもらうことへの渇望も
まだまだ先の話の恋愛初期の特権です。

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デイブ・ワイナー「アウトライナーについてのふたつの見方」 [アウトライナー]

デイブ・ワイナーのScripting Newsより「Two ways of looking at an outliner」の日本語訳。Happy Outliningの方とブログとどっちに公開しようか悩んだあげく、とりあえずこちらに公開。

アウトライナーの中で編集されるアウトラインは、単一のドキュメントとみなすこともできるし、複数のドキュメントの集合ともみなすことができるというのは、意外に意識されていないこと。そして、その特性をはっきりと意識して実装されたアウトライナーはFargoが最初じゃないだろうか(本当はその前にOPML Editorがあったんだけど)。

これにより、Fargoはブログを丸ごとアウトラインの中で編集することを可能にしている。また将来的にはEvernoteのノートブックをアウトラインとして編集できるようにすることを考えているらしい。

※ちなみに、以下の本文訳部分を、Fargoのアウトラインで作成した実験ブログ「Word Piece2」に公開したので、イメージつかない人は見てみてください。アウトラインがそのままブログ記事としてレンダリングされてるのがわかります。




アウトライナーの持つ二面性

アウトライナーはその二面性ゆえに、生産性アプリとしては異色の存在だ。

1. アウトラインはひとつのドキュメント(文書)として見ることもできるし、
2. 階層的に整理された複数のドキュメントの集合として見ることもできる。

この二面性は、その最も初期の段階からアウトライナーの設計デザインに混乱をもたらしてきた。私にとってのそれは1970年代末のことだった(エンゲルバートにとってはもう少し早い時期だった)。

物ごとを表面的にしか見ない人は、アウトライナーはワードプロセッサーの一種であるという結論に飛びつきがちだが、それは全く違う。私の開発したアウトライナーは、ファイルシステムとしての要素とワードプロセッサーとしての要素を両方持っている。しかしキーボードとマウスは一組しかないので、このバランスは微妙な問題につながることがある。それぞれの要素に結びついた操作を選ばなければならないからだ。

しかし、私たちはうまくバランスを取ってきたと思う。私はFargoをWordやGoogle Docsのようなワードプロセッサーだとは思っていないが、私自身のような物書きが必要とするテキスト編集のタスクのほとんどについては違いはない。

ファイルシステムはアウトライナーである

MacやWindowsといったデスクトップOSにおけるFinderやExplorerは、以下の点でアウトライナーの基本的な用件を満たしている。

1. 表示される要素のレベルをコントロールすることができる
2. 構造を持ち、再構成することができる

言いかえれば、階層の折りたたみ/展開表示とドラッグ操作による再構成の機能を持っている。階層の表示レベルをコントロールできて、何かを移動させると、それに従属する内容は全て一緒に移動するのがアウトライナーだ。

新発想としての構造的ページ区切り

Fargoは、アウトライン構造の中にアウトライナーならではの「ページ区切り」を設ける方法を見出したことで、ドキュメントの集合としてのアウトラインという考え方を実現している。あるヘッドラインにtype属性が設定されていれば、それはドキュメントのタイトルとみなされる。下位ヘッドラインはドキュメントの内容になる。この方法で、FargoはまるでFinderのように振る舞うのだが、ひとつだけ重要な違いがある。それは、ドキュメントの内容を編集するために独立したウィンドウを開く必要がないということだ。ただ(アウトラインを)展開して、編集すればいい。そして、あるドキュメントの内容を他のドキュメントに移動するには、フォルダの中のファイルを他のフォルダに移動するのと全く同じ、ドラッグ操作だ。

type属性は、アウトラインをレンダリングするときに重要な役割を果たす。例えばアウトラインを使ってEvernoteのノートブックを編集したり、WordPressのブログを編集するときだ。

それ以外の場面では、type属性付きヘッドラインも、通常のアウトライナーのノードと全く同じように振る舞う。ただ、そのコンテンツをアウトライナー以外の環境で表示するときに、それらはドキュメント——たとえばEvernoteのノートやブログポスト——として表示されるのだ。



例として、今作業しているアウトラインのスクリーンショットをあげよう。

アウトラインの構造が見られるように、短めのブログポストをひとつ展開した状態にしてある。

小さな三角系のアイコンの代わりに書類アイコンのついたヘッドラインが、type属性が設定されたヘッドラインだ。これがドキュメントだ。

私のブログ全体が、Dropboxに保存された単独のOPMLファイルになっている。

私たちのCMSであるTrexは、ここに示した決まりごとを理解し、ウェブサイトを適切にレンダリングする。サイトのRSSフィードも同じ仕組みを利用している。

ここで紹介した発想は、アウトライナーにとってのブレークスルーになると私は考えている。二年前にOPML Editorの機能としてはじめて公開され、今ではFargoとTrexにフルに実装されている、World Outlineの基礎となったものだ。互いの結びつきは緩いものなので、OPMLを吐き出せるアウトライナーなら全て、Trexで処理できる形でコンテンツを出力することができる。逆にFargoは同じ仕組みで動作するどんなCMS、あるいはその他の処理プログラムにも接続することができる。

私たちは、他にもいくつかの開発者たちと、このコンセプトを利用するソフトについて取り組んでいる。今月末のEvernoteカンファレンスまでには、何らかのデモをお見せしたいと思っている(と祈っている)。

OPMLを見れば全てがわかる

あなたが開発者で、自分の目で見てみたいと思ったら、ここにこのサイトのOPMLファイルがあるので、どのように動くか自分自身で確かめてみてほしい。実際のウェブサイトを動作させるための様々なスクリプトやテンプレートが含まれてるので、そのつもりで!
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増殖する弱さについての箇条書き [Thoughts]

弱さは人の中にある。
弱さは受け入れれば飼い慣らせる。
弱さを受け入れるには強さが要る。
弱さは受け入れないと増殖する。
弱さは増殖すると害を生む。
(増殖した)弱さは声高に主張する。
(増殖した)弱さは群れる。
(増殖した)弱さは操作する。
(増殖した)弱さは謀る。
(増殖した)弱さは飾る。
(増殖した)弱さはこだわる。
(増殖した)弱さは許さない。
(増殖した)弱さは愛せない。
(増殖した)弱さは愛に気づかない。
(増殖した)弱さは構築する。
(増殖した)弱さは巨大化する。
(増殖した)弱さは蝕む。
(増殖した)弱さは再生産する。
(増殖した)弱さは止められない。
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歳とともに消えてしまった何かの「跡地」利用 [Diary]

ここのところ、30代の人たちから「働き方」とか「生活」とかの話を大量に聞く機会があったんだけど、みんな多かれ少なかれ30代の前半から中盤くらいに転機もしくは変化の感覚を感じているのが印象に残った。

職場での立場や責任が変わるというのももちろんあるけど、それだけじゃなくもっと根本的なところ、肉体的・精神的な意味での転機や変化。

簡単に言えば「今までできた○○ができなくなる」「今まであった○○がなくなる」という感覚。○○は人によって「体力」とか「情熱」とか「意欲」とか「がむしゃらさ」とかそんなような言葉が代入されることが多かった。

まあ、自分の中にあって普遍的だと思っていたものの多くが実は若さに裏打ちされたものだと気づくことが、「歳を取る」ことの自覚のプロセスの始まりなわけですよね。

で、話を聞きながら考えてたのは、そんなふうに消えてしまったものの「跡地」利用のこと。人はみんな平等に歳を取るけど、そこには明らかな差がある。

かつて存在した何かの「跡地」を、生活しながら、変化しながら獲得した新しい何かのために利用している人。逆に、濁った水が溜まり、雑草が生え、空気が淀み、蜘蛛の巣がかかるままになってる人。あるいはただぽっかりと穴が空いたままの人。

外見とはほとんど関係ないけど、この違いって、生きていく上でけっこう重要なことだと思う。そして恐ろしいことに、外見とはほとんど関係ないにも関わらず、そういう違いって見ているとちゃんとわかる。

「今まであった○○がなくなる」感覚は、40代の前半でもう一回来るんだぜと思いつつ。そしてきっと、この先も繰り返し来るんだろうなと思いつつ。

追記:
そしてもうひとつ重要なのは、結論を出さないことに耐えられる強さ

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印象しりとりと、制約の中で起動する創作プロセス [Thoughts]

昨日の「しりとり」をアップしてから何人かの方が「しりとり」をアップしてて、ささやかに嬉しいわけですが。

ちなみに昨日紹介したのは、個人的に「印象しりとり」と呼んでる昔から好きなひとり遊び。

(はい、ひとり遊び得意です)

ルールは、あるキーワードでスタートして、通常の「しりとり」のルールを守りつつ、印象的に関連のある言葉をつないでいくこと。

ただし「関連」の定義は自由。現実に関連のある言葉でもいいし、反対語や類語でもいいし、一見まったく関係ないんだけどある種の印象(イメージ)でつながっていてもいい。

そしてもうひとつのルールは、どこかで「終了」させること。

通常のしりとりは「ん」で終わるワードが出たら終了ですが、印象しりとりでは「これで終わりだ」と自分の中で納得したら終わりです。

自分が「終わった」と思えるまで続けること。逆に納得できなければいつまでたっても終われない。通常のしりとりルールと、印象の連鎖という二つの制約の中で、「終了」させるのは意外にアタマ使います。

面白いのは、なんとか終了させようとするうちに、自分の中である種の創作プロセスみたいなものが起動すること。

「終わり」を自分の中で納得するためには、ロジカルというよりは情緒的な「落ち」の感覚が必要で、どうにか「落とそう」とするうちに、しりとりがストーリー性を帯びてきたりする。それも、まったく制約のない状況では出てこないようなものが出てくることがある。

しりとりでストーリーを作るという遊びはありますが、印象しりとりの面白いところは、意図せず勝手にストーリーになってしまう場合があること。もちろん他愛ないものなんだけど、「創作」というものの本質の一端はこんなところにあるのかもしれない、とも思う。

という、実に洗練された孤独なひとり遊びです(笑)。みなさんもヒマつぶしにぜひ。

ちなみに「エンディングの言葉をあらかじめ決めておく」のも面白いです。たとえば「山」で始まって「川」で終わることをあらかじめ決めておいて、ラストのワードを目指して印象しりとりをしていくもの。

これは昔このブログでやったことがあります。失敗してますが。
「恋で始まり別れで終わるしりとり」
「猫で始まり犬で終わるしりとり」

おお、そして今日は久しぶりの「ですます体」だ。
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