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(大人)であることについてのランダムノート [Thoughts]

多くのAVは(大人)と名が付いているわりにはあんまり(大人)っぽい印象がない。



性的な幻想は(大人)以前の感覚と結びついているということ?



いやAVの話じゃなくて。



歳をとったからといって自然に(大人)にはならない。(大人)になるためには(大人)になることを決意する必要がある。



(大人)になりたいと決意するのは、主に他者との関係の中においてである。



(大人)であることと他者とは何の関係もない。



「強いて夢をあげるとしたらなんですか?」
「(大人)になること、かな」



はじめは、悲しみと哀れみの混じったようなその女の子の目を見ながら、(大人)になりたいと激しく思った、たぶんあのとき。



「いつまでも少年のような」と言うけれど、少年の中身なんて性とエゴでドロドロだ。それでこそ少年なのだ。



集団の中で力を行使するそのために人を踏みつけ、利用し、操ろうとすること。その力学、システムに適応することこそが(大人)になることだと教えてくれた人へ。あなたのような人は人間を幸福にしない。



(大人)になっても、理由もなく感じる悲しさだったり、起きぬけに感じるたまらない怖さだったり、そういうものから逃れられるわけではない。



自分が思う(大人)は、もしかしたら人の思う大人とはずいぶん違っていたのかもしれない。もっと早く気づけばよかった。



自分が便宜的に(大人)と呼んでいるものが何なのか、考えれば考えるほど言葉にできなくなるけど、イメージははっきりとあって、それを例示することならできる。



男社会の中で違和感を持たずに振る舞い、役割を果たしている人は、あんまり(大人)には見えない。



「大人の事情」というのは、たいていの場合あるひとつの(狭い)文化圏の決まり事に過ぎない。



いろんな経験をして、いろんなことを見聞きして、修羅場をくぐり、その結果極めて子どもっぽくなってしまう人。



もっと若い頃、経験不足の自分にはまだわからない何かがあるのだろう、もっと人間として成熟したらその本当の意味がわかるようになるのだろうと思っていたいくつかの事象についての印象は、今のところ変わっていない。



(大人)であろうとすると、たぶん客観的には青臭く見える。



「いろんなことは簡単じゃない」ということと「ものごとには理由がある」ということ。それは(大人)であれば誰もが知っているはずのことだけど、どういうわけか他人に対してはその想像力が働かなくなることが多い。



なんていろいろ考えていると、(大人)と子どもとの区別なんて存在しないような気がしてくる。



自分は(大人)になりたいのではなく、(大人)であろうとする人になりたいのかもしれない。



(大人)であろうとする人は好きだ。

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他人の結論 [Diary]

たとえば何年もの間必死に考え続けて、それでも答えが出ないことについて、他人が実に軽やかに喜々として結論めいたことを言ってくれたりして。

もちろんそれが他人ということなのだから文句を言うすじあいはないし、自分だって他人に対して同じことをしているはずだ。

だからそのことについて不快に、あるいは居心地悪く感じるのであれば、それはそもそも他人に意見を求めるべきことではなかったのだ。

そして、自分がどれだけその問題と格闘したかなど想像もせず、軽く口にされたかに見える他人の言葉によって、自分が内心では結論を出していたことに気づくことも。

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抑制のないフリーライティング [Thoughts]

フリーライティングは、文章を書こうとして書くことが見つからないときにとても便利なものだけど、たまに自分のためだけにやってみる。

人に見せることを前提としない、一切の抑制のないフリーライティング。

テーマを絞らず、意味のある文章を書くことも目的とせず、整合性も妥当性もスタイルも一貫性も顧みず、ただ頭に浮かぶことを流れ出るままに書く。

条件は、一定時間内は書くことを止めないこと。「何か」を書き続けること。手を止めないこと。

ただし意味のない文字の羅列ではダメ。目的はなくても、日本語として意味の通る何かを書く。

どうしても何も書けないのなら「どうしても何も書けない」と書けばいい。
「なんでこんなことをしてるんだろう」でもいい。

不思議なもので、とにかく手を動かしていると「何か」が出てくる。ひとつ出てくれば後はずるずるとつながって出てくることが多い。

そんなことをして何の意味があるのか。

あんまり意味がないこともある。ただ意味のない文章の断片が書き付けられたテキストファイルやノートが残るだけのこともある。

でも、何回かに一度、何かのきっかけでスイッチが入ることがある。止まらなくなることがある。そんなときは、書けるだけ書く。自然に手が止まるまで。

意識するのは「抑制しないこと」だけだ。



抑制のないフリーライティングは、自分の中のいろんなものを見せつけてくれる。

失くしてしまったものも。
実は持っていたものも。
嘘も矛盾も正直さも。
認めたくない醜さや狡さも。
気づいていなかった欲望も。
大事にしていたのにそれほどでもなかったものも。
無意識に願い続けてきたことも。
意外なほどに美しいものも。
眠っていた物語も。
どこまでも行っても超えることのできない境界線も。

それを目の当たりにするという体験は、「人生経験」のひとつやふたつ積むことに匹敵するくらいの重みがある、かもしれない。



あ、そして副産物として、普通に人に見せるための文章のネタの2つ3つくらい。

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レオ・バボータ「ひと息入れるための方法論」 [レオ・バボータ関連]

レオ・バボータさんの記事「How to Breathe」の日本語訳を「ひと息入れるための方法論」として公開しました。
ひどく忙しい一日だ。あなたは疲れている。頭は気がかりでいっぱいだ。集中できない。何もかも間違っている気がする。

どっちに向かっていいのかわからない。遭難したみたいな気分だ。

そんなときはひと息入れよう。文字通り。

意識の焦点を、その日のありとあらゆる気がかりから、呼吸に移す。息を吸い、吐き出すこと。

ごく普通に呼吸すればいい。ゆっくりする必要も深くする必要もない。ただ注意を向けるというだけだ。
全文を読む

なお、今回は、同じく最近レオ・バボータの記事の翻訳を精力的に公開されている、るう(@ruu_embo)さんと同じ記事を別々に訳して同時に公開するという試みをしています。

るうさんの訳はこちら:
息づかいを感じてみよう。(レオ・バボータ:翻訳)| るうマニア SIDE-B

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強さについて [Thoughts]

たとえば、時間が有限であることを知っていること。
たとえば、考えてもわからないことや結論が出ないことを本気で考えること。
たとえば、他人に共感し、共鳴し、共振することができること。
たとえば、身の回りの何でないものの大切さを失う前に気づいていること。
たとえば、知的な憧れを持っていること。
たとえば、寂しさをがまんできること。
たとえば、自分の内側に幸福を見つけられること。
たとえば、いろんなものごとを自分の中に通過させること。
たとえば、強さの表現に他人を巻き込もうとしないこと。
たとえば、負けても気にしないこと。
本当には負けないこと。

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