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寂しさついての会話の断片 [Talks]



「寂しくなることない?」
「寂しくない人なんか信じられないよ」



「寂しいとすれば、私だけが永久に29歳だからじゃなくて、みんなの記憶の中で私が古くなっていくことだね」



「寂しいと思えば人に会いたくなる。声が聴きたくなる。人と関わろうとする。だから生きていくことができる」



「大人になったら寂しさは我慢しなければならないんだぜ」



「寂しさの全ては……ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番の中にある」
「いや、ジョンが“Across the Universe”の中に全てを」
「いやいや桑田が“悲しい気持ち”に」



「……」



「ところで君は孤独になる覚悟を決めたんじゃなかったのか?」
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好きなブログについて [Diary]

前回は自分のブログについての自己言及だったので、今回は「好きなブログ」についてです。

でも、いざ選ぼうとすると、すごく難しい。もともとそんなにたくさんのブログを読んでるわけじゃないし、読んでいるブログはそもそも好きだから読んでいるわけで。

でもとにかくあげてみることにします。順番は単にタイトルのアルファベット順です。何かしら人生にインパクトがあったブログ。もちろん好きなブログのごく一部です。

大メジャーブログをあげてどうするのとか、日本語と外国語は分けるべきじゃないかとかいろいろ考えましたが、最終的には全部いっしょにしました。当ブログの重要な原則のひとつが「雑多であること」だしね。


目をそらすことができない吸引力。小野美由紀さんのブログ
None.

ライター、小野美由紀(@MiUKi_None)さんのブログ。ライターといってもそうなったのはわりに最近のことで、読み始めた頃は単なる個人ブログだったと思います。内容は「感情やコミュニケーション、性愛、そして旅について」。

小野さんの文章が好きかと問われると、正直うーんと唸ってしまう。考え方に共感できるかというと、できないことの方が多いかもしれない。

でも、無視することも読み飛ばすこともできない。文章が読まれることを強く要求し、それに身体があらがえないというか。そのうち更新のたびにチェックせずにはいられなくなる。そういう強烈な吸引力(もしくは反発力)のある文章です。

小野さんが、その瞬間に自分の中にあるものを全て投げ出しているからだと思う。そういうふうに文章を書ける人って、そんなにたくさんはいないと思います。


さらっとすごい挑戦をしてるのかもしれない。倉下忠憲さんのブログ
R-style

倉下忠憲(@rashita2)さんのブログ。今さら自分が言うのもなんだけど、好きなブログです。もちろん倉下さんはプロの物書きだけど、ホームグラウンドはやっぱりブログR-styleなんじゃないかと思う。

倉下さんの文章を最初に読んだのは「EVERNOTE『超』仕事術」だったけど、それはもう純粋な実用書として購入したわけです。もちろんEvernoteを使う上でとても参考になりました。でも、正直それ以上のものではなかった。

でも「R-style」を読むようになってから、倉下さんの文章そのものに魅力を感じるようになりました。

なんといっても、その内容の広さと深さに脱帽します。豊富な読書量と、仕事を通じて若いうちから様々な経験をしてきたであろうことが感じられます。

にもかかわらず、文章にそういう人にありがちなクセがぜんぜんない。メジャーなブロガーさんの中には、そのクセ(もっと悪い言い方をすると傲慢さ)がつらくて正直読めないものもあるんだけど、そういうところがみじんも感じられない。一言でいうと「品」があるんです。

それから、ページビューや書籍の売り上げに必ずしも繋がらないと思える内容を積極的に、だけどバランスよく散りばめるところも好きです。以前書いた記事の中でもちょっと触れましたが、目的合理的な部分だけじゃないところ。

それはプロの物書きにとっては、決して簡単なことじゃないと思うんですよね。だって時間とエネルギーがあるなら、ページビューや売り上げに直結する内容に使った方が収入につながるわけだから。

そういう目で「EVERNOTE『超』仕事術」その他の書籍をあらためて読み返すと、書籍の文章の中にも確かにそういう意思が感じられる。実は物書きとしてなかなかにすごい挑戦をしてるんだと思うのです。

年齢はずっと下ですが、その姿勢、尊敬します。


プログラマーの魂と物書きの魂がこもったデイブ・ワイナーさんのブログ
Scripting News

当ブログを読んでいただいてる方ならおなじみ、デイブ・ワイナーのブログ。おそらく世界最古のブログのひとつであり、まだBlogという言葉がない頃から存在していたブログ。

ご存じない方のために書いておくと、ワイナーは最初の(商品としての)アウトライナーThink Tankと、歴史に残る名作アウトライナーMOREの開発者。今はその流れをくむオンライン・アウトライナーFargoを開発しています。ワイナーがいなければ、今日思うようなアウトライナーは存在しませんでした。アウトライナーフリークにとっては神様みたいな人です。

それだけじゃなく、RSSの規格策定に関わり、最初のブログツールの一つであるRadio Userlandを開発した人でもあります。

でもここであげる理由はもちろんそれだけじゃない。「物書き」としてものすごく魅力的なことです。

Scripting Newsは基本的にはテック系ブログなんだけど、内容はものすごく多彩かつ雑多です。政治から映画から自転車まで、ワイナーの興味の対象が文字通り全て含まれてます。舌鋒は鋭く敵も多いけれど(最近は少し丸くなった感じもするけど)、とにかく文章が魅力的。

アウトライナー関連のものを中心にRenji Talkの「アウトライナー関連翻訳」のコーナーで、その他エッセイ系は当ブログでいくつか訳させてもらってます(ワイナーさんには、自由に翻訳して良いという許可をいただいてます)。

ひとつだけ、好きな記事をあげておきます(魅力を伝え切れてるかどうか自信はありませんが…)。
デイブ・ワイナー「アウトライナーと父」

あまり指摘する人はいないけど、ワイナー自身が開発者であり、天性の物書きであることが、アウトライナーの誕生に繋がったのだと思っています。

それにしても、最初におそるおそる翻訳許可をお願いするメールを送ったときの、明快な返信が忘れられません。

Sure, why not!

ああ、そしてScripting NewsがなければたぶんWord Pieceはありません。


猫とひとり遊びが好きな人は見逃せないクォン・ユンジュさんのブログ
Snowcat Home

韓国のイラストレーター、Snowcatことクォン・ユンジュさんのブログ。韓国のというか、世界的に活躍してますが。

内容は手書きのイラストと手書きの文章中心。そして韓国語です。ハングル読めません。読めませんが、好きです(どうしても内容が知りたかったら妻に読んでもらいます)。

猫好きということもありますが、イラストや写真がとてもかっこいいのです。チャールズ・M・シュルツにも通じるものさえあると思う。

日本でも、初期のブログの内容が以前「スノーキャットのひとりあそび」として出版されていました。

こちらはちゃんと日本語訳されてます。猫とひとり遊びが好きな人、必見です。


とりあえず今回は以上です。うーん、こうしてあげると本当に雑多ですね。

ふだんこういう企画(?)にはあまり参加しないけど、やってみると確かに気づかされるところがあります。
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経験や知識や想像力の上位に必要な何か [Thoughts]

経験を重ね、知識を身につけ、想像力を磨く前のぼくらは、
「言わない方がいいんじゃないか」と飲み込んだり
「いつか必要になるんじゃないか」としまい込んだり
「どうせ使わなくなるんじゃないか」と我慢したり
「すぐに飽きるんじゃないか」と自重したり
「好きになってはいけないんじゃないか」と諦めたり
しなかったはず。

人がクリアでいられなくなる原因は、経験と知識と想像力だ。

じゃあ、経験と知識と想像力は無駄なのかというとたぶんそんなことはなく、ただその上位にもう一つの何かが必要なんだと思う。

それを見つけられるかどうかが、生きていく上で、特に年齢を重ねて生きていく上で、すごく重要になる。
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言葉のピースの実験場、そして読んでもらうこと [Diary]

なぜか「11月は自分の好きなブログを告白する月」なんだそうで、ふーんと思っていたら、今年は何人かの方に「好きなブログ」として紹介していただいた。

11月は好きなブログを告白する月です - ウラガミ

R-style » 11月と言えば自分の好きなブログを告白する月らしいです。 ~3rd Edtion~

11月と言えば自分の好きなブログを告白する月(2013) | るうマニア

内容的にはちょっと(きゃっ☆)てなっちゃうのですが。

けっこう長くブログ書いてるけど、こういう反応をいただいたことは初めて。しかもその方々のブログは、もともとぼく自身が好きで読んでいたもので、しかもその人たちを介して多くの素敵なブログを知ったりもしている。

そういう人たちに読んでもらえて、しかも好きなブログとして紹介してもらえるというのは、率直に言ってとてもうれしかったです。

R-styleの倉下忠憲さんなんか、本棚の正面に入ってる本の著者ですよ。今さらだけどすごい時代だなあ(←としより)。



そんな機会なので、これまであんまり書いたことのない、ブログWord Pieceについて、ちょっとだけ自己言及。

もともとは「本館」ことRenji Talkに対する「別館」として、日記的などうでもいいことを書く場所だった。まとまった内容のあるものは本館。どうでもいい雑多ものは別館。そんな棲み分け。

まとまった内容のあるものとは、もちろんアウトライナーの話。後にはレオ・バボータを中心とする翻訳、そしてマンダラートが加わった。

対するブログの内容は何でもあり。当初は更新頻度も今よりずいぶん高かったし、今ならツイートで充分な短い瞬発ネタが多い。ブログのタイトルだってWord Pieceではなかった。



棲み分けが崩れ始めたきっかけは、「まとまった内容のあるもの」ではないけど「(自分にとって)決して軽くはない」内容の記事が、いつの間にか紛れ込むようになってきたこと。

具体的には、このあたりが転換点だった気がする。

閉じる技術
粘土ライオンの墓場(2009-1-21)

意識の中に飛んでくる言葉(ワードかもしれないし、フレーズかもしれないし、センテンスかもしれない)をキャッチして、アウトライナー(この頃はOPAL)に放り込んでいく。

そのうちに、まったく関連のなかったピースが結びついて有機性を帯びてくる。その有機性に逆らわずにリズムとメロディを整えているうちに、予想もしなかった内容になってしまったような記事。

そんなことを書くつもりじゃなかったとか、自分の中にはこんなものがあったのかとか、心の奥の奥にずっと封じ込められていたものとか、そんなものが意図せず言語化されてしまったような。



そのこと自体、自分がもともと持っていた、文章を書くプロセスに対する興味と深く関係するところがある。そう強く意識するようになってから、自分にとってのブログの意味が変わってきたのだと思う。

たぶんそれは、言葉のピースを操作すること、そのための技術、そのための道具、そしてその結果。自分にとってとても意味があるらしい、そしてとても重要でもあるらしいそれらのことの、実験場みたいなものだ。



決して読者の多いブログではない。現在のPVは更新した日で1000いくかいかないか。更新しなければ600〜800くらい。

PVが増えればもちろん嬉しいけど、そのための努力はほとんどしたことがない。そのためにいろんなことをする時間があったら、記事本体を書きたい。

使える時間は基本的に週末の3〜4時間。一本記事を公開するまでだいたい2時間くらいかかるから、記事を書く以外のことをすると、その週は更新できなくなってしまう。

それに、そういうことは向いていない。向いてないし、特に好きでもないことをやろうとしても、たぶんうまくできない。



結局、やってるのはきわめて個人的かつ、やりたいことだけ。向いてると思うことだけ。結果的に内容は雑多かつランダムになっている。ただし、その範囲内ではそれなりに、かなり真剣にやっている。

その結果として読んでくれる人がいて、その中で何人かの方が「好きなブログ」として紹介してくれる。それは、ぼくにとってはただPVが増えることよりも、ずっとずっと素敵なことです。



いつもありがとうございます。<(_ _)>
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憧れのスヌーピーと、小さな孤独が約束された未来 [Diary]

子どもの頃から、憧れはスヌーピーだった。

「そんけいする人」についての作文でスヌーピーについて書いたら怒られたことがあったな。作文としての出来は最高だったと思うんだけど(作者チャールズ・M・シュルツについての作文に変換する知恵は、まだ働かなかった)。

アメリカに住んでいた頃、新聞の日曜版に載っていたPeanutsを切り抜いて集めていた(生まれて初めての新聞切り抜きだった)。

シュールな世界観は子どもには理解できないところも多かったけど、スヌーピーのかっこよさは理解できた。

犬らしいところはひとかけらもない。飼い主であるチャーリー・ブラウンの名前さえ覚えてない。だいたい憎たらしく、ときどきすごくかわいく、まれにすごくやさしい。

スポーツでも料理でも創作でも、楽しそうなことなら何でもできる。楽しむことに他人の助けを必要としない。飛翔する想像力で全てを自分の中で完結できる、ひとり遊びの天才。

何よりも、基本的に孤独であり、そのことを認識し、受け入れている。その上で、生きることに対する喜びと愛に満ちている。



そして、スヌーピーに強く憧れてる時点で約束されてた、「小さな孤独」とともに歩く未来。
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思考を強制する流動的なアウトライン [アウトライナー]

アウトライナーには「構造的でありながら柔軟でもある」という相反する特性がある。正確にいうと、「アウトライナーで編集されるアウトライン」の特性と言えるかもしれない。

これは以前ある人のツイートで気づかされたこと。それこそが、単なるワープロやエディタで作られたアウトラインや、Excelで作られた構成案との違いだと思う。



ずいぶん前になるけど、アウトライナー否定派と肯定派による「アウトライン=ツリー構造」と「網目構造」の優劣論争を紹介したことがある。

アウトライナー否定派は、アウトラインのツリー構造よりも網目構造の方が複雑な情報を扱えるという。

ここでいう網目構造とは、たとえば相互にリンクされたハイパーテキストや、複数のタグがつけられたEvernoteのノートブックをイメージすればいい。

これに対してデイブ・ワイナーは、アウトライナーをText on Rails(流れていくテキスト)と表現し、否定派が考えているよりもずっと柔軟なものなのだと反論する。あるいはアウトライナーによるライティングはfluid(流動的)なのだと。

ツリー構造の問題点は、野口悠紀雄が「『超』整理法」の中で名付けた「こうもり問題」を考えればわかりやすい。あるトピックが複数の分類に当てはまってしまうという問題。

ツリー構造であるアウトラインでは、ある内容を見出し「A」の下にくくったら、それは「A」の下にしか存在できない。しかし、現実世界の情報はそんなに単純ではなく、しばしば複数の属性を持つ。

文章を書いている場合であれば、このネタはAの部分にも関係しているし、Bの部分にも関係しているけどどっちに入れたらいいだろう? ということはしばしばある。

一方網目構造、たとえばEvernoteのノートブックでは、あるひとつの情報に「A」というタグと「B」というタグを同時につけることが可能だ。したがって、網目構造の方が柔軟であり、現実世界の複雑な情報を扱うことができる。

できあいの情報を格納し、整理するというという場面を考えれば、これはおそらく正しい。しかし、文章を書いたり考えたりする場合、話はそんなに単純ではない。



アウトライナーで扱うアウトラインは、見た目はツリーでも通常のツリーよりずっと複雑な内容を扱うことができる。なぜならそれはワイナーのいう通り「流動的なツリー」だからだ。

アウトライナーでつくるアウトラインは、常に流動するプロセスであり、完成品ではない。

確かにアウトラインの中ではある記述は「A」と「B」どちらかにしか分類できない。しかし、ここでのアウトラインは、この記述は「A」と「B」のどちらに含むべきかという思考プロセスの、最新のスナップショットにすぎない。

だから、今「A」に分類されている情報が、次の瞬間には「B」に再分類される可能性を常にはらんでいる。今は見た目「A」に分類されているけれど、同時に「B」でもあり、「C」でもある可能性をはらんでいる。

それはもはや単純なツリーではない。



そして重要なのは、アウトラインが最終的に完成品の文章としてアウトプットされるまでには、いずれにしても「A」か「B」かを選ばなければならないということ。

複雑なものを勇気を持って単純化しなければならない瞬間がくる。そのこと自体が思考を強制し、発動する効果がある。実は多くの視点、解釈、結論は、この強制的な単純化のプロセスから生まれてくる気がする。

「文章にしたり人に説明したりするとその対象がよりよく理解できる」と言われるけど、それは複雑で絡み合った情報を、単純なツリーやリニアな語りに強制的に変換しなければならなくなるからだ。その過程で情報は咀嚼され、パースペクティブが確定する。

アウトライナーは「流動的なツリー」であることで、そのプロセスを助けてくれる。

逆に網目構造では複雑なものが複雑なまま存在できてしまう。それは一見するといいことだけど、ともすると素材が素材のままになってしまう可能性がある。



もちろんこれは優劣の話ではない。ツールは目的によって使い分ければいい。

ただ、思考の道具としてみた場合の有効性は、ツリー=アウトライン否定派が言うほど単純には決められないということ。
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真面目と言われることには慣れている。 [Diary]

「君は少し真面目すぎる」とある人に言われる。

どうもぼくは「真面目そう」な印象を与えるらしく、子どもの頃からそう言われることが多い。だから、真面目と言われることには慣れている。でも、そういうイメージの中の真面目ってなんだろうと思うわけですね。

ぼくがこれまでどんな人生を送ってきたのか知るよしもない人が、いったい何を根拠にして「君は少し真面目すぎる」などというのかといえば、もちろん「見た目の印象」以外にはない。

実際自分が真面目か不真面目かと言われれば、たぶん真面目だと思う。思うけれども、今回のような会話の中に出てくる「真面目」に含まれるニュアンスは、おそらくぼくの思う「真面目」とは少し違う。それは、今回その後に続いた(そして以前にもしばしば続いた)言葉に象徴される。

「もう少し人生を楽しむことを覚えないと」

真面目と言われることには慣れている。だから、初対面同然の相手に「真面目」と言われても、単にこの人は他人の特性を表面的な見た目で判断するばかりか、本人に対して断言するような人間なんだなと思うだけだ。

でも「もっと人生を楽しむことを覚えないと」に対しては少し違った、もう少し強い感情を抱く。

その言葉は、40年以上生きてきた人生の中で、電車に乗ったり散歩したりコーヒーを飲んだり文章を書いたり美味しいものを食べたりといった、ぼくが楽しんできたすべての時間を否定しているから。

あるいは、共感した言葉や影響を受けた思想や感動した物語や涙を流した音楽や好きになった人を侮辱しているから。

おそらくその人は、自分の口にした言葉がそういう意味だとは一生気づかないだろうけど。
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瞬間的な幸福(のようなもの)についての断章 [Talks]

彼女と大型書店に行って、一階で「じゃあね」と別れ、最上階の実用書コーナーにエレベーターで上がる。五階(人文書・理工書)、四階(美術書、芸術書)、三階(文具・事務用品)と順に降りてきて、二階(文庫・新書)に降りる途中の階段で、下から上がってくる彼女と再会する。



台風の夜、彼女と二人ホテルのテレビで台風情報を眺めている。首都圏は一時間ほど前から暴風域に入っている。外はきっとすごいことになってるんだろうなと思うけど、窓のない部屋から外をうかがうことはできない。



深夜、何回電話をしてもつながらないのを心配して、思わず彼女のアパートにまで歩いてきてしまったら、彼女が親友二人と手を繋いで「リンダリンダ」を歌いながら帰ってきた。
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